あの金メダリスト・松本薫さん、今どんな人生を歩んでいるかご存知ですか?
「引退後は何をしてるの?」「柔道以外でも輝いてるの?」と気になったことがある方は、きっと多いはずです。
実は彼女、現在は“罪悪感なく食べられるアイス”を作るという、まったく新しい挑戦を続けているんです。
このページでは、松本薫さんの柔道人生から引退の理由、そして母として・経営者として生きる今の姿までを、お届けします。
ただの経歴紹介ではなく、彼女がどんな想いで道を選び、どう乗り越えてきたのか――その背景にも触れています。
この記事を読めば、きっと「松本薫」という人の本当の強さに、少し心を動かされると思いますよ。
どんな道を歩んできたのか、一緒にたどってみませんか?
松本薫のプロフィールと柔道界での功績
- 名前:松本 薫(まつもと かおり)
- 生年月日:1987年9月11日
- 出身地:石川県金沢市
- 身長:160cm(現役当時)
- 体重階級:女子柔道57kg級
- あだ名:「野獣」
- 学歴:
藤村女子高校(東京都)
金沢学院東高校(石川県)
帝京大学 - 主な所属先:フォーリーフジャパン → ベネシード
- 柔道の主な成績:
2010年 世界選手権(東京) 金メダル
2012年 ロンドン五輪 金メダル
2015年 世界選手権(アスタナ) 金メダル
2016年 リオ五輪 銅メダル
松本薫さんは、1987年9月11日生まれ。
出身は石川県金沢市で、幼い頃からとても活発な女の子だったそうです。
彼女が一躍有名になったのは、2012年のロンドンオリンピック。
日本女子柔道界に金メダルをもたらし、その名を世界に響かせました。
試合で見せる鋭い眼差しと、野獣のような気迫ある立ち姿から、
いつの間にか「野獣」というあだ名までつけられてしまうほど。
ですが、普段の松本さんはとても気さくで笑顔が優しい方。
そのギャップも、彼女の魅力の一つなんですよね。
柔道選手としての実績は、世界選手権や五輪など、
誰もが憧れる大舞台で数々のメダルを獲得。
ただ強いだけじゃなく、見る人の心を奮い立たせるような、
“魂のこもった柔道”が、彼女の代名詞だったのです。
金沢から世界へ:学生時代の歩みと才能の開花
松本さんが柔道に出会ったのは、なんと5歳のとき。
地元の柔道クラブに通い始めたのがきっかけでした。
最初は怖がりながら畳に立っていたそうですが、
すぐに「この子はただ者じゃない」と言われるように。
高校は東京の藤村女子高校に進学。
ここで全国レベルの選手たちと出会い、本格的に頭角を現します。
その後、地元・石川県の金沢学院東高校に転校し、
さらに帝京大学へ進学。ここでも圧倒的な強さを発揮していきます。
全国大会では常に表彰台にのぼり、
大学在学中にはすでに日本代表として国際大会にも出場。
この頃から、もう“世界を見ていた”んでしょうね。
まっすぐで真剣なその姿勢は、仲間や指導者からも信頼されていました。
夢に向かって努力を重ねた学生時代。
ここで培った経験が、後のオリンピック金メダルにつながるわけです。
ロンドン五輪金メダルへの道のり
2012年、松本薫さんは女子57kg級の日本代表としてロンドン五輪に出場。
このときの日本柔道界には、重たいプレッシャーがのしかかっていました。
男子選手の成績がふるわず、「女子がなんとかしなければ…」
そんな空気の中で迎えた大一番。
松本さんは、静かに、でも確実に勝ち進んでいきました。
戦う姿はまさに、一本一本に魂が宿っているようでしたよね。
決勝ではルーマニアのコロンビ選手と激突。
延長にもつれこむ死闘の末、技ありを奪って金メダルを獲得しました。
その瞬間、松本さんが叫んだ喜びの声は、
日本中に感動と勇気を与えたんです。
どれほどの重圧だったか、想像もつきません。
でもそれを跳ねのけ、やり遂げた姿に胸を打たれた人も多かったでしょうね。
57kg級で世界と戦った名勝負たち
松本さんはロンドン五輪だけでなく、他の大会でも多くの名勝負を残しています。
たとえば、2010年の世界選手権(東京開催)。
このときも57kg級で金メダルを獲得しており、まさに世界のトップ選手でした。
また、2015年の世界選手権(アスタナ)でも再び金メダル。
ここでの戦いぶりもまた、“攻めて勝つ”スタイルそのものでした。
そして2016年のリオデジャネイロ五輪では、銅メダルを獲得。
実はこの時期、既に身体的な限界もささやかれていたんです。
それでもなお、世界の強豪相手に真正面からぶつかり、
表彰台にのぼった姿は、まさに執念の勝利。
結果だけじゃなく、その戦う姿勢や生き様に、
多くのファンが心を動かされたんですよね。
引退の決断と家族の支え

圧倒的な実力と闘志で世界の頂点を極めた松本薫さんですが、2019年に現役を引退しました。
その引退は、静かで穏やか、でも強い意志を感じさせるものでした。
2016年にご結婚され、翌年には第一子を出産。
そして2019年には第二子の妊娠をきっかけに、正式に引退を発表しました。
「母として生きること、家族を守ること」
その選択は、これまで全身全霊で柔道に向き合ってきた松本さんにとって、
簡単な決断ではなかったはずです。
でも、競技人生のすべてを出し切ったからこそ、
心から納得できる新しい一歩を踏み出せたのかもしれませんね。
引退会見では、笑顔を見せながらもどこかスッキリとした表情が印象的でした。
家族の存在が、彼女をまた強くした――そんな気がします。
2児の母として歩む新たな人生
引退後の松本薫さんは、完全に「お母さんの顔」になりました。
朝早くから子どもたちのお弁当を作ったり、
保育園に送り届けたりと、まるで普通のママと同じような日常。
でも、ただの“普通のママ”じゃないところが松本さんらしいんです。
育児をしながらも、新しいことに挑戦し続けるその姿勢。
その根っこにあるのは、柔道で培った「負けず嫌い」と「努力を惜しまない心」。
「子どもたちに、やりたいことをやっていいって背中を見せたい」
そんな言葉をインタビューで語っていたのがとても印象的でした。
競技の場を離れても、誰かに夢や希望を届けたいという思いは、
今も変わっていないんでしょうね。
セカンドキャリアにアイスを選んだ理由とは?
引退後、松本薫さんが選んだセカンドキャリアは、まさかの“アイスクリーム屋さん”。
このギャップに、驚いた人も多いでしょうね。私もその一人でした。
「元・柔道家がアイス?」なんて、ちょっと意外に聞こえますが、
実はこれにはしっかりとした理由があったんです。
現役時代、体重管理や食事制限で甘いものが自由に食べられなかった松本さん。
「安心して食べられるアイスがあったらよかったのに」
そんな“あの頃の自分”の声を形にしたのが、アイス事業のきっかけでした。
彼女が立ち上げたのは「ダシーズ ギルトフリーアイスクリームラボ」。
なんだか名前からしてヘルシーそうですよね。
そう、普通のアイスとはまったく違う、
“罪悪感のないアイス”を作るというコンセプトだったのです。
アスリート目線で考案した“ギルトフリー”な商品開発
松本さんがこだわったのは、何よりも「カラダにやさしいこと」。
ギルトフリー=罪悪感なし。
このアイスには、乳製品や白砂糖、グルテン、トランス脂肪酸は一切使われていません。
代わりに、豆乳やてんさい糖など、ナチュラルで体に優しい素材を使っています。
「運動してる人も、ダイエット中の人も、
アレルギーがある人も、子どもも、
誰もが気にせず笑顔で食べられるアイスを作りたかった」
そう語る松本さんの表情は、まるで試合前のように真剣。
でも、そこには柔道とはまた違った、“誰かのための闘い”があるようでした。
アスリートだからこそ気づけた視点と、
母親としてのやさしさがひとつになって、形になったアイスクリーム。
それはもう「商品」じゃなくて、彼女自身の生き方そのものなんですよね。
今も続く挑戦:店舗の現状と活動の広がり
柔道家として頂点を極めた松本薫さんは、引退後もまた別のフィールドで挑戦を続けています。
彼女が手がける「ダシーズ ギルトフリーアイスクリームラボ」は、今なお多くの人に注目されています。
メディアの取材を受けたり、商品開発に取り組んだりと、
ただ“店を持った”だけじゃなく、本気で事業と向き合っているんですよね。
店舗は、東京富士大学の五号館にある直営店。
大学の中という立地もユニークで、学生たちと交流しながら営業しています。
ただ、営業日は限られていて、月に数回というスタイル。
2025年7月時点では、3日と24日の2日間が営業日だったようです。
この「たまにしか開いてない」スタイルも、松本さんらしいなと思います。
無理に拡大するよりも、しっかり中身を届けることを大事にしているのでしょうね。
アイスは店舗だけでなく、全国の販売店やオンラインショップでも購入可能です。
どこにいても“罪悪感のないおいしさ”を楽しめるって、嬉しいことですよね。
そして何より、「元五輪金メダリストが作ったアイス」というだけじゃない、
中身の誠実さと、想いの深さが、多くの人を惹きつけているんだと思います。
「閉店」の誤解と再始動への歩み
実はこの「ダシーズ」の店舗について、一時期「閉店したらしい」という噂が広まりました。
ネットでも「もう食べられないの?」と心配する声があったんです。
でも、その噂は間違い。
正確には“閉店”ではなく、“長期休業”していただけでした。
理由は、2020年から続いた新型コロナの影響。
感染拡大の中で、大学構内での営業は難しくなり、結果として約4年間の休業期間に入ってしまったんですね。
それだけ長くお休みしていたら、「閉店した」と思われても仕方ないかもしれません。
でも2025年に入り、少しずつ営業を再開。
営業日は限られていますが、ちゃんと再始動しています。
再開後のアイスは、さらに進化しているようです。
素材や味のバリエーションも増えて、どれも体にやさしくて美味しい。
インスタグラムなどのSNSでも、新商品や営業日の情報が更新されています。
「行きたい!」と思ったら、まずはSNSチェックが鉄則ですね。
閉店と誤解されながらも、静かに、でも確実にまた動き出した松本さんのアイス事業。
一度止まった時計を、もう一度動かすって、なかなかできることじゃありません。
だからこそ今の松本さんの姿には、ただの“お店の人”ではなく、
また別の意味での“挑戦者”としての強さがにじんでいるように感じます。
まとめ
- 柔道家として世界の頂点に立った松本薫さんは、引退後に新たな道を歩み始めた
- 「ギルトフリーアイス」というユニークな挑戦は、過去の経験と想いが詰まったもの
- 一度立ち止まりながらも、再び動き出した姿が多くの人の心を打っている
世界の舞台で戦い続けた松本薫さんは、柔道だけでなく人生そのものが“挑戦”の連続でした。
引退後もただ静かに暮らすのではなく、自分の信念をもとに「ギルトフリー」という新しい価値を作り出した姿勢。
「誰かのために、もっとやれることがある」そんな気持ちが、彼女をまた前へと動かしたのでしょうね。
一度止まった店舗を再開させたという事実が、それを何より物語っています。
柔道家として、母として、そしてアイスクリーム職人として。
どんな肩書きでも、松本薫さんの“芯の強さ”は変わらないんだと思います。
ほんと、こういう生き方って素敵だなって思わされますよね。
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