「うたのおねえさん」として親しまれた、はいだしょうこさん。
でも、彼女の人生って、歌だけじゃ語れないほど奥が深いんです。
実は小学生でCDデビューしていたり、宝塚音楽学校を主席で卒業していたり。
さらには“画伯”としてお茶の間をにぎわせたことも。
そんなはいださんの学歴と経歴をたどっていくと、「なるほど、そういうことか」と思えるエピソードがぎっしり詰まっています。
この記事では、音楽一家に生まれた幼少期から、タレントとしての現在までを紹介していきます。
読めばきっと、はいだしょうこさんのイメージがガラッと変わるはずです。
「実はこんな人生を歩んでいたんだ」──そう思わずにはいられない、彼女の軌跡をご覧ください。
はいだしょうこのプロフィール
- 名前:はいだ しょうこ
- 生年月日:1978年3月25日
- 年齢:47歳(2025年12月現在)
- 出身地:東京都
- 身長:158cm
- 血液型:A型
音楽一家に生まれた少女時代と小学校での原点

はいだしょうこさんといえば、歌のおねえさんやタレントとして知られていますが、その原点はちょっと特別なんです。
実は彼女、生まれながらにして“音楽に包まれた暮らし”の中で育ってきたんですよ。
どんな子ども時代だったのか気になりませんか?
はいだしょうこさんのお父さんはピアニストで、国立音楽大学の准教授という本格派。
お母さんも声楽家で、家の中にはいつも音楽が流れていたそうです。
いわゆる「芸術が当たり前にある暮らし」だったんですね。
しかも、ご家庭はかなり裕福だったとのこと。
クリスマスや誕生日などの行事は家族そろって楽しみ、ごはんもみんなで食べるのが基本。
そんな温かい家庭の中で、たくさんの会話と音楽に囲まれて育ったんです。
でも、ちょっと意外かもしれませんが、はいださんは子どもの頃、人前に出るのが苦手な引っ込み思案だったそう。
いつもお母さんやお姉さんの後ろに隠れていたんだとか。
そんな娘の姿を見て、ご両親が「この子にも、自分を表現できる場所を持たせたい」と考え、始めたのが“歌”。
なんと、家で歌を歌っているときだけは、自分から前に出てくる姿を見て、
「この子には歌が向いてるかも」
と思ったそうです。
なんか、わかる気がしませんか?
好きなことって、無意識に身体が動いちゃいますよね。
その小さなきっかけが、やがて「歌のおねえさん」や「タカラジェンヌ」へと続く、長い道のりの始まりになっていきます。
英才教育と多彩な習い事が育んだ歌の才能
音楽好きの家庭に生まれたからといって、それだけでプロになるわけではありません。
はいだしょうこさんの場合、そこに加わったのが“本格的な教育”と“圧倒的な経験”でした。
通っていたのは、東京の私立「桐朋学園小学校」。
この学校は、音楽教育にも力を入れていることで知られており、芸術に触れるにはまさに理想的な環境です。
その中で、はいださんはとにかく多くの習い事にチャレンジしていました。
クラシックバレエにピアノ、声楽、水泳、タップダンス、さらには学習塾まで。
毎日のようにスケジュールが詰まっていて、「今日は何のレッスンだったっけ?」なんて日もあったそうです。
そして注目すべきは、9歳から始めた童謡とポップスの学び。
この経験が、彼女の歌手としての土台を作っていくことになります。
童謡コンサートに出演したり、なんと「全国童謡コンクール」でグランプリを受賞!
小学生の頃には、すでに自分のCDまでリリースしていたというから驚きですよね。
本人も、小学校時代のステージ体験についてこう語っています。
「ステージで歌って拍手をもらったとき、ものすごく嬉しくて、歌の世界で生きていきたいって思ったんです」
その実感が、将来の道をはっきりと示してくれたんですね。
やりたいことが小学生のうちに見つかるって、本当にすごいこと。
この時期の経験が、はいだしょうこさんの“表現者としての原点”になっていたのは、間違いありません。
この後、中学・高校・宝塚と、彼女の人生はますます輝きを増していきます。
続きを知りたくなってきませんか?
中学校時代に芽生えた宝塚への憧れとその準備

歌が大好きだった少女・はいだしょうこさんは、小学生の頃に童謡コンクールでグランプリを受賞し、すでに舞台に立つ楽しさを知っていました。
そんな彼女の中に、ある日ふと芽生えた“新しい夢”がありました。
それが、あの華やかな「宝塚歌劇団」への憧れです。きっかけや準備の話、ちょっと気になりませんか?
中学時代のはいださんが心を惹かれたのは、舞台の世界。
特に宝塚のキラキラした世界観には、強く惹かれるものがあったそうです。
実は、はいだ家では両親も宝塚歌劇団のファン。
テレビや舞台を通して、家の中でも自然と宝塚の話題が出ていたんだとか。
そうした日常の中で、しょうこさん自身も「タカラジェンヌってすてきだな…」と感じるようになっていきます。
中学生になると、「うたのおねえさんになりたい」から、「タカラジェンヌとして舞台に立ちたい」という目標へ、心のベクトルが変わっていったんですね。
そして彼女は、夢を夢のままで終わらせませんでした。
“準備”も着々と始めていたんです。
当時からクラシックバレエや声楽のレッスンに加え、立ち居振る舞いや表現の練習にも力を入れていたとか。
宝塚の受験には、音楽や踊りだけじゃなく、演技や礼儀作法まで見られるため、かなり幅広い力が求められます。
それを中学生のうちから意識していたなんて、ちょっとすごいですよね。
将来を見据えた努力を、中学生のうちからコツコツ積み上げていった──。
この時期に芽生えた想いこそが、はいだしょうこさんを次のステージへと導く第一歩になったのは間違いありません。
桐朋女子中学校で過ごした日々と進路への決意
夢を抱きはじめた中学生のはいださんが通っていたのは、東京にある「桐朋女子中学校」。
伝統ある私立の女子校で、当時の偏差値は60前後。
かなりの実力がないと入れない、やや難関の学校でした。
しかも彼女は、小学校から桐朋学園に通っていたため、いわゆる“内部進学”。
学業と芸術活動を両立できる環境で、安心して自分の道を探せたのかもしれません。
中学校では、勉強だけでなく、音楽や舞台表現への意識もさらに強くなっていきます。
「好き」だけじゃ続かない。
本気で進みたいなら、それなりの覚悟がいる。
そんな空気の中、はいださんは「宝塚音楽学校に行く」という明確な目標を持つようになったんです。
まだ中学生だったにもかかわらず、すでに将来をしっかり見つめていたんですね。
その決意を胸に、日々の生活やレッスンにもいっそう真剣に取り組むようになっていったそうです。
思春期の多感な時期に、自分の進むべき道を自分で決めて、行動に移す──。
この経験が、その後の人生に大きな自信と力をくれたのではないでしょうか。
はいだしょうこさんの“決意の芽”は、まさにこの桐朋女子中学校で育まれていったんです。
この先、彼女は高校でさらなる挑戦に踏み出していきます。
気になるその続きも、ぜひ読んでみてくださいね。
国立音大附属高校から宝塚音楽学校へ〜決断と挑戦
宝塚を目指すという夢を本気で追いかけ始めたはいだしょうこさんは、中学卒業後に「国立音楽大学附属高校」へと進学します。
ただ、そこでの選択は、普通の高校生活とはちょっと違いました。
歌の道を極めるための学びと、宝塚という大きな挑戦。
その両方を抱えながら過ごした高校時代には、迷いと決断が入り混じっていたんです。
はいださんが選んだのは、東京都立川市にある国立音楽大学附属高校の音楽科。
この学校は、声楽やピアノなど専門的に音楽を学べることで知られていて、芸術系の進路を考える生徒に人気のある高校です。
はいださんも声楽専攻で入学し、歌の表現をより深く学んでいきました。
でも実はこの高校生活は、彼女にとって“通過点”。
なぜなら、すでに中学時代から「宝塚音楽学校に入りたい」という強い想いがあったから。
だから、高校に通いながらも、宝塚の入試に向けてクラシックバレエを習ったり、表現の練習に力を入れたりと、日々の生活は常に“夢への準備”で埋め尽くされていました。
最初の挑戦は、高校1年生のとき。
宝塚音楽学校を受験しますが、結果は不合格。
でもここで諦めないのが、はいだしょうこさんなんです。
「来年、もう一度受ける」
そう心に決め、さらに自分を磨き続けました。
そして迎えた高校2年生の春。
2度目の受験で見事に合格!
超難関と言われる宝塚音楽学校に合格するなんて、ほんとうにすごいことなんです。
当時の倍率は20倍近くになることもあるほど。
“才能と努力と覚悟”、全部がそろっていなければ受からない世界です。
その合格を手にしたとき、彼女が選んだ道は──進学中だった高校を中退して、宝塚へ進むという大きな決断でした。
難関校への合格と高校中退の選択
はいだしょうこさんが合格した宝塚音楽学校は、兵庫県宝塚市にある、言わずと知れた舞台の名門校。
入学するだけでも全国から注目されるほどの“特別な場所”です。
でも、そこへ行くためには、当時通っていた高校を辞めるという決断が必要でした。
国立音大附属高校は、音楽の専門教育を受けられる恵まれた環境。
中退するのはもったいないという声もあったかもしれません。
でも、はいださんの心は決まっていました。
「やっぱり私は、宝塚に行きたい」
その想いの強さが、高校中退という勇気ある選択につながったんです。
このとき17歳。
その年齢で「今の場所を離れてでも挑戦したい」と決めるのは、簡単なことじゃありませんよね。
でも、自分の目指す世界がはっきり見えていたからこそ、迷いなく一歩を踏み出せたのでしょう。
こうしてはいだしょうこさんは、夢に向かって本気で動き出します。
その舞台は、次のステージ「宝塚音楽学校」へと移っていきます。
宝塚で培われた厳しさと表現力
夢にまで見た宝塚音楽学校に入学したはいだしょうこさん。
だけど、待っていたのは華やかさとはほど遠い、想像を超えるほどの厳しい毎日でした。
舞台の世界で生きていくためには、技術だけでなく心構えも問われる。
そんな現実と向き合いながら、彼女は少しずつ“本物の表現者”として成長していくことになります。
はいだしょうこさんが宝塚音楽学校に入学したのは、高校2年生の春。
それまで学んできたクラシックバレエや声楽、そして舞台表現。
すべてがここで本格的に試される日々の始まりでした。
入学当初から驚かされたのは、とにかく規律が厳しいこと。
「1年目は笑ってはいけない」という暗黙のルールもあり、少しでも気を抜くとすぐに先輩に注意される世界だったそうです。
「顔が生意気」と言われて、何度も怒られたというエピソードもあるくらい。
たしかに厳しい環境だけど、それもすべて“舞台に立つ覚悟”を養うためのものなんですよね。
でも、その厳しさの中には、仲間との絆や先生方からの熱い指導もありました。
毎日のレッスンは、まさに全身全霊。
朝から晩まで、クラシックバレエ、声楽、演劇、そして所作やマナーまで、あらゆる訓練がみっちり詰まっていたそうです。
そんな生活のなかで、はいだしょうこさんは着実に力をつけていきます。
人前に立つことが苦手だった少女が、表情、声、仕草──すべてで“伝える力”を手に入れていったんです。
それが、のちの「うたのおねえさん」にもつながる、豊かな表現力の土台になっていったのは間違いありません。
オペラ部門主席の実績と過酷な寮生活
実力社会の宝塚音楽学校で、はいだしょうこさんは大きな成果を残しています。
なんと、声楽の分野では「オペラ部門主席」というトップの成績をおさめ、さらに「ポピュラー部門最優秀歌唱賞」まで受賞。
これ、かなりすごいことなんです。
あの宝塚で“歌の実力”を誰もが認めるレベルまで磨いたということですから。
でも、そんな輝かしい実績の裏には、並々ならぬ努力と我慢がありました。
寮生活は特に過酷だったそうで、毎朝5時前には起きて掃除。
1時間半もかけて学校中をピカピカにするのが日課でした。
「髪の毛1本でも落ちていたらダメ」と言われるほど、徹底した管理。
眠くても、寒くても、そんなこと言っていられない毎日。
でも、それをやりきったからこそ、舞台に立つときの“覚悟”や“集中力”が身についたんでしょうね。
ただ、そんな生活の中でも、はいださんは音楽や表現と向き合うことをやめませんでした。
厳しい日々のなかで磨かれた「芯の強さ」は、その後の彼女の活動すべてに通じていきます。
タカラジェンヌとしての舞台、そして子どもたちの前で歌う“うたのおねえさん”としての姿──
どちらにも、この宝塚での経験がしっかり息づいているんです。
思い返すと、あの厳しさがあったからこそ、はいだしょうこさんの表現には“深み”があるのかもしれませんね。
うたのおねえさんからタレントへ、輝く多彩なキャリア
宝塚で厳しい訓練を積み、舞台の世界で表現力を磨いたはいだしょうこさん。
その後、彼女が世間に広く知られるきっかけとなったのが、NHK「おかあさんといっしょ」の“うたのおねえさん”としての活躍でした。
そこから、彼女のキャリアは想像以上に広がっていくことになります。
2003年、はいだしょうこさんは「おかあさんといっしょ」の19代目・うたのおねえさんに就任。
この時、すでに24歳。
5年間にわたって、全国の子どもたちに歌の楽しさを届けました。
相方は「今井ゆうぞうさん」。
息ぴったりの2人は、番組内でも人気を博し、親世代からも「癒される」と話題になったことを覚えている人も多いかもしれませんね。
宝塚時代とはまた違う意味で、はいださんの表現力が光ったのがこの時期。
ただ上手に歌うだけじゃなく、子どもたちの目線に合わせて、笑顔や言葉で安心感を届ける。
それって、実はすごく難しいことなんですよね。
それだけじゃありません。
はいださんといえば、ちょっと“天然”な一面でも知られています。
番組内でイラストを描いたとき、その独特すぎる画風が大人たちの間で話題に。
ネットでも「画伯」「シュールすぎる」なんて言われて、一気に注目が集まりました。
なんか、わかる気がしませんか?
完璧なだけじゃない、ちょっと不思議でかわいらしい雰囲気が、彼女の魅力のひとつなんです。
この“天然っぽさ”が、次のステージへとつながっていきます。
うたのおねえさん卒業後、彼女は新たなフィールドへと足を踏み出しました。
天然キャラで全国区に躍進した後の活躍
2008年に「おかあさんといっしょ」を卒業した後も、はいだしょうこさんの活躍は止まりません。
翌年2009年からは、なんとあの人気番組『笑っていいとも!』の曜日レギュラーに抜擢。
お昼のバラエティというまったく新しい舞台でも、彼女の個性はしっかり光っていました。
中でも印象的だったのは、やっぱり「画伯」ぶり。
お題に沿って描いたイラストがあまりに独創的で、スタジオが笑いに包まれることもたびたび。
あれ、なんとも言えない可愛さがありましたよね。
だけど、はいださんの魅力は“面白さ”だけじゃないんです。
持ち前の歌唱力を活かして、カラオケ番組や音楽特番にも出演。
童謡からミュージカルソングまで、ジャンルを問わず見事に歌い上げる姿には、やっぱり「この人、本物だなぁ」と感じる人も多かったはず。
さらに、ドラマにも出演。
たとえば、2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』や、『家売るオンナ』などでは、演技の面でも存在感を発揮しました。
声優やナレーションの仕事にも挑戦し、マルチな才能を見せつけています。
そして、2020年にはYouTubeチャンネル「はいだしょうこのうたとか、、、」を開設。
童謡や昭和歌謡、J-POPのカバーなどを披露し、幅広い世代から支持を集めています。
テレビを離れても、“歌で届けたい”という気持ちは変わらず持ち続けているんですね。
うたのおねえさん、タレント、歌手、女優──
どんなジャンルでも自然体で愛されるはいだしょうこさん。
その根底には、子ども時代からずっと大切にしてきた「表現することの楽しさ」があるのかもしれません。
まとめ
- 幼少期から音楽に囲まれた環境で育ち、自然と歌の才能が芽生えた
- 中学時代に宝塚を志し、高校を中退してまで夢を貫いた決断力がすごい
- 宝塚、うたのおねえさん、タレント…どの舞台でも“表現力”が光っていた
はいだしょうこさんの歩んできた道を振り返ると、まるで一冊のドラマのようでした。
小さな頃におうちで口ずさんだ歌から始まり、宝塚の厳しい日々を経て、今ではテレビや舞台、YouTubeまで活躍の場を広げています。
努力と挑戦を惜しまなかったからこそ、どんな場所でも自分らしさを発揮できる人になれたんでしょうね。
なんか、じんわり心があったかくなるようなお話でした。


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