ある日突然、ライブ会場でスカウトされて女優の道へ——。
そんな映画のようなスタートを切った芳根京子さん。
でも彼女の歩んできた道は、決して順風満帆だったわけではありません。
中学生のときには難病を経験し、高校時代には芸能活動との両立に悩みながらも、自分の道を選び取ってきました。
そして、19歳で朝ドラヒロインに抜擢されるまでのストーリーには、思わず胸が熱くなる場面がたくさんあります。
この記事では、芳根京子さんの学歴や経歴を小学校から現在まで丁寧にたどりながら、
転校の理由や芸能界での飛躍のきっかけとなった出来事まで、エピソード満載でご紹介します。
彼女がどうして今の“芳根京子”になったのか。
その答えが、きっと見えてくるはずです。
芳根京子のプロフィールと現在の活躍
- 名前:芳根 京子(よしね きょうこ)
- 生年月日:1997年2月28日
- 年齢:28歳(2025年現在)
- 出身地:東京都杉並区
- 身長:159cm
- 血液型:A型
- 家族構成:両親・兄の4人家族
- 所属事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント
ドラマや映画で見ない日はないほど、今や引っ張りだこの芳根京子さん。透明感のある演技や自然体な雰囲気で、多くの人を魅了しています。でも、彼女って一体どんな人?まずは基本的なプロフィールと、最近の活躍について見ていきましょう。
芳根京子さんは1997年2月28日生まれ。
出身は東京都杉並区です。
身長は159cmで、血液型はA型。
家族は両親とお兄さんがいて、幼いころから家族仲がとても良いことで知られています。
女優としてのイメージが強いですが、実は小学生のころから音楽や料理が大好きな多才な一面も。
今もたびたびインタビューで「料理を学びたい」という話をしていて、女優をやっていなかったら料理の道に進んでいたかも?なんてことも語っています。
そんな彼女の魅力は、なんといっても“自然体”。
演技中だけでなく、バラエティ番組やYouTubeに登場しているときも、飾らない姿が印象的です。
2025年現在もドラマや映画、CMなどに多数出演していて、若手女優の中でもトップクラスの存在感。
最近では主演作も増えてきており、その実力は確実に評価されています。
ちなみに、SNSではファンとの距離も近く、舞台裏の写真や日常のひとコマなどを気さくに発信してくれることも人気の理由の一つです。
「女優さんって遠い存在だと思ってたけど、芳根さんは親しみやすい」と感じている人も多いんじゃないでしょうか?
次は、そんな彼女がどうやって芸能界に入ったのか、そのきっかけを見ていきましょう。
芸能界入りのきっかけと現在の出演作
実は、芳根京子さんが芸能界に入ったのは、完全な“偶然”からだったって知ってました?
高校1年生のとき、友達に誘われて行った「遊助(上地雄輔さん)」のライブ会場でスカウトされたんです。
このときまでは芸能界に全く興味がなかったというから驚きですよね。
でも、少し前に高校の文化祭で映画制作に挑戦し、監督や脚本・編集まで手がけた経験があったんです。
そのときに「表現することって面白いな」と感じていたことが、スカウトを受け入れるきっかけになったそうです。
そして16歳で芸能界デビュー。
最初のドラマは、2013年の『ラスト♡シンデレラ』(フジテレビ系)でした。
そこからは、映画『物置のピアノ』でいきなり主演に抜てきされたり、NHK朝ドラ『花子とアン』に出演したりと、すごいスピードで活躍の場を広げていきます。
転機となったのは、やっぱり2016年のNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』でのヒロイン役。
この作品で芳根さんの名前は一気に全国区になりました。
その後も、
- 『海月姫』
- 『チャンネルはそのまま!』
- 『真犯人フラグ』
- 『Arc アーク』(映画)
- 『君と世界が終わる日に』
- 『鉄の骨』
など、多彩なジャンルで主要キャストを務めています。
最近では、大人の女性役も自然にこなすようになっていて、ますます演技の幅が広がっていますよね。
「オーディション荒らし」とも呼ばれたほどの実力派ですが、現場ではとても謙虚で真面目。
プロデューサーに「謙虚な気持ちを忘れないように」と言われたことを、今でも大切にしているそうです。
そんな真摯な姿勢も、長く愛される理由のひとつなのかもしれませんね。
出身高校と転校の理由
高校時代の芳根京子さんには、じつは意外な転機がありました。
彼女はもともと都立の高校に通っていたんですが、途中で通信制の高校に転校しているんです。
その背景には、「女優として本気で生きていく」という、10代とは思えないほどしっかりした決断がありました。
まず、彼女が入学したのは「都立深沢高校」。
東京都世田谷区にある学校で、偏差値はおよそ40。
昔ながらの公立校といった雰囲気で、校則がわりと厳しめなことで知られています。
ちなみにこの学校、実は女優の吉高由里子さんや松岡茉優さんも通っていたことで有名。
ただ、彼女たちも途中で転校していて、「芸能活動との両立が難しい」と感じる生徒が多いようなんです。
芳根さんも例外ではなく、高校1年のときに芸能事務所に所属し、本格的に女優の仕事を始めたことで、学校生活と両立させるのがどんどん難しくなっていきました。
でも、ここで「じゃあ仕事をセーブしよう」とはならないのが芳根さんのすごいところ。
むしろ逆で、「ちゃんと両立できる環境を選ぼう」と自分から行動に移したんです。
深沢高校から東海大望星高校へ—女優業との両立を選んだ決断
芳根京子さんが転校を決めたのは、高校2年生のとき。
選んだのは「東海大学付属望星高校」という通信制の高校です。
この学校は、芸能人やスポーツ選手など時間の融通が必要な生徒も多く通っていることで知られていて、芸能界でもわりとメジャーな存在。
卒業生の中には有名人も多く、進学実績も悪くありません。
東海大望星高校では、インターネット授業を中心に学び、必要なときにだけ登校する「スクーリング」というスタイルで学習を進めます。
そのため、撮影や仕事で忙しい日々を送りながらも、しっかり卒業を目指すことができるんです。
実際、芳根さんも仕事を優先しながらこの学校で無事に卒業しています。
転校のとき、クラスメイトと離れるのがとても寂しかったそうで、
「芸能界で頑張って、いつか“あのとき行動して良かったね”って言ってもらえるようになりたい」
と、インタビューで語っていました。
なんか、ぐっときませんか?
10代でそこまでの覚悟をもって環境を変えるって、簡単じゃないと思うんです。
でも彼女はそれをやってのけた。
その行動力が、今の活躍につながっているんだなと感じます。
ちなみに転校後も、元のクラスメイトたちとは交流が続いていて、文化祭に顔を出すこともあったそうです。
そういう人間関係を大切にするところも、芳根さんらしいなと思います。
中学時代に経験した大きな転機
今でこそ元気に活躍している芳根京子さんですが、実は中学時代に人生を大きく揺るがす出来事があったんです。
何気ない毎日の中で、ある日突然、体が思うように動かなくなる——そんな経験を彼女はたった13歳のときにしました。
当時、通っていたのは東京都杉並区にある「中瀬中学校」。
地元の公立中学で、吹奏楽部がとても盛んなことで知られている学校です。
芳根さんも、小学校から続けていたフルートを中学でも担当。
部活の練習はかなり厳しく、まるで体育会系のような雰囲気だったそうです。
でも、それを「楽しい」と感じるほど、部活に本気で打ち込んでいたんですよ。
そんなある日、彼女の体に異変が起こります。
急に手足に力が入らなくなり、立っているのもつらい状態に。
1年間は学校にほとんど通えず、治療に専念する生活が続いたそうです。
自身のブログではこう綴っています。
「なかなか笑顔になるのって難しかったけど、毎日“楽しいこと”を探してた」
その言葉からも、彼女がどれだけ前向きに病気と向き合っていたかが伝わってきます。
この経験を乗り越えた後、彼女はどこか吹っ切れたように明るくなったと語られています。
「人に必要とされるって嬉しい」と語ったのもこの頃で、フルート経験者として部活にスカウトされたことが、大きな転機になったとも話しています。
小学校時代の性格と家族の影響
人懐っこくて明るいイメージのある芳根京子さんですが、小さいころはまったく逆の性格だったって知ってました?
小学校時代は、人見知りが激しくて、自分の意見をうまく言えないタイプだったそうです。
通っていたのは、東京都杉並区にある「沓掛小学校」。
地元の公立小学校で、ここでの6年間が彼女にとってとても大切な時間になったようです。
インタビューでも、
「引っ込み思案だったし、友達もほとんどいなかった」
と振り返っています。
「自分なんて…」と卑屈になっていた時期もあったとか。
でも、そんな芳根さんの心を支えていたのが、家族の存在。
特にお母さんとはとても仲が良く、今でも「尊敬する人は母」と話すほどです。
何かあるたびに相談できる存在が身近にいるって、すごく大きいですよね。
音楽と料理に親しんだ少女時代
そんな引っ込み思案な芳根さんですが、実は小さいころから“好きなこと”にはすごく積極的でした。
ひとつは音楽。
小学校では吹奏楽部に入ってフルートを担当。
フルートを始めたきっかけは、音楽一家の影響で、コントラバス奏者の叔父さんやピアニストの叔母さんが身近にいたからだそうです。
年末年始には親戚一同でちょっとした演奏会を開くこともあったとか。
なんだか楽しそうな光景が浮かびますよね。
ピアノも習っていたそうで、今でもYouTubeなどでその腕前を披露することもあります。
その動画の伴奏が、なんと叔母さんだったりして、家族の絆が垣間見える場面も。
そしてもうひとつ、彼女が夢中だったのが「料理」。
幼稚園のころからキッチンに立って、お母さんのお手伝いをしていたんだとか。
高校時代には、進路を決める際に「料理の専門学校に行こうか悩んだ」と語っていたほど。
最終的には女優を選んだけれど、今でも「時間ができたら料理を本格的に学びたい」と話しています。
自分の“好き”を大切にして育ってきた芳根さん。
その積み重ねが、今の自然体で魅力的な彼女をつくっているのかもしれませんね。
女優デビュー後の急成長と「オーディションキラー」の異名

芸能界入りを果たした芳根京子さんは、デビューからわずか数年で注目の若手女優へと成長していきます。
そのスピード感は、まさに“駆け上がる”という言葉がぴったり。
そして、彼女の名を一躍有名にしたのが「オーディションキラー」という異名でした。
初めて女優としてテレビに登場したのは、2013年放送のドラマ『ラスト♡シンデレラ』(フジテレビ系)。
当時はまだ16歳で、芸能界に入って間もない時期です。
そこからの活躍が本当にすごい。
翌年には映画『物置のピアノ』でいきなり主演に抜てき。
このときの演技力が高く評価され、「この子はただ者じゃないぞ」と業界内でも話題になったそうです。
さらに同じ年には、NHKの朝ドラ『花子とアン』にも出演。
人気女優・仲間由紀恵さんの娘役という、なかなかのポジションを任されました。
当時からオーディションでは次々と役を勝ち取っていて、「オーディション荒らし」とか「オーディションキラー」と呼ばれるようになったんです。
なんか、すごい呼び名ですよね。
とはいえ、本人はプレッシャーも感じていたようで、インタビューでは「いっぱい落ちてますから!」と自分から明るく話していたとか。
そういう謙虚さも、彼女が愛される理由のひとつかもしれません。
演技に対してはとても真面目で、撮影現場でも台本の読み込みや役作りに全力。
仕事に対する姿勢が、ひとつひとつのチャンスをしっかりモノにしてきたんですね。
では、そんな彼女が朝ドラのヒロインに選ばれるまでのストーリー、気になりませんか?
次で詳しく見ていきましょう。
朝ドラヒロイン抜擢までの道のり
2016年、芳根京子さんはNHKの連続テレビ小説『べっぴんさん』のヒロインに大抜てきされます。
このとき、彼女はまだ19歳。若干10代で“朝ドラヒロイン”という大役を任されたんです。
このヒロインの座をかけたオーディションには、なんと2000人以上が応募。
その中から選ばれたのが芳根さんでした。
すごくないですか?
選ばれた理由は、ただ演技が上手だったから、だけじゃありません。
彼女の素直さ、芯の強さ、そして“普通っぽさ”に滲む魅力が、視聴者にしっかり届くと判断されたそうです。
実際、『べっぴんさん』では、混乱の中でも懸命に生き、子育てと仕事を両立させていく女性を熱演。
若さを感じさせない落ち着いた演技で、「朝ドラっぽい女優」として確かな存在感を残しました。
この作品をきっかけに、芳根さんの名前と顔は全国的に知られるようになります。
CMやバラエティ番組にも出演が増え、演技以外の素の表情が見られる機会も増えました。
ちなみに、当時のプロデューサーから「どんなに有名になっても、謙虚な気持ちを忘れないで」と言われたことを、今でも大切にしているそうです。
その言葉が、彼女の芯の強さをさらに育てていったのかもしれませんね。
こうして、“オーディションキラー”だった少女は、実力でチャンスをつかみ取り、一気に“国民的女優”へと成長していきました。
まとめ
- 偶然のスカウトから始まった女優人生
- 転校や困難も乗り越えた芯の強さ
- 素のままで愛される、努力の人
芳根京子さんの人生は、いつも自然体で、でも芯がしっかりしていて。
ただ可愛いだけじゃない、見えないところでちゃんと悩んで、選んで、歩いてきた人なんだなって、読みながら感じました。
きっかけは偶然でも、そのあとをどう生きるかって、やっぱり自分次第ですよね。
10代での転校の決断や、体の不調を経験した中学時代、そして一歩ずつ重ねた女優としてのキャリア。
どれもが、今の芳根さんの魅力にちゃんとつながっている気がします。
画面の中でも、SNSの中でも、どこか親しみを感じさせてくれる彼女。
これからの活躍も、きっと“そのままの芳根京子”で進んでいくんだろうな、そんな風に思わせてくれました。

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