宇賀なつみさんって、どうしてあんなに自然体で魅力的なんだろう。
そう思ったこと、ありませんか?
この記事では、宇賀なつみさんの小学生時代から現在に至るまでの「学歴」と「経歴」を、エピソードたっぷりにご紹介します。
どんな経験が、彼女をあの「報ステ」の画面へと導いたのか。
その道のりを、ちょっとのぞいてみませんか?
宇賀なつみのプロフィールと幼少期の夢
- 名前:宇賀 なつみ(うが なつみ)
- 生年月日:1986年6月20日
- 年齢:39歳(2025年現在)
- 出身地:東京都練馬区
- 血液型:AB型
- 身長:164cm
- 職業:フリーアナウンサー・タレント
- 所属:元テレビ朝日(2009年〜2019年)、現在はフリー
テレビで活躍する宇賀なつみさんを見て、「アナウンサーってかっこいいな」って思ったことがある人、多いかもしれません。
でも、彼女がアナウンサーを目指したのは、実は大人になってからではなく、もっともっと小さい頃からだったんです。
なんと、小学校2年生のときに書いた作文には、将来の夢として「アナウンサーになりたい」と書いていたんですよ。
この頃すでに、テレビで話すお姉さんたちに憧れていたんでしょうね。
家では、よく「アナウンサーごっこ」をして遊んでいたんだとか。
子どもの遊びにしては、ちょっと大人っぽくて面白いですよね。
もしかしたら、その頃からマイクを持ってニュースを読む自分の姿が、頭の中にはっきり浮かんでいたのかもしれません。
練馬区立大泉南小学校時代の習い事や将来の夢
宇賀なつみさんが通っていたのは、地元・練馬区にある「大泉南小学校」。
この小学校時代の過ごし方が、のちのアナウンサーとしての基礎をつくったとも言えそうです。
習い事ではバレーボールをやっていて、運動も大好き。
さらに、12歳までピアノも習っていて、音楽の素養もちゃんとあったんです。
バトンクラブにも入っていて、まさに「何でもチャレンジするタイプ」だったことがうかがえます。
身体を動かすことも、表現することも、どちらにも興味があったんですね。
それにしても、小学生で「将来はアナウンサー」としっかり口にできるって、なかなかすごいと思いませんか?
夢って、途中で変わってしまう人も多いけれど、宇賀さんの場合はずっと心の中で大切に育てていたのかもしれません。
当時の友達や先生たちも、そんな宇賀さんの明るさと夢に向かう姿勢をきっと応援していたんじゃないでしょうか。
そんな少女が、のちに「報道ステーション」の顔になるなんて、ちょっと胸が熱くなりますよね。
音楽と明るさに包まれた中学時代
宇賀なつみさんが中学時代を過ごしたのは、地元・練馬区にある「大泉第二中学校」。
この3年間は、音楽と笑いがいっぱいの、にぎやかで楽しい時間だったようです。
小学生の頃から明るくて元気な子でしたが、中学生になってもその性格は変わらず。
教室ではモノマネを披露して友達を笑わせる、そんな“クラスの人気者”だったそうですよ。
しかも、ただ明るいだけじゃなくて、しっかり音楽に向き合う真面目な一面もあったんです。
その両面が、のちにテレビの前でも人を引きつけるアナウンサーとしての魅力に、つながっていくんだなぁと思うと、ちょっと面白いですよね。
吹奏楽部で培ったチームワークと自己表現力
宇賀さんは、中学時代は吹奏楽部に所属していました。
担当していたのは、ドラムやシンバルなどを含む「パーカッション(打楽器)」。
リズムで全体を支える、大事なポジションです。
音を前に出す楽器ではないけれど、全体の土台になる役割。
“目立ちすぎず、でも欠かせない”って、まさにアナウンサー的かも?
打楽器って、意外とセンスが問われるし、感情も乗せやすいんですよね。
宇賀さんがのちに“言葉で感情を伝える”プロになる、その基礎がこの頃から育っていたのかもしれません。
そして、吹奏楽ってやっぱり「みんなで音を合わせる」ことが命。
ひとりじゃ完成しないからこそ、仲間との信頼や連携がすごく大切なんですよね。
部活での経験が、後のチーム制作の番組現場でも、きっと役立ったはずです。
当時からすでに「協調性」と「表現力」の両方を持っていた宇賀さん。
それって、アナウンサーという仕事にピッタリの素質じゃないですか?
音楽に囲まれながら、笑顔が絶えない日々。
それが宇賀なつみさんの中学時代だったんです。
自主自律を学んだ進学校での熱い応援団生活
高校時代の宇賀なつみさんは、「進学校の優等生」なんてイメージとは、ちょっと違うかもしれません。
だけど、実際に彼女が過ごした高校生活には、“自由”と“熱血”がぎっしり詰まっていました。
通っていたのは、東京都練馬区にある都立大泉高校。
偏差値は65と、なかなかのレベルですが、それ以上に特徴的なのは“自由な校風”なんです。
制服がなく、毎日私服で登校。
校内ではギターを弾く生徒がいたり、髪を染めている生徒もいたり。
なんだか、ちょっと大学みたいな雰囲気ですよね。
そんな中で宇賀さんが大切にしていたのが、「自分で考えて行動する」こと。
こ
の学校のモットーが“自主自律”というだけあって、やらされるのではなく、自分から動く姿勢が求められます。
そして彼女は、その中でしっかり成長していったんです。
都立大泉高校での私服通学と“青春”の厳しい鍛錬
高校生活といえば部活、ですよね。
宇賀なつみさんは、意外にも応援団に所属していました。
「えっ、応援団?」って思った人、いますよね。
テレビで見るおっとりした雰囲気からは、ちょっと想像つかないかもしれません。
でも、実は彼女、とっても“体育会系”だったんです。
当時の大泉高校の応援団は、運動部に引けを取らないくらい厳しかったそうで、練習はガチガチの本気モード。
毎日の声出しや姿勢の訓練は、まさに汗と涙の青春そのもの。
宇賀さん自身も「あのときの練習ほど、つらいものはなかった」と語るほど。
それでも、最後までやりきった。
やめたくなかったのか? もちろんあったはずです。
でも彼女は、自分の中で「これが青春だ」ってちゃんと思える経験を、ひとつでも多く残したかった。
そんな気持ちで、真っ直ぐに走りきったんです。
ちなみに、応援団の傍ら、マクドナルドでアルバイトもしていたというから驚き。
勉強に部活にバイトまでこなしていたなんて、めちゃくちゃタフですよね。
この頃からすでに、仕事をしながら人前に立つことに慣れていたのかもしれません。
見かけによらず、芯の強さと責任感を持ち合わせていた高校時代の宇賀なつみさん。
彼女がのちに報道番組やバラエティで、どんな場面でも動じない理由、ちょっとわかる気がしませんか?
行動力と偶然が導いたアナウンサーへの道

子どもの頃から「アナウンサーになりたい」と思っていた宇賀なつみさん。
でも、実際にその夢が動き出したのは、大学生になってからの、ふとしたきっかけだったんです。
高校を卒業後、宇賀さんが進学したのは立教大学 社会学部 産業関係学科。
この学科は、2006年に募集停止となったので、今はもう存在していません。
偏差値は60ほど。
“勉強もできる、けど楽しむことも忘れない”という、宇賀さんらしい選択だったのかもしれません。
大学時代の彼女は、とにかくアクティブ。
テニスサークルに入って、仲間とワイワイ過ごしたり。
サークルの飲み会にもよく顔を出していて、“酒豪”キャラとして知られていたそうですよ。
しかも、月に1回はひとりで旅行に出かけるというフットワークの軽さ。
ときには、海外に一人でふらっと行くなんてことも。
行動力、すごすぎませんか?
ただ、そのころの宇賀さんは、「アナウンサーなんて自分にはなれるわけがない」と思っていたんだとか。
だからこそ、アナウンススクールに通ったり、ミスコンに出たりといった“王道ルート”は一切通っていません。
まさか、そこからキー局のアナウンサーになって、あれだけの活躍をするなんて…ちょっと信じられないですよね。
立教大学時代の自由な学生生活と意外な就職活動
転機が訪れたのは、大学3年生のとき。
「なんとなく就職活動を始めようかな」と思っていた時期に、日本テレビが開催していた“アナウンサー1日体験”の募集を見つけます。
無料だったから、ちょっと気軽な気持ちで応募したんですって。
でも、その1日体験がすごく楽しかったらしく、「じゃあ、試しにアナウンサー試験も受けてみるか」と思ったそう。
軽い気持ちで受けた日本テレビの試験が、なんと最終面接まで進みます。
それで「これは本気で挑戦してみよう」と決意して、テレビ朝日とTBSの採用試験にも応募。
結果、テレビ朝日から内定をもらい、2009年4月に入社することになります。
すごくないですか?
アナウンススクールも通ってない、ミスコンも出てない、完全に“異色のルート”での合格。
でも、だからこそ宇賀なつみさんらしいというか、偶然をチャンスに変えてしまう強さがあったんでしょうね。
きっかけはほんの小さな「興味」や「好奇心」だったかもしれない。
でも、そのあと自分の足で進んでいった行動力こそが、彼女を夢の世界へ連れて行ったんです。
テレビ朝日からフリーへ――キャリアの転機と現在

大学卒業と同時にテレビ朝日に入社し、報道・情報・バラエティと幅広く活躍してきた宇賀なつみさん。
そのまま局アナとして安定の道を歩む…と思いきや、32歳でまさかの退社。
そこには、彼女ならではの“飾らない選択”と、“変化を楽しむ力”がありました。
2009年、アナウンサーとして入社した宇賀さん。
最初に任されたのは、あの看板番組「報道ステーション」のお天気キャスター。
そこから約10年、彼女はテレビ朝日の“顔”として様々な番組に出演します。
「グッド!モーニング」「池上彰のニュースそうだったのか!!」「羽鳥慎一モーニングショー」などなど。
報道からスポーツ、バラエティまで、ジャンル問わず信頼される存在でした。
でも、それだけ活躍していたにもかかわらず、彼女は2019年にあっさりと退社します。
「もったいない」って思った人、正直多かったんじゃないでしょうか?
でも宇賀さん自身は、こう語っています。
「ほとんどのジャンルを経験して、同じことの繰り返しに感じてしまった。やり切った感があった」と。
その言葉からは、“もっと自分らしく挑戦したい”という気持ちが、すごく伝わってきますよね。
入社初日から報道ステーション、そして独立の理由
実は、宇賀さんはテレビ朝日に入社したその日の夜、すでに「報道ステーション」に出演していたんです。
アナウンサーとしての初仕事が、あのゴールデン帯の全国ネット番組。
めちゃくちゃ異例のスタートですよね。
これは、前任の市川寛子アナが別コーナーに異動したことで急きょ空いたポジションを、当時まだ研修中だった宇賀さんが埋めることになったから。
本来なら新人が出るような場面じゃなかったはずなのに、堂々とこなした彼女。
この時から、すでに“ただ者じゃない”空気があったのかもしれません。
そこから10年間、ずっと第一線で活躍してきた宇賀さん。
でも、安定よりも「変化」を選びました。
フリーになった今は、テレビだけでなく、ラジオやナレーション、さらには旅番組の企画まで幅広く手がけています。
仕事を“こなす”のではなく、“自分で作っていく”。
そんな姿勢が、多くのファンやスタッフから信頼されている理由なんでしょうね。
宇賀なつみさんの学歴と経歴を通じて見えた3つの魅力
- 小学生の頃からブレない夢と、それを叶える行動力
- 自由な環境でも自分を律し、やりきる強さ
- アナウンスの“王道”じゃない道からでも、自分らしく輝く選択
宇賀なつみさんの人生をたどってみると、「型にはまらないけど、まっすぐな人」という印象が浮かんできます。
小学校で夢を描き、中学では音楽にのびのび打ち込み、高校では応援団で汗を流し、大学では自由に生きながらチャンスをつかむ。
それぞれのステージで、自分らしく楽しみながら努力していた姿が、すごく印象的ですよね。
そしてテレビ朝日という大舞台でも、その姿勢はまったく変わらず、むしろ進化。
「やり切ったから次へ進む」という潔い決断も、宇賀さんらしい選択でした。
今もフリーアナウンサーとして自然体で活躍する彼女。
一歩ずつ自分の足で進んできたからこそ、言葉にも説得力があるんだなと感じさせてくれます。

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