岡部大さんって、今でこそテレビでよく見かける人気芸人ですが、
その裏にどんな学生時代や苦労があったのか…意外と知られていないかもしれません。
秋田の進学校でバスケ部のキャプテンだった高校時代。
第一志望の大学に落ちたあと、早稲田に進学してお笑いの道へ進んだ大学時代。
そして「キングオブコント」優勝で一気にブレイクした現在まで——。
この記事では、岡部大さんの経歴と学歴を一つひとつ丁寧にたどりながら、
「秀才」でも「芸人」でもある彼の等身大の姿をお届けします。
岡部大の現在に至る経歴とプロフィール
- 名前:岡部 大(おかべ だい)
- 生年月日:1989年5月30日
- 年齢:36歳(2025年10月時点)
- 出身地:秋田県秋田市
- 身長:173cm
- 体重:77kg
- 血液型:O型
- 所属グループ:お笑いトリオ「ハナコ」
- 担当:大ボケ
お笑いトリオ「ハナコ」の大ボケ担当として、テレビでもすっかりおなじみの岡部大さん。
最近は俳優としても活躍していて、NHKの朝ドラ『エール』にも出演していたんですよ。
でも、彼がここまでの道のりをどう歩んできたのかって、意外と知られてないかもしれません。
出身は秋田、学生時代はバスケに夢中、そこから早稲田大学を経て芸人の道へ――。
じつは、努力と転機の連続だったんです。
1989年5月30日、岡部大さんは秋田県秋田市で生まれました。
身長173cm、体重77kgとがっしりした体格は、学生時代のバスケットボール経験の名残でしょうね。
学生時代にお笑いの道へ進むきっかけをつかみ、ワタナベコメディスクール(WCS)に特待生として入所。
そこから芸人としてのキャリアが始まりました。
今では「ハナコの岡部さん」としてテレビで見ない日はないほど。
でも、その裏には地道な努力と挑戦の日々があるんです。
ハナコ結成からブレイクまでの道のり
岡部さんがハナコとして本格的に活動を始めたのは、2014年のこと。
この年、大学の仲間だった秋山寛貴さん、菊田竜大さんとともにお笑いトリオ「ハナコ」を結成します。
じつは、このとき岡部さんが途中から2人のコンビ「ウエストミンスター」に加入する形で「トリオ化」したんです。
ちょっと珍しいパターンですよね。
そこからは長い下積み時代が続きます。
テレビ出演は少なく、アルバイトで生活費を稼ぎながらネタ作りに励む日々。
岡部さんは築地市場の寿司店「大和寿司」で働いていたそうです。店主も「真面目でいい子だった」と話していたとか。
そしてついに、2018年。
転機が訪れます。
お笑い界の登竜門「キングオブコント」で、ハナコが見事優勝!
一夜にして名が知れ渡り、そこからテレビへの出演が一気に増えました。
“第七世代”のお笑い芸人として注目されるようになり、今ではバラエティ番組はもちろん、俳優としてドラマにも多数出演。
2020年には朝ドラ『エール』に出演し、「芸人なのに演技もうまい!」と話題になりました。
ちなみに、2021年には10年間交際していた一般女性と結婚。
プライベートも順風満帆なようです。
…なんか、がんばってる人って応援したくなりますよね。
ハナコ岡部さんのこれからにも、期待せずにはいられません。
高校時代:バスケと勉強に燃えた青春
岡部大さんの高校時代は、「青春」って言葉がぴったりくるような、エネルギーに満ちた日々だったそうです。
勉強だけじゃなく、部活にもしっかり打ち込んでいたというから、なんだか親近感わきませんか?
通っていたのは、秋田県立秋田高校。
1873年創立の伝統校で、県内トップレベルの進学校。偏差値はなんと69!
そのレベルの高さ、ちょっと想像できますよね。
そんなハイレベルな学校で、岡部さんはバスケットボール部に所属。
しかもレギュラー、さらにキャプテンも務めていたというから、かなりの実力者だったことがうかがえます。
高校時代は、秋田ノーザンハピネッツの田口成浩選手とも対戦したことがあるそうです。
プロ選手と戦ったなんて、すごい経験ですよね。
でも、実はケガが多かったことから、将来はバスケ選手ではなく「支える側」――つまりトレーナーや整復師を目指したいという気持ちも芽生えていたんだとか。
勉強面では、部活に力を入れていたこともあって、成績は一時かなり厳しかったそう。
学年320人中300番台ということもあったらしく、「大学なんてムリ」と周りからも言われていたそうです。
でも、そこから受験勉強を本気で始めて、見事に巻き返します。
「センター試験なら4択だから、やり方次第でいけるかも」
っていう独自の戦略で、成績をぐっと上げたんだそうですよ。
なんか、こういう話ってちょっと励まされますよね。
才能よりも“やるかどうか”が大事、って感じがして。
秋田高校での学生生活と印象的なエピソード
秋田高校といえば、真面目で優秀な生徒が集まる、いわゆる“ガリ勉”イメージを持つ人も多いかもしれません。
でも、岡部さんはその中でもかなり“キャラ立ち”していたタイプだったようです。
また、実はこの頃すでに「お笑い」にも挑戦していたんです。
高校の文化祭では、同級生の中山洋介さんと「エガラモガラ」というコンビを組んで漫才を披露。
秋田弁で「よろよろしている」という意味のユニークなコンビ名も、地元愛があふれてますよね。
高校時代から「バスケか、お笑いか」で本気で将来を悩んでいた岡部さん。
その悩みの“ど真ん中”にいた青春時代、かなり濃かったに違いありません。
大学時代:早稲田でお笑いの道へシフト
岡部さんの大学生活は、まさに人生の転機。
それまでのバスケットボール中心の毎日から、「お笑い」の世界へと大きく舵を切った時期なんです。
進学したのは、私立の名門・早稲田大学スポーツ科学部。
偏差値は61と難関レベル。キャンパスは所沢にあります。
入学当初は、周りがスポーツ推薦組ばかりでちょっと気後れしていたそう。
たしかに、周りが全国大会レベルの選手ばっかりだったら、なかなか打ち解けにくそうですよね。
バスケットボール部にも入っていたものの、1年生のときに辞めてしまいます。
「自分にはもう違う道がある」――そんな気持ちが芽生え始めていたのかもしれません。
そして新たに踏み出したのが、大学のお笑いサークル「お笑い工房LUDO」への加入。
この選択が、後の芸人人生のスタートラインになるんです。
筑波大学不合格からの逆転劇とLUDOでの活動
じつは、岡部さんが第一志望として目指していたのは筑波大学。
体育専門学群という、まさにスポーツの本場ともいえる学部です。
でも、実技試験でうまくいかず、惜しくも不合格。
「頑張ってきたのに…」と落ち込んだこともあったそうですが、そこで終わらなかったのが岡部さんらしいところ。
併願していた早稲田大学に見事合格し、新たなスタートを切ります。
そして大学1年の終わり頃、浪人して1年遅れで同じ早稲田に入ってきた中山洋介さんと再会。
「お前バスケやってないじゃん。じゃあ、またコンビ組もうよ」
そんな軽いやりとりから、「エガラモガラ」を再結成します。
大学のサークル「LUDO」では、先輩に“ひょっこりはん”、後輩に“にゃんこスターのアンゴラ村長”など、今思えば豪華な顔ぶれの中で活動していたんですね。
さらには、大学3年生のとき、「笑学祭」というお笑いイベントで優勝。
その勢いで、ワタナベコメディスクール(WCS)に特待生として入学。
ちなみに、WCSでは「クマムシ」や「マリカ」といった芸人が同期だったそうです。
芸人としての道が、いよいよ本格的に動き出します。
大学生活の中で、“筑波の挫折”をばねにして、しっかり自分の居場所を見つけた岡部さん。
ここから「ハナコ」結成、そして「キングオブコント優勝」へと続くわけですね。
中学・小学校時代:真面目な優等生とお笑いの芽生え
今では芸人として知られる岡部大さんですが、じつは子どもの頃から「お笑い」と「まじめさ」の両方を持ち合わせていたんです。
ちょっとギャップがありますよね。だけど、そこがまた岡部さんらしい魅力なのかもしれません。
生まれ育ったのは、秋田県秋田市。
小学校は「秋田市立四ツ小屋(よつごや)小学校」に通っていました。
お母さんが大の“お笑い好き”だった影響で、幼いころから「笑う犬シリーズ」や「爆笑オンエアバトル」などの番組を見ていたそうです。
お姉さんが買ってくるお笑い雑誌もこっそり読んでいたとか。
なんだか、将来芸人になる布石がこの頃からもうあった気がしませんか?
とはいえ、ただの“お笑い好きな子”ではありません。
小学生の頃から成績は優秀で、先生からも「模範的」と言われるような真面目な性格だったそうです。
運動神経も良くて、小学校時代からバスケットボールをスタート。
体育館でボールを追いかける姿が、なんだか目に浮かびますよね。
そして中学は、地元の「秋田市立御野場(おのば)中学校」へ。
ここでもバスケ部に所属し、主力選手として活躍していたそうです。
さらに、学級委員長までずっと務めていたというから、本当にしっかり者。
本人もインタビューで「ちびまる子ちゃんで言うと丸尾くんみたいな感じだった」と話していました。
お調子者に見えて、芯はまじめ。
このバランスが、のちのお笑いスタイルにもつながっているのかもしれませんね。
ちなみに、この頃から「お笑い芸人って面白そうだな」と漠然と思いはじめていたそう。
学校でもちょっとしたモノマネを披露して、友だちを笑わせていたこともあったとか。
真面目だけど、ふとしたときに笑いをとれるタイプ。
それって、なんかクラスに1人はいそうな、親しみのあるキャラですよね。
こうして、岡部さんのお笑いの“タネ”は、小中学校時代にじっくり育っていったわけです。


まとめ
- 秋田で育ち、真面目とお笑いの両方を持ち合わせた少年時代
- バスケと勉強に全力投球しながら、心の奥では芸人の夢を育んでいた高校・大学時代
- 挫折を乗り越え、お笑いトリオ「ハナコ」として一気にブレイク
振り返ってみると、岡部大さんの人生って、どこを切り取っても“人間くさい”ですよね。
うまくいかない時期もあった。
悩んで、迷って、それでも一歩ずつ前に進んできた。
それが今の活躍につながってるんだと思うと、なんだか胸があつくなります。
テレビで見ると、つい笑っちゃう岡部さんだけど、
その笑顔の裏には、しっかり積み重ねてきた時間があるんだなぁって。
これからも、そんな岡部さんをそっと応援していきたくなりますね。

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