「清水梨紗って、どんな学生時代を過ごしてたんだろう?」
そんなふうに気になったこと、ありませんか?
今でこそ海外クラブでも活躍している清水選手ですが、実は中学で代表入り、高校でプロ昇格、大学では怪我に泣きながらも勉強と両立…と、地道な努力の連続だったんです。
この記事では、清水梨紗さんの経歴と学歴を時系列でわかりやすく紹介しています。
どんな環境でサッカーと向き合い、どうやって世界の舞台に立ったのか――。
学生時代のエピソードから、海外挑戦に踏み出した理由まで、まるっとまとめています。
清水梨紗のプロフィール
- 名前:清水 梨紗(しみず りさ)
- 生年月日:1996年6月15日
- 年齢:29歳(2025年現在)
- 出身地:兵庫県神戸市
- 身長:160cm
- 血液型:A型
- ポジション:ディフェンダー(主に右サイドバック)
- 所属クラブ:2025年9月 リヴァプールFCウィメンへの1年間の期限付き移籍
幼少期〜小学校:姉の影響で始めたサッカー人生のスタート

今でこそ日本代表のディフェンダーとして知られる清水梨紗さんですが、サッカーとの出会いは、実はかなり自然でさりげないものでした。きっかけをくれたのは、なんとお姉さんだったんです。
清水さんがサッカーを始めたのは、小学1年生のとき。
地元・兵庫県神戸市に住んでいた頃、「神戸コスモFC」というクラブチームに入団します。
最初にサッカーをやっていたのは2歳年上のお姉さんで、梨紗さんはその姿を見て「私もやってみたい!」と思ったそう。
…と言っても、実はお姉さんはあまり活発なタイプではなかったんだとか。
それだけに、娘2人がサッカーを始めたことに、両親はとても驚いたそうですよ。
でも梨紗さん自身、「お姉ちゃんがやってなかったら、自分もサッカーをしてなかったと思う」と語っていて、すごく大事なきっかけだったことが伝わってきます。
子どもの頃から外で走り回るのが大好きで、サッカーの練習に夢中になっていた梨紗さん。
学校が終わったらボールを持ってクラブへ直行。
「みんなが遊んでる時間に練習してても、別に羨ましくなかった」と話していて、なんかもう、その頃からサッカーに恋してた感じがしますよね。
神戸から横浜へ、FCすすき野レディースでの日々
そんな清水さん一家ですが、小学2年生のときに神戸から神奈川県横浜市へと引っ越すことになります。
新しい土地、新しい学校、そしてもちろんサッカーチームも変わることに。
そこで新しく所属したのが、横浜市内の「FCすすき野レディース」。
女子選手向けのクラブチームで、ここでも梨紗さんはすぐに主力選手として活躍を始めます。
ちなみに通っていた小学校は、「横浜市立黒須田小学校」。
学校ではもちろん勉強や友達との時間もあったと思いますが、やっぱり毎日の中心は“サッカー”。
この頃からすでに「遊ぶよりボールを蹴っていたい」タイプだったようで、まわりの子と同じように遊べなくても、全然苦に感じなかったんだとか。
これって、すごい集中力ですよね。
今の代表選手としての落ち着きや責任感の強さも、もしかしたらこの頃の“サッカー中心の毎日”が土台になっているのかもしれません。
当たり前のようにグラウンドに立ち続けていた日々が、のちに日本代表として世界と戦う力を育てていた——そう思うと、なんだか胸が熱くなります。
中学時代:日テレ・メニーナ加入と日本代表入り
清水梨紗さんのサッカー人生にとって、もう一つの大きな転機。それが中学時代にあります。
中学1年生で、あの日テレ・メニーナに加入したんです。
これは、日本女子サッカー界でもトップクラスの育成組織。日テレ・ベレーザの下部組織で、全国から才能ある若手が集まってきます。
そんな中で、清水さんはすぐに頭角を現していきます。
そしてなんと、中学2年生である14歳のときに、日本代表に初選出。
U-16世代の代表として、初めて日本のユニフォームを着て、世界を相手に戦うことになります。
中学生で代表デビューって…本当にすごいことですよね。
友達が部活や塾で過ごす時間、清水さんは代表合宿や国際大会に出場していたわけですから。
その経験が、のちの彼女のプレースタイルや考え方に大きく影響したことは言うまでもありません。
14歳で世界と対峙、体格差にショックを受けた初代表戦
初めての代表戦で対戦したのは、アメリカ代表。
同じ年代なのに、相手選手の体格が明らかに違う。ぶつかっただけでよろけてしまうような衝撃だったと、後に語っています。
「自分は、きゃしゃだって言われるので、もっとごはんを食べて筋肉をつけて、大きくならないとダメだと思いました」
彼女のこの言葉には、悔しさと決意が詰まっています。
普通だったらショックで心が折れてしまいそうな場面でも、清水さんは前を向いて努力に変えたんですね。
ちなみに、サッカー選手としての成長を優先しながらも、学校生活もきちんと送っていたようです。
通っていたのは、横浜市立あざみ野中学校。地元の公立中で、サッカーと勉強を両立する生活を3年間続けました。
プレーだけでなく、生活面でも地に足をつけて努力を続けていたからこそ、今の清水梨紗選手があるんです。
高校時代:元石川高校での3年間とベレーザ昇格
高校時代の清水梨紗さんは、まさに“成長期”まっただ中。サッカーの実力を一気に高めながらも、学業や日常も大切にしていた時期でした。彼女が過ごした神奈川県立元石川高校での3年間には、プロの舞台への階段を一歩ずつ登っていくリアルなドラマが詰まっています。
清水さんが進学した元石川高校は、1984年開校の県立の共学校。偏差値はおよそ56で、決してスポーツ専門校というわけではなく、どこにでもある「普通の学校」といった印象です。
でも、そんな環境の中でも彼女は一切ブレずに、サッカーに全力を注いでいました。
当時、清水さんはすでに日テレ・ベレーザの下部組織「日テレ・メニーナ」に所属。
そして高校2年生のとき、ついにトップチームである日テレ・ベレーザに昇格します。
つまり、高校生にしてなでしこリーグ1部でプレーする選手になったということ。
その一方で、勉強との両立は決して簡単ではなかったはずです。
朝は学校へ、夕方からはクラブチームの練習。移動時間も含めると、かなりタイトなスケジュールですよね。
それでも清水さんは、夢を追いかけながらも高校生活を楽しんでいたようです。
学校では普通の女子高生、ピッチではトップ選手に
プロの舞台に立っているとはいえ、学校ではあくまで「普通の女子高生」。
なんと、友達といるときはサッカーの話はほとんどしなかったんだとか。
本人いわく、クラスメイトも清水さんがテレビに映っているのを見て初めて「えっ、試合出てたの!?」と驚くこともあったそう。
なんか、わかる気がしませんか?
特別扱いされることもなく、自然体で高校生活を送っていたその様子は、彼女の人柄そのものを映しているようです。
とはいえ、サッカーの授業では男子に混じってプレーしたり、男子サッカー部の試合を応援に行ったりと、スポーツ好きな一面もちゃんと持っていました。
また、試合前の“マイルール”も持っていたようで、靴下の履き順や食事メニューまで決めていたとか。
ただ、高校時代のあるとき「海外では同じ環境で試合に臨めるとは限らない」と気づいてからは、そのこだわりをあえて捨てるようにしたそうです。
どんな状況でも実力を発揮できるよう、メンタル面の成長も重ねていたんですね。
国士舘大学時代:サッカーと学業の両立
大学でもサッカーだけをやっていたと思っていたら…ちょっと意外かもしれませんが、清水梨紗さんはちゃんと学業にも力を入れていたんです。
清水さんが通っていたのは、国士舘大学・21世紀アジア学部。学びの幅が広く、スポーツ選手の進学先としてもよく知られています。
高校卒業後も日テレ・ベレーザに在籍しながら、週4~5日は大学に通っていたそう。
家は神奈川県、クラブハウスは川崎市、そして大学は東京都町田市。
これ、かなりハードな移動距離です。しかもその合間にレポートを書いたり授業を受けたり…本当に、時間の使い方がうまくなければこなせないスケジュールですよね。
こうした「サッカー一辺倒じゃない学生生活」を送っていたからこそ、清水さんの芯の強さや視野の広さが育まれたのかもしれません。
怪我と向き合いながらも優勝を経験、韓国語履修の意外な理由
大学3年生のとき、清水選手は左鎖骨を骨折するという大きな怪我に見舞われます。
全日本選手権の試合中に起きたアクシデントで、全治3ヶ月。手術でボルトを入れることにもなりました。
そんな状態でも、彼女は前を向きます。
治療とリハビリを経て、日テレ・ベレーザはその年、リーグと全日本選手権で2冠を達成。
大きな痛みや悔しさを乗り越えて、チームと共に結果を出す。言葉で言うのは簡単ですが、相当な精神力が必要だったはずです。
ところで、ちょっと面白い話も。
清水選手は大学で韓国語を履修していたそうなんです。
なぜかというと、「韓国の選手ともっと話してみたい」と思ったから。仲の良い韓国チームの選手がいて、もっと深くコミュニケーションを取りたいという気持ちからだったそうです。
なんか、すごく人間らしくて素敵なエピソードじゃないですか?
勝ち負けだけじゃないところでも、人とのつながりを大事にしている姿が、彼女らしいなと思わずにはいられません。
清水梨紗の現在地:日本代表と海外クラブでの活躍
なでしこジャパンのサイドバックといえば、今や清水梨紗選手の名前を思い浮かべる人も多いはず。スピードと運動量を武器に、日本だけでなく世界でもその実力を発揮しています。では、そんな彼女は今どこでプレーしているのでしょうか?
清水梨紗さんは、2022年からイングランドの「ウェストハム・ユナイテッドFCウィメン」に所属しています。あの有名なウェストハムの女子チームですね。
もともとは日テレ・ベレーザ(日テレ東京ヴェルディベレーザ)で長年プレーし、なでしこリーグやWEリーグでも中心選手として活躍してきました。
その実力が評価され、ついに海外挑戦へ。なでしこジャパンでは、ディフェンスラインを支える頼もしい存在としてW杯など大舞台で奮闘しています。
しかも、守備だけでなく、オーバーラップからのクロスも高精度。攻撃の起点にもなる選手なんです。
このレベルの選手が海外に挑むって、なんだか日本のサッカーの未来がさらに明るく感じられますよね。
ウェストハム移籍と代表定着、26歳での大きな転機
清水選手がウェストハムに移籍したのは、2022年。年齢は26歳。女子サッカー選手としては脂の乗ったタイミングです。
彼女にとって、この移籍はキャリアのターニングポイントともいえる決断でした。
イングランドは女子サッカーのレベルも高く、フィジカルの強さも段違い。これまでの技術だけでは通用しない世界に、飛び込んだわけです。
でも、清水選手は怯みませんでした。
なでしこジャパンでのプレー経験、日テレ・ベレーザでの厳しいトレーニング、それらすべてが自信につながっていたのでしょう。
代表では右サイドのポジションを長く守り続け、W杯やアジアカップでも印象的なプレーを見せています。
彼女が最初に代表に選ばれたのは14歳のとき。その頃からの積み重ねが、26歳のこの挑戦につながっていると思うと、なんだか胸が熱くなりますね。
清水梨紗がマンチェスター・シティ加入後、リヴァプールへ期限付き移籍へ
2024年、なでしこジャパンのサイドバック・清水梨紗選手のキャリアに、大きな動きがありました。
まず、2024年6月30日付でイングランドのウェストハム・ユナイテッドFCウィメンとの契約が満了となり、退団が発表されます。
ウェストハムでは2シーズンにわたりプレーし、守備と攻撃の両面で存在感を発揮。海外初挑戦の地で、多くの経験を積みました。
その後、2024年7月12日にはイングランドの強豪・マンチェスター・シティ・ウィメンと契約。さらなる飛躍が期待されました。
しかし、同年夏に負った怪我の影響により、2024-25シーズンは公式戦の出場がゼロに。
リハビリに専念する日々が続き、サポーターの間では心配の声と、復帰を待つ温かい応援が広がっていました。
そして2025年9月5日、清水選手に再びチャンスが巡ってきます。
なんと、リヴァプールFCウィメンへの1年間の期限付き移籍が発表されたのです。
リヴァプールは、女子サッカーでも伝統あるクラブのひとつ。清水選手にとって、新たなスタートの場になることは間違いありません。
怪我からの完全復帰、そして再びピッチでの躍動する姿を楽しみにしているファンも多いはず。
彼女のこれからのプレーに、引き続き注目です。
まとめ
- 清水梨紗選手は幼い頃からサッカーに夢中だった
- 学業とサッカーの両立をこなしながら、10代で代表入り
- 海外挑戦も果たし、日本を代表するディフェンダーに成長
清水梨紗さんのこれまでの歩みを振り返ると、本当にサッカーと向き合い続けた人生だったんだなと感じます。
子どもの頃にお姉さんの影響で始めたサッカーは、いつの間にか彼女の軸になり、中学で代表入り、高校でプロデビュー、大学での怪我も乗り越えて、ついには海外挑戦へ。
どのステージでも努力を怠らず、自然体で進んできた姿に、素直に勇気をもらえますよね。
これからの活躍も、ますます楽しみです。

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