「野獣」って呼ばれた松本薫さんが、今はアイス職人やってるって知ってました?
実は子どもの頃、柔道が大嫌いだったんです。
兼六中学から帝京大学まで、転校も経験しながら金メダルを獲得。
でも引退後に選んだのは、意外すぎる道でした。
この記事では、松本薫さんの学歴と経歴、そして金メダリストがアイス職人になった本当の理由をサクッとお話しします。
松本 薫のプロフィール
- 本名:松本 薫(まつもと かおり)
- 生年月日:1987年9月11日
- 出身地:石川県金沢市
- 身長:163cm
- 愛称:野獣、アサシン
- 段位:五段
- 所属:ベネシード柔道部
- 現役引退:2019年2月(31歳)
- 引退後の活動:アイスクリームブランド「Darcy’s(ダシーズ)」商品開発
柔道解説者
講演活動
松本薫さんといえば「野獣」の愛称で親しまれた柔道家として有名ですよね。
でも実は、子どもの頃は柔道が大嫌いだったって知ってました?
お兄さんを皮切りに家族みんなが次々と岩井柔道塾に通い始め、気がつけば自分の番になっていました。
本人いわく「アイスクリームを買ってあげるから」という親の一言につられて、5〜6歳で渋々入門したのだそう。
道場では夕方5時から夜10時まで5時間、夏休みともなれば12時間もの練習が続く環境。
勝ちたい気持ちなんてまったくなく、「いかに今日を生き残るか」を考えていたというエピソードは、のちの”野獣”ぶりとのギャップがすごいですよね。
兼六中学3年で全国中学校柔道大会52kg級に優勝
金沢市立兼六中学校に進学した松本さんは、相変わらず「目立たないように負ける」作戦で試合をこなしていました。
ところが、中学2年の全国中学校柔道大会でひとつ上の姉・明子さんが48kg級で優勝する場面を目の当たりにします。
「おめでとう」と声をかけられる姉の姿がうらやましくて仕方なかったと、後に本人が語っています。
これをきっかけに、中学3年では初めて「本気で勝ちに行く」ことを決意。
2階級上の52kg級にあえて階級を上げて出場し、みごと全国の頂点に立ちました。
この覚醒がなければ、オリンピックの金メダルも生まれていなかったかもしれません。
東京・藤村女子高校から帝京大学法学部まで歩んだ学歴

松本さんの学歴を見ると、東京から石川へ、そして再び東京へと動く、ドラマチックな軌跡が見えてきます。
道場の厳しさから解放されたくて高校は上京を選び、その後は地元の金沢に戻り、最終的には谷亮子さんを輩出した名門・帝京大学の法学部を卒業しています。
学歴だけ追っても、かなり波乱万丈な青春が見えてきませんか?
インターハイ優勝後に金沢学院東高校へ転校した理由
進学先として選んだのが、東京都の藤村女子高校です。
1年生のときから全国高校選手権に出場し、2年生の夏には57kg級のインターハイで見事優勝を飾ります。
ところが、三井住友海上と合同練習をする藤村女子高校のスタイルがどうしても自分に合わなかったといいます。
「強くなりたい」という熱量で練習する周囲の空気に居場所を見つけられず、次第に練習をサボりがちになってしまいました。
結局、高校2年の10月には郷里の金沢学院東高校へ転校。
これは逃げではなく、「自分に合う環境を自分で選ぶ」という、17歳なりの大切な決断でもありました。
心配して優しい言葉をかけてくれた姉の一言に「今さら辞めても何も残らない」と気づき、初めて自分から柔道に向き合い始めます。
転校した3年生では規約上インターハイには出場できなかったものの、全日本ジュニアでオール一本勝ちの完全優勝を達成しました。
北京五輪補欠から一転、ロンドン五輪で頂点に立つまで
帝京大学進学後は、国際舞台でも徐々に存在感を発揮していきます。
2008年の北京五輪では補欠に選ばれましたが、本人は「まだ自分が出ても勝てないとわかっていたから、逆に選ばれなくて安心した」と当時を振り返っています。
この冷静な自己分析こそが、4年後の金メダルへの土台になっていきました。
「北京ではなく、次のロンドン五輪を自分のための五輪にする」と目標を定め、逆算しながら国際経験を積んでいきます。
2012年ロンドン五輪・女子57kg級で金メダル獲得
2010年には世界選手権(東京大会)で初優勝を果たし、世界ランキング1位に。
満を持して挑んだ2012年ロンドン五輪では、準々決勝で北京五輪覇者のジュリア・クインタバレ(イタリア)を撃破。
決勝ではコリナ・カプリイオリウ(ルーマニア)に反則勝ちで下し、日本選手団のロンドン五輪初金メダルを手にしました。
試合のたびに研ぎ澄まされていく鋭い眼差しは「野獣」そのもので、日本中が画面に釘付けになった瞬間です。
金メダル直後の「パフェが食べたい」という一言もまた、多くの人の記憶に刻まれていますよね。
2016年リオ五輪での銅メダルと2019年の現役引退

ロンドン五輪後、松本さんは2016年11月に一般男性と結婚し、2017年に第1子となる長女を出産します。
産後わずか1ヶ月でトレーニングを再開するという驚異的な復帰劇を見せながら、東京五輪出場を目指して現役を続けました。
しかし2019年2月、31歳で現役引退を正式に発表。
引退の瞬間は「やっと自由だ」という爽快感があったと本人が語っています。
2大会連続でメダルを獲得した後に引退を選んだ経緯
2016年のリオデジャネイロ五輪では女子57kg級で銅メダルを獲得し、2大会連続メダルという輝かしい実績を残しました。
長女が生まれた後も「この子のために東京五輪を目指す」と決心し、一度は復帰への強い意志を持っていた松本さん。
しかし東京五輪に向けた選考レースで出場が難しい状況となり、さらに「柔道よりも子どもが一番になってしまった」という自分自身の心の変化を正直に受け止め、2019年2月に引退を決断しました。
なお、同年12月には第2子となる長男も誕生し、現在は二児の母として奮闘しています。
ロンドン五輪は母のため、リオ五輪は父のため、そして東京五輪は子のために——。
自分以外の「誰かのため」に力を出し続けた、そんな選手生活でした。
引退後に立ち上げたダシーズアイスと現在の多彩な活動
2019年の引退発表とともに世間を驚かせたのが、アイスクリーム事業への参入でした。
所属する株式会社ベネシードが展開するアイスクリームブランド「Darcy’s(ダシーズ)」の商品開発者として、まさにゼロからのスタート。
柔道の解説者や講演活動なども並行しながら、二児の母として精力的な毎日を送っています。
柔道金メダリストがアイスクリーム職人に転身した理由
実はこの転身、突然の思いつきではありませんでした。
小学校の卒業文集に「ケーキ屋かアイスクリーム屋になりたい」と書いたところ、担任の先生に「柔道のことを書きなさい」と却下されたという過去があるのです。
金メダルという大きな寄り道を経て、子どもの頃の夢に戻ってきたかたちですよね。
ロンドン五輪の金メダル後、ご褒美として1日5食パフェを食べ続けたら体に異変が起きた経験から「毎日安心して食べられるアイスを作りたい」というコンセプトが生まれました。
現役時代は「相手の弱点を探す」ことに全力を注いでいた松本さんですが、アイス職人になった今は「相手のいいところを探す」という真逆の視点で商品開発と向き合っているといいます。
“野獣”から”アイス職人”へ——同じ人物とは思えないギャップの裏に、柔道で鍛えた観察眼がしっかりと生きているんですよね。
白砂糖不使用、乳製品不使用のグルテンフリーアイスは、現役アスリートにも愛される商品として注目を集めています。
「ダシーズを世界に出ていくアイスにしたい」という言葉には、柔道で培った国際的な視野がしっかりと宿っているようです。
まとめ
- アイスにつられて始めた柔道を、姉への憧れから「人生の武器」に変えた
- 合わない環境からの転校も、出産後の復帰も、常に自分の心に正直に選択してきた
- 金メダリストが子どもの頃の夢を叶え、今度はアイスで人を笑顔にしている
最初はアイスクリームにつられて渋々始めた柔道が、まさか世界の頂点まで続くなんて誰が想像できたでしょう。
でも松本薫さんの人生を見ていると、「自分に正直に生きる」ことの大切さが伝わってきます。
嫌なら環境を変える、好きになったら本気で取り組む、そして新しい夢ができたら迷わず飛び込む。
競技で鍛えた観察眼を、今度は人を笑顔にするアイス作りに注いでいる姿って、なんか希望が湧いてきませんか。
「野獣」から「アイス職人」への華麗な転身は、人生に正解なんてないことを教えてくれる、そんな物語ですよね。


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