芸人として大成功しているハナコの秋山寛貴さん。
でも実は、彼のスタート地点は“美術の先生になりたい”という夢だったって知ってましたか?
剣道にも本気、美術にも全力。
そして高校時代にふと出会った「お笑い」という選択肢。
この記事では、秋山さんの意外な学生時代の姿や、芸人を志すまでの心の変化、
そして「ハナコ」が誕生するまでのリアルな道のりをまとめています。
読むうちに、いつもの秋山さんがちょっと違って見えてくるかもしれませんよ。
秋山寛貴のプロフィールと芸人になるまでの流れ
お笑いトリオ「ハナコ」のツッコミ担当・秋山寛貴さん。
今ではテレビで見ない日はないほど活躍していますが、意外にも学生時代は美術の道を目指していたって知ってました?
今回は、そんな秋山さんのプロフィールと、どうやって芸人という道を選んだのか――そのリアルな歩みをたっぷり紹介します。
地元・岡山からスタートした物語を知れば、ハナコを見る目もちょっと変わるかもしれません。
地元・岡山からお笑い界へ:秋山寛貴の基本情報
- 名前:秋山 寛貴(あきやま ひろき)
- 生年月日:1991年9月20日
- 年齢:34歳(2025年現在)
- 出身地:岡山県岡山市北区
- 身長:163cm
- 体重:58kg
- 血液型:O型
秋山寛貴(あきやま ひろき)さんは、1991年9月20日生まれ。
身長163cm、体重は58kg。血液型はO型です。
出身地は、岡山県岡山市北区。
ご実家はなんと「ゆずせんべい長栄堂」というお土産屋さんを営んでいるそうで、地元ではちょっとした有名店。
ちなみに、ハナコのYouTubeチャンネルでも登場していましたね。
家族構成は、両親と弟の4人家族。
幼いころから絵を描くのが大好きな子で、小学生のころの夢は「美術の先生」だったんだとか。
まさかその子が将来、キングオブコントで優勝する芸人になるなんて、誰が想像したでしょうね。
そして中学時代には、地元・岡山市の「高松剣道スポーツ少年団」で剣道に打ち込んでいた時期も。
実は剣道は高校まで続け、二段を取得するほどの腕前なんです。
“静”と“動”を持ち合わせた、不思議なバランスの持ち主だったのかもしれません。
転機が訪れたのは、高校時代。
当初は美術大学への進学を目指していましたが、あるきっかけでお笑いの世界に興味を持つようになります。
これが、秋山さんの運命を大きく変える第一歩になったんです。
なんか、こういう話って胸が熱くなりませんか?
地元で普通に暮らしていた少年が、笑いで日本中を元気にする存在になるなんて。
だから、芸人さんのルーツっておもしろいんですよね。
子ども時代から光る美術の才能と夢
今ではお笑い界で大活躍している秋山寛貴さんですが、じつは最初から芸人を目指していたわけじゃないんです。
子どもの頃の彼が夢見ていたのは、「笑い」じゃなくて「アート」の世界。
小学生時代からすでに、美術の才能とセンスがキラリと光っていたそうですよ。
その背景には、地元・岡山でののびのびとした暮らしと、ちょっと意外な家族の存在がありました。
小学校時代に芽生えた「美術の先生」への憧れ
秋山さんの出身小学校は、岡山市立庄内小学校。
岡山市北区にあるこの学校は、地域に根ざしたあたたかい雰囲気の公立校です。
実家は、地元の人に愛されるお土産店「ゆずせんべい長栄堂」。
店先には手描きのポップや看板が並ぶこともあって、自然と“絵”に触れる機会が多かったのかもしれませんね。
そんな環境で育った秋山さん、小さいころから絵を描くのがとにかく好きだったそう。
授業中のノートのすみにイラストを描いていたり、家ではマンガ風の作品を一人で描き上げていたり。
あるとき、担任の先生に褒められたことがきっかけで、「将来は美術の先生になりたい」って思うようになったんだとか。
なんか、わかる気がしませんか?
子どもって、誰かに「上手だね」って言われると、それが将来の夢に直結しちゃうこと、ありますよね。
秋山さんの場合、それが“お笑い”じゃなくて“美術”だった。
ここから高校で美術コースに進むくらいだから、本気だったんです。
芸人としての秋山さんの細やかな表情や動きのセンスも、もしかすると、こうした美術の経験が土台になっているのかもしれません。
剣道と笑いに目覚めた中学時代
秋山寛貴さんの中学時代は、まさに“二刀流”。
ひとつは厳しい剣道の稽古、もうひとつはテレビの中のお笑いに魅了されていく日々。
美術少年だった彼が、どうして笑いの世界に心を惹かれていったのか。
そのルーツをたどってみると、意外とグッとくるエピソードがたくさんあるんです。
高松中学校での厳しい剣道経験とお笑いの原点
秋山さんが通っていたのは、岡山市立高松中学校。
公立の中学校で、岡山の自然にも囲まれたのびのびとした場所です。
でも、そんなのどかなイメージとは裏腹に、秋山さんが所属していた「高松剣道スポーツ少年団」はかなり本格的。
部活動ではなく、地域の団体に通っていたというだけあって、稽古の内容もガチ。
彼自身も「めちゃくちゃ厳しかった」と話すほどで、週に何度も防具をかついで稽古場に通う日々を送っていたそうです。
実は剣道を始めたのは中学生になってから。
小学生時代にはやっていなかったというのが、ちょっと意外ですよね。
でも、そこで一気にのめり込んで、高校では剣道部に入り、最終的には「二段」の段位まで取っています。
努力家な一面が垣間見えるエピソードです。
そんな“武道一直線”な日々のなかで、心のどこかでは別の世界にも興味が芽生えていました。
それが、お笑い。
当時ハマっていたのが、「M-1グランプリ」や「笑う犬の冒険」、それに「Mr.ビーン」。
特に、M-1の舞台に立つ芸人たちのやり取りに胸を打たれたそうです。
「こんな世界があるんだ」って、じわじわと興味が広がっていった感じ。
笑っているうちに、自分も「やってみたいかも」って思ったのかもしれませんね。
剣道の稽古と、お笑い番組。
真逆に見えるこのふたつが、中学時代の秋山さんの中でしっかり共存していた。
そのバランス感覚が、今の“ツッコミ職人”としての土台になっているのかもしれません。
笑いの裏に、竹刀と汗のストーリーがあったなんて、ちょっと驚きじゃないですか?
総社南高校での濃密な3年間と進路変更
秋山寛貴さんの高校時代は、まさに「青春まるごと全部つめこみました!」って感じの濃い3年間。
美術に本気で取り組む一方で、お笑いの道にも足を踏み入れていく──。
彼の人生が大きく動き出すきっかけが、この高校時代に詰まっているんです。
なんとなく将来を考え始めるこの時期に、秋山さんは“自分の本当にやりたいこと”を見つけていきました。
美術コースに在籍しながら漫才に挑戦した高校生活
秋山さんが通っていたのは、岡山県立総社南高校。
1986年に開校した比較的新しい共学校で、偏差値はだいたい50くらい。
この高校にはちょっとユニークな学科があって、秋山さんが所属していたのは「普通科美術工芸コース」。
デザインや絵画、工芸などの基礎を本格的に学ぶことができる、芸術に特化したコースです。
実際、秋山さんは高校に入るまでは「将来は美術大学に行って、イラスト関係の仕事がしたい」と思っていたそう。
Twitterにもたびたび自作のイラストを投稿していて、そのクオリティを見ると、ほんとに絵がうまいんですよね。
でも、ここでひとつ壁にぶつかります。
周りの同級生たちのレベルが想像以上に高かった。
本気でプロを目指してるような人ばかりで、自分との差を感じてしまったんだとか。
「この道、オレじゃないかも…」
そう思い始めた頃、もう一つ夢中になっていたものがありました。
それが、漫才。
実は高校時代、同級生とお笑いコンビ「ハイタッチ」を組んで、「M-1甲子園」に出場していたんです。
結果は残せなかったけど、人前でネタを披露する楽しさを初めて知った瞬間でした。
なんか、わかる気がしませんか?
目の前で人が笑ってくれるって、それだけで「もっとやってみたい!」って気持ちになるものです。
しかも、当時すでに剣道部にも所属していて、文武芸すべてに手を出してたという行動力。
ちなみに剣道は高校でも続けて、なんと「二段」を取得しています。地味にすごい。
そして運命の分かれ道。
高校3年生のとき、ワタナベエンターテインメントが開催していた「高校生お笑いオーディション」に、見学だけのつもりで参加。
……のはずが、なんと合格。
これが、秋山寛貴という芸人のスタートライン。
美術の道から大きく舵を切って、お笑いの世界へ進む決意を固めるきっかけになりました。
この高校生活がなければ、今の「ハナコの秋山」はいなかったかもしれませんね。
大学進学を選ばず、芸人の道へ踏み出す決意
高校まで美術と剣道に真剣に打ち込みながらも、秋山寛貴さんが最後に選んだのは、全く違う「お笑いの世界」でした。
まわりが大学進学を目指すなか、彼はその道を選ばず、自分の“ワクワクする気持ち”に従って芸人の道へ。
勇気のいる選択だったはずですが、そこには高校時代から続く小さなきっかけが積み重なっていたんです。
WCS入校から「ハナコ」結成、そして快進撃へ
高校3年のとき、ワタナベエンターテインメントが主催していた「高校生お笑いオーディション」。
秋山さんは、最初“見学だけ”のつもりで参加したんですが……まさかの合格。
この出来事が、彼の人生の方向を大きく変えるきっかけになりました。
大学進学という選択肢を捨て、秋山さんが進んだのは、ワタナベコメディスクール(通称WCS)。
2010年4月、第12期生として入校し、ついに本格的に芸人の世界へ足を踏み入れます。
ここで出会ったのが、のちに「ハナコ」となる相方たち。
まず最初に組んだのは、同じWCS同期の菊田竜大さん。
ふたりで「ウェストミンスター」というコンビを結成し、オーディションライブに出場しながら経験を積んでいきます。
このコンビは約2年間活動しましたが、なかなか大きなチャンスを掴めず、思うように結果が出ない時期が続きました。
そんな中、2014年に新たな展開が。
やはりWCSの同期だった岡部大さんが加入し、ついに3人で「ハナコ」というトリオが誕生します。
とはいえ、岡部さんの加入は最初は“試用期間”だったんだとか。
「とりあえず1ヶ月やってみよう」って感じの、ゆるいスタートだったのがなんともハナコらしいですよね。
でもここからがすごい。
2017年には「ABCお笑いグランプリ」の決勝に進出。
翌2018年には、なんと『キングオブコント』で優勝。
この瞬間、ハナコは一気にブレイク。
それまで築地市場の塩屋でバイトしながら月収1〜2万円で暮らしていた秋山さんは、一夜にして全国区の人気芸人になりました。
でも、それまでの地道な努力と、人知れぬ葛藤があったからこそ、つかんだチャンスだったんですよね。
大学には行かなかったけれど、秋山さんが選んだ道は、確実に“正解”だった。
そんな風に思えるような、熱いキャリアのはじまりです。


まとめ
- 秋山寛貴さんは子どもの頃、美術の先生を夢見ていた
- 剣道に打ち込みながらも、漫才に心を奪われていった
- 大学進学を選ばず、お笑いの道に飛び込んだ決断が今につながっている
秋山さんの人生って、一見すると大きなジャンプをしているように見えるけれど、
実はずっと“好き”を大事に積み重ねてきた結果なんですよね。
絵を描くのが好きで、剣道に本気で取り組んで、そして人を笑わせることに夢中になって。
その全部が、今の「ハナコ・秋山寛貴」という存在につながっているんだと思います。
最初からお笑い一本じゃなくてもいい。
自分の気持ちに素直に動いたからこそ、あの唯一無二のツッコミが生まれたんでしょうね。
だから秋山さんの歩みは、なんだか見る人の背中をそっと押してくれるような、そんなあたたかさがあります。

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