西山智樹さんって、今どんどん注目されてるけど、実はどんな人なんだろう?
オーディション番組で話題になった彼ですが、その歩みをさかのぼると、
少林寺拳法、サッカー、絵、ダンスと、挑戦のステージを次々に変えながらも夢をあきらめずに突き進んできた姿がありました。
この記事では、西山智樹さんの小中高~大学時代の学歴と、その時々に育まれた表現力や努力。
そしてTAGRIGHTでの新たなスタートまでを丁寧にたどっています。
「経歴と学歴だけじゃもったいない」――そう感じさせる彼の物語を、ぜひのぞいてみてください。
西山智樹のプロフィール
- 名前:西山 智樹(にしやま ともき)
- 生年月日:2000年2月23日
- 年齢:25歳(2025年現在)
- 出身地:東京都国分寺市
- 身長:171cm
- 血液型:A型
少林寺拳法で都大会優勝、小学生で黒帯を取得

西山智樹さんの名前を知ったとき、「タイプロの人だよね?」と思った方も多いかもしれません。
でも実は、彼が最初に本気で打ち込んだのは“少林寺拳法”だったんです。
しかも、小学生で黒帯、そして都大会優勝という実績付き。すごくないですか?
西山さんが少林寺拳法を始めたのは、まだ小学生の頃。
最初は「やってみなよ」と親にすすめられたのがきっかけだったそうですが、どんどんのめり込んでいきました。
ただ、最初から「格闘技大好き!」ってタイプではなかったようで、途中で「サッカーがやりたい」と親に伝えたこともあったそうです。
でも、そこで両親が言ったのが「目標を達成したら、辞めてもいいよ」という言葉。
西山さんはその約束を本気で受け止めました。
そして、小学生ながら黒帯を取得し、さらには都大会で優勝まで成し遂げちゃったんです。
この時点で「目標達成」。そこでようやくサッカーに転向することが許されたんですね。
なんだか、少年マンガの主人公みたいなエピソードじゃないですか?
小学生でここまでやりきる集中力と粘り強さ。
後にオーディションに何度落ちても挑戦し続けた彼の姿勢は、この頃からもう芽生えていたのかもしれません。
音楽と絵が身近にあった子ども時代の環境
拳法で汗を流す一方で、西山さんの家の中にはもうひとつ、彼の感性を刺激するものがありました。
それが、“音楽”と“絵”です。
両親ともに音楽好きで、家では自然と歌やメロディが流れていたんだとか。
小さいころから音楽に触れるって、感性が育つんですよね。なんか、わかる気がしませんか?
さらに、西山さん自身も絵を描くのが好きで、スケッチブックやノートにいろんな絵を描いていたそうです。
この「描く力」は、後の高校時代にTシャツのデザインや学校のポスターを手がけるなど、思わぬ形で活きてきます。
静と動、両方を行き来するような子ども時代。
そのバランス感覚が、彼のパフォーマンスにも自然とにじみ出ているのかもしれませんね。
サッカーと音楽に夢中だった中学時代の転機

西山智樹さんの中学時代は、ただの部活少年では終わりませんでした。
サッカーと音楽、まったく別の世界に同時に夢中になる、そんな揺れる時期だったんです。
中学校は、東京都国分寺市内の公立校に通っていたとみられます。
小学生のときに打ち込んだ少林寺拳法はすでに引退し、今度はサッカー部に入部。
とはいえ、サッカー経験はこの中学からのスタート。だからこそ、最初はなかなか上達できずに苦戦したようです。
「うまくなりたいのに、うまくいかない」。
そういうもどかしさ、なんか覚えがありませんか?
でも、西山さんは簡単にはあきらめなかった。
練習に打ち込み、仲間と過ごす部活の日々を楽しんでいました。
一方で、もうひとつの“夢中”が彼の心を占めはじめます。
それが「音楽」。
この頃にはすでに、家では音楽が流れ、両親の影響もあって歌やアーティストの存在が身近なものになっていました。
「サッカーだけじゃない、自分にはもっとやりたいことがあるかも」
そんな感覚が少しずつ芽生えていた時期だったのかもしれません。
三代目J Soul Brothersとの出会いと足の故障
ある日、西山さんは「三代目J Soul Brothers」に出会います。
この出会いが、彼の人生をゆっくりと動かし始めるんです。
彼らの圧倒的なパフォーマンスと、ステージで放たれるエネルギーに惹きつけられていった西山さん。
テレビやYouTubeで何度も映像を見返しては、自分も「こんなふうになりたい」と思うようになっていったそうです。
一方で、サッカーではつらい出来事もありました。
中学の途中で足を故障し、プレーを続けることが難しくなってしまったんです。
これまで一生懸命やってきたサッカーを諦めるのは、簡単じゃなかったはず。
でもその空いたスペースに、音楽やダンスへの思いがじわじわと入り込んできた。
今振り返ると、このタイミングがターニングポイントだったのかもしれません。
“走ること”から“表現すること”へ。
西山智樹さんの人生が、少しずつアーティストの方向へと傾いていった瞬間です。
都立小金井北高校で育まれた表現力と進学意識
西山智樹さんが通っていたのは、東京都立小金井北高校。
地元では“ちょっと頭のいい進学校”として知られていて、偏差値は64。なかなかの難関校です。
そんな学校に、一般受験で入ったというから驚き。
しかもこの頃の西山さん、ただ勉強してただけじゃありません。
むしろ「表現すること」にどんどん目覚めていった時期だったんです。
高校では、テニス部に所属。汗を流しながら仲間と本気でぶつかる日々。
でもそれと並行して、西山さんは絵を描いたり、デザインをしたりもしていたんですよ。
クラスのTシャツや、学校のしおり、イベントのポスターなんかも手がけたそうです。
こういう場面って、ただ上手いだけじゃなくて「どう見せるか」「どう伝えるか」が問われるんですよね。
彼の“表現力”は、教室の中でもじわじわ育っていたんだと思います。
そしてもうひとつ、注目すべきなのが進学への意識。
勉強も部活も遊びも、全力でやっていた高校生活。
そのぶん、成績はちょっと下がってしまった時期もあったみたいです。
でも「やばいな」と気づいてからの追い上げがすごかった。
あとで詳しく触れますが、結果的に西山さんは“明治大学”に進学します。
この高校時代、ダンスを始める直前の大事なステージ。
表現の種と、大学進学という選択肢。どちらもこの小金井北で芽を出していたんですね。
テニス部・デザイン活動・大学受験へのラストスパート
高校ではテニス部に所属していて、放課後はほぼ毎日ラケットを握っていた西山さん。
「本気でやってた」と語るほど、部活にも熱中していました。
だけど、彼は“運動だけの人”ではありません。
むしろ同級生の間では「絵がうまい人」として知られていたそう。
文化祭のTシャツや、学校行事のしおりなんかをデザインして、周囲を驚かせていたというからすごい。
感覚的なセンスだけでなく、「人にどう伝えるか」を考える力がすでに身についていたんでしょうね。
そんななか、高3になってからは進路を本気で考える時期がやってきます。
部活も落ち着いてきたころ、「やっぱりこのままじゃマズいかも」と思いはじめたそう。
そこからのラストスパートがまた西山さんらしい。
AO入試というチャンスを見つけて、必死に勉強し直して、明治大学への切符をつかみ取りました。
ギリギリでも、やるときはやる。
この高校時代の踏ん張りが、後の挑戦につながっていくわけですね。
明治大学にAO入試で合格、ダンスに没頭した学生生活
高校時代にギリギリで火がついた勉強への意識。
その集中力を武器に、西山智樹さんは見事「明治大学」にAO入試で合格しました。
「このままじゃまずい」と思っていた頃、AO入試という選択肢を知ったそうです。
一般入試よりも自己PRや課外活動などが重視されるこの方式。
それが、西山さんの経験と個性にピッタリはまったんですね。
得意だった英語では、なんと英検準1級を取得。
高校ではデザイン活動に取り組み、少林寺拳法やサッカー、テニスなど、幅広い経験も持っていた彼。
そのすべてをアピール材料にして、しっかり結果を出しました。
そして、晴れて入学した明治大学では――
今度は“ダンス”にどっぷりのめり込むことになります。
最初は、ただの興味。
サークルに入って、「ちょっと踊ってみようかな」くらいの感覚だったそうです。
でも、踊っていくうちにどんどん楽しくなって、気づけば毎日のように練習。
表現の手段が「絵」から「身体の動き」へと変わっただけで、夢中になる姿勢は変わりませんでした。
大学生活の前半は、安定した企業への就職も考えていたそうです。
でもこのダンスとの出会いが、彼の進む道を少しずつ変えていきました。
アーティストへの決意と親との対話
「やっぱり自分は、人前に立って何かを届けたい」
そんな想いが強くなったのは、大学1年生のとき。
踊れば踊るほど、自分が本当にやりたいことが見えてきたんです。
その先にあったのが、“アーティストになる”という夢。
ただ、それを親に伝えるのは簡単じゃなかったはず。
だって明治大学って、世間的にはしっかりした大学ですからね。
そのまま普通に就職すれば安定した未来があったかもしれません。
でも、西山さんは逃げませんでした。
「自分は本気でアーティストになりたい」と、まっすぐに気持ちを伝えたそうです。
その結果、ご両親も理解してくれた。
むしろ「そこまで本気なら応援する」と背中を押してくれたそうです。
この対話があったからこそ、彼は迷わず夢へと進むことができたんでしょうね。
大学という自由な時間の中で、自分を見つめ直し、進むべき道を選んだ西山さん。
その決意が、次の大きな挑戦につながっていきます。
日プ2・timelesz・ホリプロ新グループへ続く挑戦の記録
大学時代にダンスと夢を見つけた西山智樹さん。
でもそこから、順風満帆に道が開けたわけではありません。
むしろ、彼のストーリーは“何度も挑戦して、何度も落ちた”という現実の積み重ねでした。
最初の大きな挑戦は、2021年に放送されたオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』(通称・日プ2)。
韓国発の人気オーディション番組を日本版にローカライズしたもので、「INI」を生んだこの番組は、応募者1万人以上という大規模なものでした。
西山さんもその1人として出演。
ダンスや歌に全力を注ぎながらも、最終順位は63位。
デビューどころか、後半戦に進むことすらできませんでした。
その後も挑戦は続きます。
2022年には、エイベックスの育成プロジェクト「WARPs ROOTS」の選抜にもエントリー。
さらに2023年には、香港のオーディション番組『ASIA SUPER YOUNG』に出場。
けれど、いずれも結果は「不合格」。
それでも彼は止まりませんでした。
2024年に参加したのが、元「Sexy Zone」の3人が新たに始めた「timelesz project」。(通称タイプロ)
グループの新メンバーを選ぶ大型オーディションで、かなり注目されていた企画です。
西山さんはこのオーディションで、なんと5次審査まで進出。
全国各地の参加者の中で、終盤まで勝ち残ったんです。
「これがラストチャンスだと思っていた」と語っていた西山さん。
それだけの覚悟を持って臨んでいましたが、残念ながら最終審査には進めませんでした。
新ユニットTAGRIGHTとは
あと一歩のところで脱落。
普通なら、そこで夢をあきらめてしまってもおかしくないようなタイミングだったと思います。
でも、ここで物語が終わらなかったのが西山さんらしい。
なんと、オーディション終了後に、芸能大手・ホリプロから声がかかったんです。
しかも一緒に声をかけられたのは、同じく候補生として注目されていた前田大輝さん。
この2人を中心に、新しいボーイズグループを結成することが正式に決定しました。
この発表は2025年11月21日にネットニュースでも報じられ、SNSでも「ついに来た!」「絶対売れてほしい!」と話題に。
ファンの間では、すでに“この2人はセットで推せる”という声も多く、まるで息の合ったユニットのような空気感があるんです。
グループ名は「TAGRIGHT」(読み:タグライト)。
「自分のTAG(個性)を信じ、自ら選んだ道をRIGHT(正しさ・権利)に変えていきたい」
という2人の願いが込められています。
最終的なメンバーは番組を通じて2025年末に決定する予定とのこと。
ホリプロが本気で仕掛ける新プロジェクトとして注目度は急上昇中です。
失敗が続いても、諦めずに挑戦し続けた先にチャンスは転がっている。
そのことをまさに体現しているのが、西山智樹さんの2025年の姿です。
オーディション“落選”という経験が、彼にとっての終わりではなく、新たなスタートだった。
これから始まる新グループでの活動に、期待しかありません。

まとめ
- 小学生で黒帯を取得し、都大会優勝という努力の原点がある
- ダンスと出会い、大学から本格的にアーティストを志すように
- 何度もオーディションに落ちながらも挑戦を続け、2025年TAGRIGHTでついにデビューへ
西山智樹さんの歩んできた道は、決して一直線ではありませんでした。
少林寺拳法、サッカー、絵やデザイン、そしてダンス。
いくつもの挑戦と挫折を経ながらも、彼は自分にしかできない表現を見つけていきました。
何度落ちてもあきらめないその姿勢がホリプロの新グループ「TAGRIGHT」というカタチになって実を結んだのは、なんだか胸が熱くなりますよね。
まだスタートラインに立ったばかりの彼ですが、これからどんな景色を見せてくれるのか――静かに、でも確実に楽しみが広がります。

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