テレビでは“ふわっと天然”な印象が強いハナコの菊田竜大さん。
でもその裏に、しっかりとした学歴と、ちょっと感動しちゃうような努力の道のりがあるって知ってました?
地元・千葉の小学校から始まり、法政大学を経て、ついにお笑いの世界へ飛び込んだ彼。
学生時代のちょっと笑えるエピソードや、芸人を目指したきっかけも含めて、思わず「応援したくなる人柄」が見えてきます。
この記事では、菊田さんの学歴と経歴を、わかりやすく深掘りしていきます。
読み終わる頃には、あなたの中の「菊田像」がちょっと変わってるかもしれませんよ。
菊田竜大のプロフィール
- 名前:菊田 竜大(きくた たつひろ)
- 生年月日:1987年6月12日
- 年齢:38歳(2025年10月現在)
- 出身地:千葉県柏市
- 身長:176cm
- 血液型:B型
- 所属グループ:お笑いトリオ「ハナコ」(ボケ担当)
- 所属事務所:ワタナベエンターテインメント
菊田竜大の学歴を一挙紹介!出身小学校から大学までの流れ
お笑いトリオ「ハナコ」のボケ担当として知られる菊田竜大さん。
ゆるっとしたキャラと“何を考えてるかわからない天然系”な立ち位置で人気ですが、実はちゃんとした学歴を持っているって知ってました?
千葉県出身の彼は、地元の小学校から大学まで進学し、最終的には東京の有名私立大学を卒業。
そんな菊田さんの学生時代の足跡を、時系列でざっくり紹介していきますね。
「ハナコが好き!」という人はもちろん、「最近テレビで見かけて気になってた」なんて人も、意外な一面が見えてくるかもしれませんよ。
それでは、小学校から順に見ていきましょう。
小学校〜大学までの学校名と偏差値・特徴を整理
まずは通っていた学校名を一覧でまとめておきますね。
- 小学校:柏市立風早北部小学校(千葉県柏市)
地元・柏市内の公立小学校です。
菊田さんはこの頃からすでに「面白い」と言われる存在で、自分でも「爆笑王だった」なんて語っています。
なんと家庭訪問で先生から「芸人になるんでしょ?」と言われたこともあったとか。
この一言が、芸人という職業を意識するきっかけになったそうです。 - 中学校:柏市立大津ケ丘中学校(千葉県柏市)
こちらも地元の公立中学校。偏差値はつけられていないですが、地元密着型の一般的な中学です。
部活には入らず「完全なる帰宅部」。
畳の部屋でひたすらゲームに打ち込んでいたそうで、くるぶしに“ゲームタコ”ができたというエピソードも。なんか、ちょっと共感しちゃいません? - 高校:流通経済大学付属柏高校(偏差値59~64)
通称「流経柏(りゅうけいかしわ)」。ラグビー部やサッカー部が強いことで有名な私立高校です。
3つのコース(Ⅰ類・Ⅱ類・Ⅲ類)がありますが、菊田さんはスポーツコースのⅡ類以外だったと推測されています。
つまり、普通科で成績もそこそこ優秀だったってことですね。
ちなみに、本人は高校名を公表していませんが、Wikipediaにも記載があり、複数の情報から確定されています。 - 大学:法政大学 経営学部(偏差値58)
東京の有名私立大学で、MARCHの一角として知られています。
菊田さんは「親に言われたからなんとなく進学した」と語っていますが、ちゃんと4年間通って卒業しています。
大学ではテニスサークルに入っていたそうですが、本当はお笑いサークルに入るつもりだったんですって。
ただ、その見学のときに「レベル高すぎて怖くなった」とのこと。逆に面白いですよね。
こうやって見ると、なんとなく進学してるようで、しっかりとした学歴を持ってるのがわかります。
「ゆるキャラ系ボケ担当」のイメージとは裏腹に、地に足のついた学生生活を送っていた菊田さん。
芸人になる前から、ちゃんと人生の下積みをしていたんですね。
学生時代は“爆笑王”!? 幼少期からの芸人の片鱗
テレビで見せる“何を考えているかわからない不思議キャラ”の裏には、実は子どものころから続いてきた「お笑いの素地」があったんです。
ハナコの菊田竜大さん、実は小学生の頃からすでに“周りを笑わせる天才”だったとか。
本人も「爆笑王だった」と語っているほどで、将来の道をすでに感じさせるような少年時代を過ごしていました。
じゃあ、どんな子どもだったの?というと…。
そこには、芸人の芽を感じさせる意外としっかりしたストーリーがあるんです。
小中学生時代のエピソードと家族との関係性
菊田さんが通っていたのは、千葉県柏市立風早北部小学校。
家族構成は、両親と姉の4人家族。
家庭の雰囲気はというと…とにかく「にぎやか」!
全員が話好きで、家族が集まると“会話の渋滞”が起きるほどだったそう。
なんか、楽しそうじゃないですか?
しかも本人いわく、自分は「マザコン」なんだそうで…。
インタビューでも
「僕も例にもれずマザコンだと思います」
と照れくさそうに語っていました。
そんな家庭環境だからか、菊田さんは小学校時代からすでに「面白い子」として知られていたんですね。
なんと、先生が家庭訪問に来たときには
「将来、芸人さんになるんだよね?」
って真顔で言われたとか。
本人はこのとき初めて「芸人って仕事があるんだ」と気づいたらしいです。
人を笑わせるだけでお金がもらえる?
それって最高じゃん!って感じたそうですよ。
この体験が、後の人生に大きく影響を与えたのは間違いなさそうです。
そして中学校は、柏市立大津ケ丘中学校へ進学。
ここでも特に部活には入らず、いわゆる“帰宅部”。
「ゲーム命」の毎日で、畳の上で何時間も同じ姿勢でプレイし続けた結果、くるぶしに“ゲーマータコ”ができてしまった…という笑い話まであるほど。
ちなみにこの中学、SixTONESの田中樹さんや、元KAT-TUNの田中聖さんの母校でもあります。
中学時代の菊田さんも、ステージに立つことはなかったけど、日常の中でしっかり“笑いのセンス”を育てていたんでしょうね。
派手じゃないけど、確実に「芸人の芽」はこの頃から育っていた──そんな空気を感じます。
高校時代の素顔:意外にも人前が苦手だった青春時代
お笑いトリオ「ハナコ」の中でも、天然キャラとして愛される菊田竜大さん。
テレビでは堂々とした姿を見せていますが、実は高校時代は「人前に出るのが恥ずかしかった」と語っているんです。
えっ、あの菊田さんが?って思いますよね。
でも、そんなちょっと意外な一面があったからこそ、今の“ふわっとした”おもしろさにつながっているのかもしれません。
今回は、そんな菊田さんの高校時代にぐっと迫ってみましょう。
部活動をせずに過ごした日々と文化祭の裏話
菊田さんが通っていたのは、千葉県の私立校・流通経済大学付属柏高校(通称:流経柏)。
この学校はスポーツがめちゃくちゃ盛んで、特にラグビー部とサッカー部は全国大会の常連。
でも菊田さんはというと──
なんと、部活には入らず“帰宅部”だったんです。
運動部のイメージが強い高校なので、ちょっと意外ですよね。
じゃあ放課後は何をしていたかというと、友達としゃべったり、家でのんびりしたり。
とにかく「自分のペース」を大事にしていたんだそう。
さらにおもしろいのが、お笑いが大好きだったのに、人前でネタを披露するのは苦手だったという点。
文化祭とか、絶好の“芸人の卵”アピールの場があるじゃないですか。
でも、菊田さんはそういう場でも「恥ずかしいからやらなかった」らしいんです。
なんか、わかる気がしません?
友達との会話では場を盛り上げるタイプだけど、いざ大勢の前に出るとなると「うわ、無理…」ってなっちゃう。
この頃は、「舞台に立ってウケたい!」というより、「身近な人たちを笑わせるのが好き」って感じだったのかもしれませんね。
ちなみに、高校ではどのコースに在籍していたかは不明ですが、偏差値は59〜64。
しっかり勉強もしていたことがうかがえます。
そんな“控えめな青春”を過ごした菊田さんですが、このあと大学で少しずつ変化していくんです。
法政大学での気づきと決断:芸人への第一歩
高校時代まで「人前に出るのはちょっと苦手…」と感じていた菊田竜大さん。
そんな彼が、いよいよ“お笑いの世界”に足を踏み出すきっかけとなったのが、大学時代のある気づきでした。
なんとなく大学に進んで、なんとなくサークルに入り、普通の大学生活を送る──そんな未来を想像していた彼にとって、ここでの経験は大きな転機だったんです。
そして、「やっぱり自分は面白いんだ」と、自信を持ち始めた瞬間も。
あの“天然ボケキャラ”が、どうやってお笑いの道を決断していったのか。
その裏側には、ちょっと笑えて、ちょっとグッとくるエピソードがありました。
サークル選びで感じた“恐怖”とお笑いへの覚悟
菊田さんが進学したのは、法政大学 経営学部(偏差値58)。
東京の私立大学の中でも、いわゆる“MARCH”の一角に入る有名校ですね。
とはいえ、彼自身は特別「経営を学びたい!」という志があったわけではなく、理由はシンプル。
「親に言われたから、なんとなく大学に行った」
──こういうところ、ちょっと親近感わきません?
そんなスタートを切った大学生活でしたが、ここで思いもよらない出会いがありました。
実は彼、最初はお笑いサークルに入るつもりだったんです。
でも、いざ見学に行ってみたら…そこで感じたのは「面白すぎて怖くなった」というまさかの感情。
え? どういうこと? って思いますよね。
要するに、すでに“出来上がってる笑い”がそこにあって、自分が入り込む隙間なんてないように感じたんだそう。
「自分なんかが入っても通用しない」って思っちゃったんですね。
結果、テニスサークルに入り、普通の大学生としての日々がスタート。
でもね、そこで終わらないのが菊田さんらしいところ。
ある日、友人から言われたひとこと。
「やっぱ菊ちゃん面白いな」
この“やっぱ”が、彼の心にズドンと刺さったんだとか。
このとき、菊田さんはこう思ったそうです。
「“やっぱ”って言われるってことは、みんなの中で自分=面白いが定着してるってことじゃん!」
それが自信になって、「やっぱり芸人になろう」と本気で思い始めたんです。
そして大学4年生のとき、ワタナベエンターテインメントが主催する素人限定オーディションを受けて合格。
そのまま卒業後にワタナベコメディスクール(WCS)へ入学する流れに。
ちなみに、WCSの同期には「クマムシ」や「エイトブリッジ」などがいて、後に「ハナコ」を結成する秋山寛貴さん、岡部大さんも同じクラスだったんですよ。
大学ではサークル選びで逃げたけど、結果的に一番大きな人生の選択をした。
このエピソード、ちょっとドラマみたいじゃありません?
ハナコ結成までの道のり:WCS入学からブレイクまでの軌跡
今ではテレビで見ない日はないくらい人気のお笑いトリオ「ハナコ」。
その“ボケ担当”として、独特のゆるさと愛されキャラを放つのが菊田竜大さんです。
でも、そんな彼がいきなりスポットライトを浴びたわけじゃありません。
法政大学を卒業後に芸人を目指し、お笑い養成所に入ってから、売れるまでには意外と長い道のりがあったんです。
うまくいかない時期や、不安でいっぱいだった時期──それでもあきらめずに続けてきたからこそ、あの「キングオブコント優勝」がある。
そんな“下積み時代からブレイクまでのリアルな軌跡”を追っていきましょう。
秋山とのコンビからハナコ結成、そして「キングオブコント」優勝へ
大学卒業後の2010年4月、菊田さんはワタナベコメディスクール(WCS)へ入学します。
ちなみに、ここで出会ったのが、後にハナコを組むことになる秋山寛貴さんと岡部大さん。
WCSの21期生として、同期には「クマムシ」や「エイトブリッジ」もいたんですよ。なかなか濃いメンバーですよね。
最初は、菊田さんと秋山さんの二人で「ウエストミンスター」というコンビを組んで活動していました。
でも、これがなかなか売れなかった。
事務所に所属できず、ライブに出ても手応えがなくて、正直言って「鳴かず飛ばず」の日々。
そんな中で、2014年に大きな転機が。
同じWCS出身の岡部大さんがコンビに加入し、3人で「ハナコ」を結成します。
このトリオ、実は結成してからもしばらくは苦戦していたんですが、2018年に大きなチャンスが訪れます。
そう、あの「キングオブコント」です。
約2,400組の中から勝ち抜き、なんと優勝!
特に、決勝で披露した“葬式のコント”は大きな話題を呼び、審査員からも大絶賛。
あの日を境に、彼らの名前は一気に全国に知られることとなりました。
もちろん、目立つのは演技力バツグンの岡部さんや、ネタ作りもこなす秋山さん。
でも、菊田さんの“何もしてないようでちゃんと面白い”存在感が、あの絶妙なバランスを生んでいるのは間違いありません。
実はネタ中の“無表情”や“間の取り方”にも、しっかり計算があるんですよ。
その後はテレビ・舞台・YouTubeと、活動の幅をどんどん広げていき、今や個人でも大人気。
ちなみに、2019年にはお笑いコンビ「ハルカラ」の和泉杏さんと結婚。
2021年には夫婦でYouTubeチャンネル「菊田ちゃんちゃんちゃんねる」も開設するなど、公私ともに絶好調です。
こうやって振り返ると、笑いに対する“諦めの悪さ”と、“誰かを楽しませたい”という気持ちが、ちゃんと報われたストーリーですよね。


まとめ
- 小学生の頃から「爆笑王」と呼ばれるほど人を笑わせるのが得意だった
- 高校・大学では“目立たないけど面白い”ポジションを貫いていた
- 芸人としての一歩は、小さな“やっぱ面白い”のひと言から始まった
なんとなく進んだ進路の先に、まさか“ハナコの菊田”が待っていたなんて、ちょっと素敵じゃないですか?
小さなきっかけが、自分の道を照らしてくれることもある。
菊田さんのゆるっとしたキャラの裏側には、悩んだり、立ち止まったりしながらも、「自分らしさ」を大事にしてきた姿がありました。
だからこそ、あの何気ないボケにも、ちゃんと人の心が動くんだと思います。
遠回りでも、なんだかんだで、自分を信じて進んでいけばいいんだよなぁ…そんな気持ちにさせてくれる人生でした。

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