岸井ゆきのさんって、どんな学生時代を過ごしてきたんだろう?
そう思って調べたら、女優とはまるで違う姿が見えてきました。
実は中学まで体操選手を本気で目指していたり、
進路に迷いながら体験入学を重ねたり、
山手線での偶然の出会いが人生を変えたり——。
この記事では、岸井ゆきのさんの学歴や経歴はもちろん、
女優として歩き出すまでのリアルなエピソードを丁寧にまとめています。
読むほどに、人としての魅力がじんわり伝わってくるはずです。
岸井ゆきのプロフィール
- 名前:岸井 ゆきの(きしい ゆきの)
- 本名:同じ
- 生年月日:1992年2月11日
- 年齢:33歳(2025年現在)
- 出身地:神奈川県秦野市
- 身長:150.5cm
- 血液型:AB型
- 所属事務所:ユマニテ(満島ひかり、安藤サクラらが所属)
芸能界入りのきっかけと初期キャリア
華やかに見える芸能界。でも、そこに足を踏み入れるきっかけって、案外「えっ、そんな偶然ある?」と思うようなものだったりするんです。岸井ゆきのさんもその一人。きらびやかなスポットライトの始まりは、まさかの“通学途中の電車”でした。
高校生でスカウト、山手線での偶然の出会い

岸井ゆきのさんが芸能界入りするきっかけになったのは、高校3年生のときのこと。
神奈川県秦野市から都内へ出る電車――その日も、彼女はバリスタの専門学校の体験入学に向かって、山手線に乗っていました。
そのとき、偶然同じ車両に乗っていたのが、ある女性フォトグラファー。
「すみません、写真のモデルになってくれませんか?」
声をかけられた瞬間、どれだけ驚いたでしょうね。なんか映画のワンシーンみたいじゃないですか?
しかもこの出会いが運命を動かします。彼女はこのフォトグラファーと撮影を重ねるうちに、「事務所探してるなら」と紹介され、演技派の俳優が多数所属する芸能事務所「ユマニテ」へ所属することに。
ちなみにユマニテといえば、満島ひかりさんや安藤サクラさんなど、個性派・実力派が揃うことで知られています。岸井さんもまた、その系譜に加わることになったわけですね。
女優デビューから注目されるまでの道のり
芸能事務所に入ったからといって、すぐに主役の座が回ってくるわけではありません。
岸井さんのデビューは、2009年のテレビドラマ『小公女セイラ』。当時は高校生で、まだ芸能活動も右も左もわからない状態。出演シーンはごくわずかで、セリフもほとんどなかったそうです。
でも、ここからコツコツと地道な下積みが始まります。
高校卒業後は大学に進まず、役者の道に本格的に進む決意を固めた岸井さん。
その後、舞台に積極的に出演したり、数々のオーディションを受けたりと、表には出ない努力を重ねていきます。
中でも転機となったのが、2014年の東京ガスのCM。この出演で「この子、誰?」と一気に注目される存在に。
さらに2017年の映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』ではついに映画初主演。
その演技が評価され、ヨコハマ映画祭で最優秀新人賞を受賞しました。
一気にスター街道を駆け上がったわけじゃない。けれど、一つひとつの経験を自分の糧にしてきた、その芯の強さが彼女の魅力なのかもしれません。
学歴と学生時代の意外な一面

今でこそ女優として大活躍している岸井ゆきのさんですが、実は学生時代はちょっと意外なことに本気で“体操選手”を目指していた時期がありました。そして、高校では将来の進路についてかなり悩んでいたそうです。そんな彼女の学生時代、ちょっとのぞいてみたくなりませんか?
中学まで本気で体操選手を目指していた理由
岸井ゆきのさんが体操に夢中だったのは、小学校1年生から中学3年生までの9年間。
秦野市内の体操クラブに所属し、毎日のように練習に励んでいたそうです。
「バク転も宙返りもできました。くるくる回るのが楽しかったんです」
と本人が語るように、その頃の将来の夢は“体操選手になること”。
知ってました? 身長が低いと体操では有利とされていて、当時148.5cmだった彼女にとっては、かなり本気で現実的な夢だったんです。
しかもただ習っていただけじゃありません。
中学時代には大会で優勝するほどの実力者だったとか。これ、もう完全にアスリート志望ですよね。
でも中学3年のとき、練習中にバック転で失敗してしまったんです。
そこから「飛ぶのが怖い」という気持ちが出てきてしまい、思うように体が動かなくなってしまったとのこと。
そのタイミングで高校受験も重なり、「もう体操をやめよう」と決意することに。
あんなに夢中だった体操を手放すなんて、すごく悩んだと思います。
でもこの決断が、のちに“女優”という新たな道を切り開くきっかけになったんですね。
高校での模索と体験入学、夢の変化
体操をやめた後の高校時代、岸井さんは「私は何になりたいんだろう」と、ずっと模索していたそうです。
通っていたのは神奈川県立秦野総合高校。普通科ではなく“総合学科”だったこともあって、いろんな分野を体験できるカリキュラムが組まれていたんです。
実際、調理の専門学校やバリスタ体験などにも積極的に参加していたとのこと。
「衣・食・住に関わる仕事がしたいな」と思っていたそうで、美容師や保育士にも興味があったんだとか。
なんか、わかる気がしませんか?
高校生のときって、「将来やりたいこと」って聞かれても、正直よくわからなかったりしますよね。
岸井さんもまさにそんな感じで、毎日のように「自分は何者なんだろう」って考えていたんだと思います。
でもそんなある日――山手線で声をかけられたことで、人生が大きく動き出します。
その“出会い”については前述で詳しく紹介していますが、彼女が女優として歩み始めたのは、そんな高校時代の迷いと模索の延長線上だったのかもしれません。
夢は変わっていく。だけど、それって自然なことなんですね。
出身校の詳細と偏差値
岸井ゆきのさんが通っていた学校ってどんなところ?気になりますよね。出身中学や高校には、彼女の個性を育てる土台となった環境があったようです。偏差値や学校の雰囲気、実はあまり知られていない情報も含めてご紹介します。
南が丘中学校・秦野総合高校の特徴とは
岸井ゆきのさんが通っていた中学校は、神奈川県秦野市にある「南が丘中学校」。
地元では比較的落ち着いた雰囲気の公立中学校で、生徒数はそれほど多くありません。
ちょっとおもしろいのが、この学校には後輩に「Hey! Say! JUMP」の山田涼介さんがいたこと。
学年は違えど、同じ校舎にいたって思うとちょっとワクワクしますよね。
そして高校は、同じく秦野市内にある「神奈川県立秦野総合高校」。
2007年に、秦野南が丘高校と大秦野高校という2つの高校が統合してできた新しい学校です。
偏差値は42とされていますが、それよりも特徴的なのは“総合学科”であるという点。
普通科ではなく、自分の興味や進路に合わせて選べる科目が多いんです。
例えば「福祉」「ビジネス」「アート」など、さまざまな分野に触れられるので、「将来何がしたいかわからない」という高校生にはぴったり。
岸井さんも、高校時代はいろんなことを体験しながら、自分の将来について考えていたそうですよ。
ちなみにこの学校は部活動が盛んなことでも知られていて、とくに女子ソフトボール部とバレーボール部は県内でも強豪。
ただ岸井さん自身は、体操をやめてからは部活には入らず“帰宅部”だったみたいです。
なぜ大学進学を選ばなかったのか
高校卒業後、岸井ゆきのさんは大学には進学していません。
それって、ちょっと意外に感じる人もいるかもしれませんね。
でも、これにはしっかりした理由があるんです。
高校3年のときにスカウトされて芸能事務所に所属し、女優としての活動をスタート。
その時点で「やりたいことはこれかもしれない」と感じ始めていたんだそうです。
実際、卒業後は舞台を中心にいくつものオーディションを受けて、演技の世界に本格的に飛び込んでいきます。
インタビューでも
「19〜20歳くらいのとき、1年に5本くらい舞台に出ていた。その頃に“これはもう絶対にやめられない”と思った」
と話しているほど。
もちろん、最初から順風満帆だったわけではありません。
仕事がない時期は、寿司屋や倉庫でアルバイトをしながら、役者としてのチャンスを探し続けていたそうです。
大学という選択肢を手放す代わりに、彼女は“女優として生きる”という道を全力で選んだんですね。
なんか、芯が強くてかっこいいと思いませんか?
現在の活躍と演技力への評価
デビューから地道にキャリアを積み上げてきた岸井ゆきのさん。近年では、主演映画や朝ドラへの出演など、注目される場面が一気に増えていますよね。でも、彼女がここまで評価されているのは「目立つ役をやったから」ではなく、その“演技の深み”に理由があるんです。
主演映画や朝ドラでの話題性と評価
岸井ゆきのさんの名前が一気に広まったきっかけの一つが、2017年の主演映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』。
この作品では、家族の死をきっかけに変わっていく主人公を、静かで繊細な表現で演じ切り、ヨコハマ映画祭で最優秀新人賞を受賞しました。
すごいのは、主演としてスクリーンに立つのが初めてだったにもかかわらず、その自然な存在感がしっかりと観客の心に届いていたこと。
知ってました? 実はこの映画で注目されるまでは、寿司屋でアルバイトしながら地道に活動を続けていたんです。
そして2018年、ついに全国区で注目されるチャンスがやってきます。
それが、NHKの朝ドラ『まんぷく』への出演。
岸井さんが演じたのは、安藤サクラさん演じる主人公・福子の姪っ子「タカ」。
しかも演じたのは、なんと14歳の女の子。実年齢は当時26歳でした。
年齢差が12歳もあるのに、違和感ゼロ。表情や声のトーン、動きまで細かく作り込んでいて、視聴者からも「岸井ゆきのって誰?演技うますぎ!」とSNSで話題になりました。
この作品をきっかけに、業界内でも「この子はただ者じゃない」と一目置かれる存在に。
演技派女優としてのポジション確立
岸井ゆきのさんの演技って、どこか“リアル”なんですよね。
大げさじゃないのに、気づいたら引き込まれてる。そんな魅力を持っています。
その理由の一つが、舞台経験の豊富さ。
映画やドラマと違って、舞台はその場で観客にすべてを見せる“生の演技”。ごまかしがきかない世界です。
岸井さんは10代の頃から多くの舞台に立っていて、若いうちから感情表現や身体の使い方をしっかり身につけてきました。
最近では、ドラマ『恋せぬふたり』や『パリピ孔明』など、まったく雰囲気の違う作品にも次々と出演。
クセのある役も、繊細な役も、自分のものにしてしまうあたり、本当にすごい。
それに、主役だけじゃなく脇役でも輝くタイプって、そうそういません。
セリフのない“間”ですら、感情が伝わってくる。
「この人、なんでこんなに目だけで語れるんだろう…」と思わせてくれる女優さんです。
今では、「演技派女優」としてのポジションをしっかり確立していて、業界内外からの信頼も厚い存在に。
次にどんな作品で、どんな表情を見せてくれるのか。岸井ゆきのさんから、ますます目が離せませんね。
家族や子供時代のエピソード

いまや演技派として注目を集める岸井ゆきのさん。でも、小さい頃はどんな子だったんでしょう?実は“人前が苦手”だったという意外な一面や、お兄さんとのエピソードなど、親しみを感じる子供時代の話がたくさんあるんです。
兄とケンカするほどの負けず嫌い
岸井ゆきのさんは、神奈川県秦野市で育ちました。
家族構成は、お父さん・お母さん・お兄さん、そして岸井さんの4人家族。
実は小さい頃からかなり“負けず嫌い”な性格だったらしく、特にお兄さんとはしょっちゅうケンカしていたんだとか。
なんか想像できますよね。きっと、ちょっとしたことで火花バチバチ…!
もちろん仲が悪かったわけではなくて、兄妹ならではの“良きライバル関係”みたいなものだったのかもしれません。
体操を始めたのも小学1年生のときですが、そうした運動への打ち込み方にも、彼女の「負けたくない」という性格が表れていたのかもしれませんね。
ちなみに、「向こうっ気が強い」ともよく言われていたそうで、こういう性格って、女優さんとして現場で強く生き抜くうえでも、きっと大事な要素なんじゃないでしょうか。
実は人前が苦手だった幼少期
今でこそ堂々と演技をこなし、舞台やスクリーンでも圧倒的な存在感を放つ岸井さん。
でも、幼少期は意外にも「人前に出るのがすごく苦手」だったそうです。
自分のことを“インドア派”と話していて、どちらかというと家の中で静かに遊ぶタイプだったんだとか。
「おとなしくて、引っ込み思案だった」とも語っていて、そんな彼女がなぜ今、人前で演技をする仕事を選んでいるのか、不思議に思いますよね。
でもたぶん、心のどこかで「表現したい」という思いは昔からあったのかもしれません。
演技をしているときは“別の自分”になれる。それが、恥ずかしがり屋だった少女にとって、すごく心地よい時間だったんじゃないかな、なんて想像してしまいます。
あの小さかった岸井さんが、今では堂々と主演をこなす女優さんに成長している。
なんだか、そのギャップがすごく魅力的ですよね。
まとめ
- 通学中の偶然が、女優人生のスタートに
- 体操少女から演技派女優へ、進路に悩んだ高校時代
- 飾らない人柄と深い演技力が、多くの人を惹きつける
静かな車内で声をかけられた、あの日の一言。
そこから始まった岸井ゆきのさんの歩みは、決して派手ではないけれど、一歩一歩に想いがこもったものでした。
体操に打ち込み、夢に悩み、迷いながらも進み続けた学生時代。
そして、“誰かを演じる”という場所で、ようやく自分の居場所を見つけていったんですね。
強く見えるけど、本当は繊細で。
遠くに感じるけど、どこか近くに感じる。
そんな岸井さんだからこそ、多くの人の心にすっと入り込むのかもしれません。
これからの活躍が、ますます楽しみですね。

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