え、倉中るなって工業高校出身なの?
そんな意外な学歴に、ちょっと驚いた人も多いかもしれません。
プレバトや女優、最近はアーティストとしても注目される彼女。
でも、その歩みをひもといてみると、ただ“華やかなだけ”じゃないんです。
家具づくりに汗を流した高校時代、グラフィックデザインに打ち込んだ大学生活、舞台の世界に飛び込んだきっかけ――
すべてが彼女の“今”につながっていて、どれもドラマみたいにおもしろいんですよ。
この記事では、倉中るなさんの経歴や学歴を、エピソードを交えながらじっくり紹介します。
モデルから始まり、女優・アーティストへと変化していったそのストーリーを、ぜひ一緒にのぞいてみてください。
倉中るなのプロフィール
- 名前:倉中るな(旧芸名:松井るな)
- 生年月日:1997年3月1日
- 年齢:28歳(2025年11月時点)
- 出身地:愛知県名古屋市
- 身長:168cm
- 血液型:O型
- 職業:モデル、女優、アーティスト
雑誌モデルや女優、最近ではアーティストとしても注目を集めている倉中るなさん。ここでは、まず基本的なプロフィールをおさらいしておきましょう。
1997年3月1日生まれ。
身長は168cmで、スタイルの良さは一目瞭然。
血液型はO型で、出身は愛知県名古屋市です。
もともとは「松井るな」という名前で活動していましたが、現在は「倉中るな」として活動の幅を広げています。
地元・名古屋では学生時代からグラフィックデザインを学びつつ、ファッションモデルとしての仕事もスタート。
そして大学時代には、舞台にも出演するようになり、女優業にも本格的に踏み出しました。
「モデルだけじゃ終わらない」
そんな思いが伝わってくるような経歴ですよね。
さらに、「プレバト!!」に出演した際には、水彩画の腕前が話題になったことも。
なんとネスカフェなどとのコラボ商品まで出しているんです。
多才すぎて、ひとつの肩書きではおさまりきらない人。
それが倉中るなさんの魅力でもあります。
モデルから女優へ―倉中るなのキャリア転機
最初は「キラキラした世界に憧れて」という軽やかな一歩だったモデルの仕事。
でも、そこから少しずつ広がっていった“表現の世界”は、彼女の人生を大きく変えていきます。
ファッションモデルとして活躍していた学生時代、彼女の関心はどんどん深まっていきました。
写真だけじゃ伝わらない“自分自身の表現”を求めるようになっていったんです。
そのタイミングで訪れたのが、舞台への出演のチャンス。
そこから女優業への扉が一気に開かれていきました。
「たまたま」と「必然」が交差した瞬間。
それが倉中るなさんのキャリアにおける大きな転機だったんです。
中学時代のスカウトとTGCでの出会い
「最初のきっかけは?」と聞かれたら、やっぱりここ。
中学3年生の時、彼女は名古屋で開催された東京ガールズコレクション(TGC)を観に行っていたんです。
ただ観に行っただけ…かと思いきや、まさかのスカウト。
実は、彼女、子どもの頃からモデルの仕事に強い憧れがあったそう。
「キラキラしててかっこいい」って、なんか、わかる気がしませんか?
スカウトされたことで、夢が一気に現実味を帯び始め、10代のうちからモデルとしての活動をスタート。
そこから仕事の現場で新しい刺激を受けていくなかで、彼女はどんどん“表現すること”に目覚めていきました。
大学課題が舞台出演のきっかけに
「えっ、そんなことが?」と思わず言ってしまいそうな話がこちら。
大学3年生のとき、倉中さんは「名古屋に関わるデザイン展示」という課題に取り組んでいました。
そこで彼女が選んだテーマが、母校・名古屋市立工芸高校デザイン科の100周年。
卒業生を取材して雑誌をつくるという企画を立ち上げ、自ら9人の卒業生にインタビュー。
その中には、舞台美術の世界でも有名な宇野亜喜良さんもいたんです。
そこで宇野さんに、こう尋ねられました。
「舞台に、興味はないの?」
それまで演技経験はゼロ。
でも「やってみたい!」という気持ちが勝り、舞台『星の王子さま』への出演が決定。
それが、女優・倉中るなの始まりとなりました。
仕事としてというより、“学び”の延長線上でつかんだ女優の道。
こういう流れ、ちょっとドラマチックで素敵ですよね。
出身高校は“工業系”異色の選択肢
モデルや女優として活躍している倉中るなさんですが、その学歴を見るとちょっと意外に感じるかもしれません。実は、彼女が通っていたのは“工業系”の専門高校なんです。ファッションや芸術の世界とは真逆にも思える工業高校ですが、そこにこそ倉中さんの個性や感性が磨かれた理由があるのかもしれません。
彼女が進学したのは、愛知県名古屋市にある「名古屋市立工芸高校」。
1917年創立という歴史ある学校で、公立の工業高校としては全国的にも知られた存在です。
倉中さんが選んだのは、その中でも「デザイン科」。
7つある学科のうち、デザインやアートに特化したコースです。
この高校の偏差値はおよそ50。
学力的には“普通”とされる水準かもしれませんが、ここで学べるのは机上の勉強じゃないんです。
「実際に手を動かして、ものをつくる」。
そのリアルな体験が、後のアーティスト活動にもきっと生きているはず。
一見地味に思える選択肢が、彼女の個性を際立たせる“伏線”だったのかもしれませんね。
名古屋市立工芸高校で学んだリアルな制作体験
倉中るなさんの高校生活は、一般的な「女子高生像」とはちょっと違っていたかもしれません。
なんと彼女、授業では“つなぎ”を着て、家具づくりに取り組んでいたんです。
しかも、その家具は自分の体よりも大きいサイズのものも。
そんなダイナミックな制作を、普通の高校生が日常的にこなしているって、ちょっとびっくりしませんか?
名古屋市立工芸高校では、木工や金工、グラフィック、プロダクトなど、幅広いジャンルのものづくりを学べる環境が整っています。
教科書の中だけじゃなく、“現場で生きるスキル”をリアルに体験できる。まさに、体で学ぶ学校なんです。
倉中さんは帰宅部だったそうですが、だからこそ放課後の時間を自分の作品やモデルの仕事に集中できたのかもしれません。
あの手で、あの感性で、つくられた家具たち。
今もどこかで使われていたりして…なんて想像するのも楽しいですよね。
先輩・森川葵も在籍した意外な芸能人輩出校
実はこの名古屋市立工芸高校、ちょっとした芸能人輩出校でもあるんです。
倉中さんが通っていた頃、1学年上にはなんと女優の森川葵さんも在籍していました。
地元名古屋出身で、今や映画やドラマで引っ張りだこの森川さん。
あの独特な存在感や表現力のベースも、もしかしたらこの高校で育まれたのかもしれません。
さらにこの学校の卒業生には、写真家の加納典明さんや、イラストレーターの宇野亜喜良さんなど、アートや表現の分野で活躍する著名人がずらり。
「工業高校って、ものづくりだけじゃないんだな…」って、ちょっと驚きますよね。
実践重視の教育、自由な発想、そして手を動かす日々。
その環境の中で、表現の種が自然と育っていったんだと思います。
倉中るなさんが“ただのモデル”にとどまらなかった理由。
その原点のひとつが、この高校生活にあるのかもしれません。
大学で追い求めた“グラフィックデザイン”という夢
モデルや女優としても活躍している倉中るなさんですが、実は大学では“グラフィックデザイン”を真剣に学んでいました。ステージやスクリーンの華やかさとは少し離れた、コツコツと作り上げる世界。でも、その経験があるからこそ、彼女の表現は芯が強くてブレないのかもしれません。
彼女が進学したのは、愛知県日進市にある名古屋学芸大学。
2002年に開校した比較的新しい大学で、デザインや映像、食、医療といった実践的な分野に特化した学部がそろっています。
倉中さんが選んだのは「メディア造形学部 デザイン学科」。
グラフィックやイラスト、映像、パッケージデザインなど、視覚表現を学ぶ学科です。
ここで彼女は、表に立つ側だけでなく「作品をつくる側」としてのスキルも、しっかりと磨いていきました。
名古屋学芸大学での専攻と実績
高校時代からデザインに興味を持っていた倉中さん。
大学ではさらに一歩踏み込んで、グラフィックデザインを中心に学びました。
文字の配置、色のバランス、伝わる構成…
一見オシャレに見える広告やパッケージも、実は細かい技術と工夫の積み重ねなんですよね。
授業ではポスターを作ったり、雑誌のレイアウトを考えたり。
「誰かに伝えるためのデザイン」を、日々実践していたそうです。
そして在学中も、芸能活動は継続。
「松井るな」の名前でモデルとして活動しながら、学業も両立させていました。
両立って、簡単なようでめちゃくちゃ大変。
時間のやりくり、体力的な負担、どちらも本気でやろうとすると本当にハードなんです。
でも彼女は、学ぶことも表現することも、どっちも諦めなかった。
だからこそ今の“多才な倉中るな”があるのかもしれません。
「高校100周年企画」で見せた企画力と行動力
そんな倉中さんが、大学時代に取り組んだ中で特に注目したいのが、「高校100周年記念プロジェクト」です。
3年生のとき、「名古屋に関わるテーマでデザイン展示をする」という課題が出されました。
彼女が真っ先に思い浮かべたのが、自身の母校・名古屋市立工芸高校。
ちょうどその年で100周年という節目を迎えていたんです。
そこで倉中さんは、過去の卒業生をテーマにした“記念雑誌”を制作することに。
取材から執筆、編集、デザインまで、すべて自分で手がけました。
その中で出会ったのが、著名なイラストレーターの宇野亜喜良さんや写真家の加納典明さん。
名だたる先輩たちに自らアポを取り、インタビューを行ったんです。
学生の立場でここまでやるって、なかなかできないこと。
本気で向き合わなきゃ、こういう行動力って出てこないですよね。
このプロジェクトを通じて、彼女は「人に伝えるデザイン」「心に残る表現」について、より深く考えるようになったはず。
そして、この経験が、のちに舞台出演へとつながっていく。
芸術と行動力が交差した、まさに倉中るならしいエピソードです。
幼少期からの“絵心”がテレビ出演にもつながる
倉中るなさんの名前がテレビで一気に注目を集めたのは、「プレバト!!」に出演したときのこと。
水彩画の査定でその腕前が話題になり、「ただの女優じゃない」とネット上でも驚きの声が広がりました。
でも、あの絵の上手さは、突然現れた才能じゃないんです。
実はずっと前から、絵は彼女のそばにあった存在なんですよ。
「子どもの頃から絵を描くのが好きだった」なんて話、よく聞きますが、倉中さんの場合はその“好き”が本気でした。
母親と一緒にお絵描きをしていた時間が、今につながっているなんて、ちょっと素敵じゃないですか?
母と描いた絵が原点、「プレバト」での活躍
倉中るなさんが絵を描き始めたのは、小さい頃から。
母親と一緒に、ノートや画用紙に思い思いの絵を描いて遊ぶ時間が、彼女の中では特別だったそうです。
「物心ついたころには、もう描いてた」というレベルで、絵を描くことは日常の一部になっていたんですね。
中学生になると、デッサンにも本格的に取り組むようになり、高校・大学でもデザインを学びながら、描く力をどんどん磨いていきました。
そんな彼女が「プレバト!!」の水彩画査定に出演したのは、まさに自然な流れ。
審査員からも高い評価を受けて、才能を再確認される形になりました。
SNSでも「センスありすぎ」「プロ級!」といった声が多く上がっていて、実際にその作品は番組内で上位評価を受けています。
なんか、応援したくなりますよね。
芸能の世界で活躍してるのに、技術でしっかり評価されるって、本当にすごいことだと思います。
商品コラボや個展も視野に?アーティスト活動の広がり
「テレビの一発屋」で終わらないのが、倉中るなさんのすごいところ。
プレバト出演をきっかけに、彼女は“アーティスト”としての活動もスタートさせています。
たとえば、コーヒーブランドのネスカフェや、アパレルブランドのフルーツ・オブ・ザ・ルームといった企業とコラボして、彼女の描いたイラストが商品化されているんです。
イラスト入りのグッズって、ファンにとってもすごく嬉しいですよね。
しかも、それが本人の手描きとなれば、特別感も倍増です。
将来的には、個展の開催や、オリジナル作品の発表など、もっと“アート寄り”の活動にも広がっていくかもしれません。
モデル・女優に加えて、アーティストとしても評価されるって、本当に稀有な存在。
それぞれの分野で「ちゃんと結果を出す」からこそ、周囲も本気で応援したくなるんですよね。
これからも、彼女の描く世界がどんなふうに広がっていくのか楽しみです。
松井るなから倉中るなへ―改名とともに広がる表現の場
ファッションモデルとして活動していた頃、彼女は「松井るな」という名前で知られていました。
でも、ある時から芸名を「倉中るな」に変えたんです。
改名にはいろんなきっかけや思いがあると思いますが、彼女の場合は、明らかに“転機”でした。
ただ名前が変わっただけじゃなくて、そこから女優として、アーティストとして、表現の幅が一気に広がっていったんです。
たとえば、舞台に初挑戦したり、水彩画で話題になったり、映画の主演をつとめたり。
どれも“松井るな時代”には見られなかった動きですよね。
名前が変わったことで、自分自身の見え方も変わったのかもしれません。
あるいは、“変わりたい”という気持ちが、改名という形になったのかも。
表現の世界って、自分をどう名乗るかが意外と大事だったりするんですよね。
「倉中るな」という名前には、きっと彼女なりの決意が込められているはずです。
ミスユニバース日本大会ファイナリストの実績
実は倉中るなさん、2019年にミスユニバースジャパンのファイナリストに選ばれています。
ミスユニバースといえば、ただキレイなだけじゃない。
内面の知性や、自分の考えを発信する力も問われる、かなり本格的なコンテストです。
そんな舞台に、彼女は挑戦したんです。
モデルとしての経験はもちろん、大学でデザインを学びながら磨いた“伝える力”が、ここで活きたのかもしれません。
ステージ上でのスピーチやウォーキング、表情の作り方まで、彼女は丁寧に準備していたそうです。
この挑戦をきっかけに、より多くの人に名前が知られるようになり、自信もついたはず。
「自分にはまだやれることがある」
そんな思いが、次のステージへの一歩を踏み出させたんじゃないでしょうか。
映画主演も果たした現在の活動領域
ミスユニバースの挑戦から約2年後、倉中るなさんは映画『甘い夏』で主演に抜擢されます。
共演は出口亜梨沙さんとのW主演。
この作品で彼女は、モデルでもなく、アーティストでもなく、“役者”としての表現に真正面から向き合いました。
初の映画主演という大舞台。
カメラの前で演じるというのは、やっぱり独特の緊張感があります。
でも倉中さんは、これまでに積み上げてきた感性や経験を総動員して、その役を生ききったんです。
それ以降も、「プレバト!!」やCM、雑誌、イベントなど、活動の場はどんどん広がり続けています。
彼女をひとことで説明するのは、もう難しいかもしれません。
モデルでも女優でもアーティストでもある、“倉中るな”というジャンルが出来上がりつつある。そんな印象すらあります。
これからどんな作品で、どんな姿を見せてくれるのか。
想像するだけで、ちょっとワクワクしてきますよね。
まとめ
- モデルとしてのデビューは中学生の頃、きっかけはTGCでのスカウト
- デザイン科で学び、舞台出演へとつながった大学時代の経験
- アーティスト・女優としても評価され、現在は多彩に活躍中
――“倉中るな”って、ほんとにひとことで語れない人なんですよね。
最初はモデルとして注目されていた彼女だけど、そこから舞台に立ち、水彩画を描き、映画の主演までこなすようになるなんて。
肩書きなんて意味をなさないくらい、ひとつひとつの挑戦を、自分らしく形にしてきたからこそ、今の彼女があるんだと思います。
きっと、これからもまだ見ぬ顔をたくさん見せてくれるはず。
どんな表現で、どんな世界を届けてくれるのか。
その変化が、楽しみで仕方ありません。

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