体操界のスター・村上茉愛さん。
でも、じつは子どもの頃に子役をしていたって知ってました?
3歳で体操を始めてから、メダリストになるまでの道のりは、決して順調なことばかりじゃなかったんです。
中学・高校・大学と、それぞれの場所で悩み、成長していった姿がありました。
この記事では、そんな村上茉愛さんの経歴と学歴を詳しくまとめています。
どこに通って、どんな思いで体操と向き合ってきたのか。
意外な一面にもきっと驚くはずです。
ちょっと気になるな…と思った方は、ぜひ読み進めてみてくださいね。
村上茉愛のプロフィール
- 名前:村上 茉愛(むらかみ まい)
- 生年月日:1996年8月5日
- 年齢:27歳(2026年1月現在)
- 出身地:神奈川県相模原市
- 身長:148cm
- 血液型:O型
- 所属クラブ(現役時代):池谷幸雄体操倶楽部
- 主な競技種目:体操競技
- 主な成績:
2017年 世界体操選手権 ゆか 金メダル
2021年 東京オリンピック ゆか 銅メダル - 引退:2021年10月の世界選手権(北九州)を最後に現役引退
幼少期の活動と子役時代の意外な経歴

今や“世界女王”と呼ばれる体操選手・村上茉愛さんですが、じつは彼女のスタートはちょっと意外なところにありました。
なんと、子どものころはテレビドラマに出演する子役として活動していたんです。
体操一本に絞る前から、すでに人前で輝く素質があったんですね。
3歳で体操を始め、テレビにも出演していた幼少期

村上茉愛さんが体操を始めたのは、まだ3歳のとき。
お母さんの「やってみたら?」という勧めで、軽い気持ちで体操クラブに通いはじめたのがきっかけでした。
そのクラブというのが、あの池谷幸雄体操倶楽部。
そう、バルセロナ五輪でメダルを獲った池谷幸雄さんが立ち上げたクラブです。
幼い村上さんにとって、体操は「勝ちたい」なんて意識する前に、ただただ楽しい遊びのようなものでした。
6歳のときに初めて大会に出場したときも、「とにかくクラブに行くのが楽しくて仕方がなかった」そう。
ちなみに、最初の試合ではお姉さんに負けてしまい、とても悔しかったとか。
ここで初めて、「勝ちたい」という気持ちが芽生えたそうですよ。
一方で、体操と並行して子役としても活動していた時期がありました。
所属していた児童劇団では、テレビドラマ『ウメ子』(2005年放送)に出演した経験も。
このとき、共演したのは女優の深田恭子さん。
中央に深田さんがいて、隣にまだあどけない表情の村上さんが並んでいる写真は、今でもファンの間で話題になっています。
当時は「将来の夢はアイドル」と話していたこともあるそうで、芸能の世界にも興味があったみたいです。
子どもながらに、いろんな可能性を広げていたんですね。
ただ、だんだんと体操に気持ちが傾いていった村上さん。
小学生のうちに芸能活動はやめ、そこからは体操に専念するようになります。
そして小学6年生のときには、なんとシリバス(後方2回宙返り1回ひねり)を成功させるという離れ業を達成。
「狙ってやったわけじゃなくて、練習中にたまたま多くひねっちゃっただけ。でもコーチから『今のシリバスだよ』って言われて(笑)」
と語っていて、まるで天才のエピソードそのものです。
ふつう、小学生でシリバスなんて決められません。
これがのちの世界レベルの実力につながっていくわけですが、この頃からすでに“並じゃない”才能をのぞかせていたんですね。
ちなみに、体操をやめたいと思った時期も一度だけあったそうです。
でもお母さんに「やめてもいいよ」と言われたことで、「あ、やっぱり好きなんだ」と気づき、結局やめなかったとか。
強く背中を押されるより、そっと認めてくれる言葉のほうが、心を動かすことってありますよね。
中学時代に才能が開花、ライバルを超えた瞬間

子どもの頃から体操漬けだった村上茉愛さん。
でも本当にその才能が“爆発”し始めたのは、中学生になってからでした。
地道な練習が実を結び、ついには日本中の体操ファンを驚かせる快挙を達成します。
その舞台裏には、ある有名選手との直接対決と、少し意外な同級生の存在がありました。
田中理恵を破った全日本優勝と同級生・四千頭身 石橋との縁
村上さんが通っていた中学は、東京都にある武蔵野東中学校。
偏差値は47とごく一般的な私立の共学校ですが、ちょっとユニークな校風で知られています。
実はこの学校、お笑いトリオ・四千頭身の石橋遼大さんも同級生だったんです。
「中1と中3で同じクラスだった」
と語る石橋さんは、村上さんが東京五輪でメダルを獲ったとき、「人生でベスト3に入るガッツポーズした」と喜びを爆発させていました。
中学時代から仲が良かったそうで、いまでも交流があるなんて素敵ですよね。
さて、この時期の村上さんは、引き続き池谷幸雄体操倶楽部に所属しながら、猛練習の日々を送っていました。
そんな中、彼女の名前が全国に知れ渡ることになります。
それが中学2年生のとき。
なんと、当時の日本女子体操界のエース・田中理恵さんを破って、全日本体操選手権・種目別で優勝という快挙を成し遂げたんです。
中学2年生がですよ?
まだ14歳の女の子が、大人のトップ選手を超えたんですから、本当にすごい話です。
この勝利をきっかけに、「村上茉愛」の名前は体操界で一気に注目されるようになりました。
本人もこの頃から、「もっと強くなりたい」という意識が強くなっていったようです。
ちなみに、彼女の運動センスは体操だけじゃなかったみたいです。
運動会のリレーで転んでも、そのまま前転して走り出すという離れ業を披露して、周りの子たちを「なんだ、あれ!?」とポカンとさせたとか。
なんか、想像できますよね。
「転んでもただでは起きない」どころか、前転してそのまま走るって…。
この頃からすでに、“常識に収まらない存在”になりつつあったのかもしれません。
高校時代の葛藤と成長、世界への第一歩

村上茉愛さんの高校時代は、まさに“光と影”が同居していたような3年間でした。
注目され始めた選手として順調に見えた一方で、本人の中では悩みや葛藤が大きく渦巻いていたそうです。
でも、そんな時期を乗り越えたからこそ、世界への扉が開かれていくんです。
成績急上昇からのスランプと“負のスパイラル”を語る高校3年生
村上さんが進学した高校は、東京都府中市にある明星高校。
部活動が盛んな私立校で、体操部も都内では有名な強豪です。
とはいえ、実はこの学校には本格的な体操の練習施設がなかったんです。
だから、体操部の生徒たちはみんな、外部のクラブで練習を続けながら学校生活を送っていました。
村上さんもそれまで所属していた池谷幸雄体操倶楽部での練習を続けつつ、学業と両立していく日々。
月曜日は練習がお休みだったそうで、放課後に学校に残って勉強するなど、時間をうまく使っていたみたいですね。
そして、高校生活のスタートと同時に、彼女の競技成績もグンと伸びていきます。
高校1年生のとき、全日本体操選手権の種目別・床運動で優勝。
翌年の高校2年生では、なんと世界選手権代表に選ばれ、種目別・ゆかで4位に入賞しています。
このころ、学校の友達から「すごかったね!」と声をかけられたことで、「本当に世界と戦ってるんだ」と実感したそうです。
なんか、ちょっとリアルですよね。
試合で結果を出すだけじゃなく、身近な人からの言葉で気づく“自分の成長”。
でも、そんな順風満帆に見えた村上さんにも、暗い時期がやってきます。
それが高校3年生のとき。
成長期特有の体重増加が原因で、バランスや動きに変化が出始め、思うような演技ができなくなってしまったんです。
「正直、やる気がなかった」と当時を振り返るほど、心も体もついてこない時期だったそうで…。
「どうせメダルなんか獲れない」
「体重も減らそうと思わなかった」
そんな風に思いながら、練習にも身が入らず、どんどん“負のスパイラル”にはまっていったと言います。
結果、高3で臨んだ世界選手権では、まさかの予選落ち。
期待されていた分、本人も相当ショックだったでしょうね。
けれどこの経験が、彼女にとって大きなターニングポイントになったのは間違いありません。
自分とちゃんと向き合うこと、調子が悪いときこそ“どうするか”が問われること。
この苦しい時期があったからこそ、後の村上さんは、もっと強くなっていくんです。
なんか…試合だけが成長の場じゃないんだなって、改めて思わされますよね。
大学時代に迎えた転機と覚悟

高校でのスランプを乗り越えた村上茉愛さんが次に進んだのは、体操の名門・日本体育大学。
ここでの4年間は、まさに“変わる自分”との真っ向勝負だったようです。
ただ技を磨くだけじゃない。人として、競技者として、自分としっかり向き合う日々が始まりました。
日体大での自問自答と、主将として迎えた挫折と達成
村上さんが通った大学は日本体育大学・体育学部体育学科。
体操競技に関して全国屈指の強豪校。
内村航平さん、池谷幸雄さん、田中理恵さんなど、多くの名選手を輩出してきた“聖地”とも言える場所です。
村上さんも、この名門の体操部に入り、本格的な競技生活をスタートさせました。
でも、大学に入ってすぐに順風満帆だったわけではありません。
最初の試合でうまくいかず、「自己管理が足りなかった」と深く反省。
監督からは厳しく「考え方を改めなさい」と言われたそうです。
そのとき村上さんが感じたのは、「自分はすぐ諦めてしまう」「継続する力が弱い」ということ。
それまでは“感覚”でやってこれたけど、大学ではそれが通用しない。
そう気づいた彼女は、練習も日々の生活も、“ちゃんと向き合う”スタイルに変えていったそうです。
「計画を立てて動く」「自分を信じる」「続ける」
そんな当たり前だけど、実は一番難しいことを、大学で学んでいったんですね。
この変化があらわれたのが、大学2年生のとき。
体操の成績が安定し、全日本体操選手権で個人総合優勝を果たします。
さらに同年のリオデジャネイロ五輪では、団体5位、個人総合6位に入賞。
高校時代に沈んでいた自信を、少しずつ取り戻していきました。
そして迎えた大学4年生。
村上さんは体操部の主将(キャプテン)を任されます。
目標は、全日本団体5連覇とインカレ優勝。
でも、ここでまた試練がやってきます。
インカレ直前に、まさかの怪我。
試合には出られず、サポート役に回らざるを得ない状況に。
「悔しさで気持ちを保つのが精一杯だった」と話すように、心は揺れに揺れたそうです。
「主将として何もできなかった」
「なんのためのキャプテンだったんだろう」
そんなふうに、自分を責める日々もあったとか。
でも最終的には、全日本団体5連覇を達成。
「初めて“みんなの役に立てた”って思えた」
と、涙ながらに振り返っていました。
ちなみに、学びの面でも村上さんは全力。
心理学や身体の仕組み、休養の取り方など、競技に直結する知識を貪欲に吸収していたそうです。
中でも、3・4年生で学んだ「細かい筋肉の使い方」は、彼女の演技にも大きく影響したんだとか。
こうして“心も体も成長した4年間”を経て、村上茉愛という選手はひと皮むけていきます。
自信も、覚悟も、ここでしっかりと手に入れたんですね。
彼女は当初、「大学で体操をやめるつもりだった」そうです。
それでも競技を続けることに決めた理由──
その答えは、次の章に続きます。
世界女王への道と“東京”に懸けた想い

大学での苦悩と成長を経て、村上茉愛さんはついに世界のトップレベルに手が届く選手へと変わっていきます。
けれど、その先に彼女が見つめていたのは、ただの金メダルじゃありませんでした。
「東京で終わる」と決めていた村上さんにとって、東京オリンピックは特別な意味を持つ舞台だったのです。
世界選手権金メダルと「東京だからこそ」の覚悟
大学2年生でリオ五輪に出場したあと、村上さんは着実に力をつけていきました。
そして、その実力が世界で証明されたのが、2017年の世界体操選手権。
種目は「ゆか」。
このとき、彼女は種目別ゆかで金メダルを獲得し、日本女子体操界の歴史を塗り替える大快挙を成し遂げます。
女子で世界選手権の金メダルというのは、本当に珍しいことなんです。
それだけに、体操ファンの間では大ニュースとして大きく報じられました。
しかも、ゆかという種目は、ダイナミックな動きと表現力の両方が求められる難しい競技。
村上さんの演技は、力強さと美しさを両立させたまさに“魅せる体操”でした。
この頃には、彼女はすでに“エース”としての立場を確立。
代表選手としても重責を背負いながら、大舞台に挑み続けていました。
でも、その一方で、彼女の心にはある“期限”があったんです。
「もともと、大学4年間で体操をやめるつもりだった」
そう話す村上さんが競技を続けた理由。
それは、東京でオリンピックが開かれるから。
「1年延びても、東京だからこだわってる」
「東京だから覚悟を持ってる」
彼女はそんな言葉を残しています。
ただ出場するだけじゃなく、自分の体操人生の集大成を、東京で見せる。
それが、村上さんが最後まで競技に打ち込んだ大きな理由だったんです。
「この舞台で終わる」と自分に決めて、練習も日々の生活も積み重ねていく。
その“覚悟”が、演技のひとつひとつに詰まっていました。
競技人生のスタートが3歳。
そこから17年以上もの月日を経て、東京の舞台に立った村上さん。
すべての想いが詰まった演技は、多くの人の記憶に深く刻まれました。
“世界女王”と呼ばれるようになった今も、その存在感は色あせていません。
なんか、こういう話を聞くと、結果よりも「どれだけの気持ちで立っていたか」の方が心に響きますよね。
村上茉愛が結婚を発表、支えてくれた“戦友”と歩む新たな日々
引退後も体操界の第一線で活躍を続ける村上茉愛さんが、ついに結婚を発表しました。
相手は、日体大時代から6年以上にわたって支え合ってきた存在。
競技生活の裏側には、静かに寄り添い続けたパートナーの姿があったんです。
お相手は男子体操日本代表のトレーナー・森田敦士さん
2023年12月23日、村上茉愛さんは自身のインスタグラムで結婚を発表。
お相手は、体操男子日本代表のトレーナーとして活躍している森田敦士さんです。
2人は日体大在学中に出会い、交際期間はなんと6年半。
苦楽を共にしてきた中で、互いの存在がどれほど大きな支えになっていたかが伝わってきます。
村上さんは、結婚報告の中でこんなふうに語っています。
「最高の結果を残せた時、体操を辞めようかと思った時、何もかもが上手くいかず辛い時でも、そばで支えてくれた存在です」
嬉しいときだけじゃなく、悩んだときにも変わらず寄り添ってくれる人。
そういう存在がそばにいるって、本当に心強いですよね。
森田さんも「互いに支え合って幸せな家庭を築いていきたい」とコメント。
お互いを思いやるあたたかい気持ちが、言葉からにじみ出ています。
現在は指導者として奮闘、「第2の村上茉愛」を育てたい
現役を引退したのは、2021年の世界選手権(北九州)が最後の舞台でした。
東京五輪で銅メダルを獲得した後、彼女は静かに競技人生に区切りをつけます。
現在は母校・日本体育大学の女子体操競技部でコーチとして指導にあたっています。
「日本女子体操をもっと強くしたい」という思いで、次世代の育成に全力投球中。
内村航平さんが主催するイベント「体操展」にも参加。
競技普及にも積極的に関わりながら、体操界全体を盛り上げる活動を続けています。
そして、プライベートでも人生の大きな転機を迎えた今、彼女はこう語っています。
「これからも変わらず、体操がより発展し強くなるために、できることすべて尽くしていきたいと思います」
家庭でも仕事でも、全力で向き合おうとする姿勢が、なんとも村上茉愛さんらしいですよね。
今後は“選手”としてだけでなく、“育てる人”としての活躍にも注目です。
まとめ
- 村上茉愛さんは子役としての活動を経て、3歳から本格的に体操を始めた
- 中学・高校・大学で数々の挫折と成長を繰り返し、世界女王として金メダルを獲得
- 引退後はコーチとして後進を指導し、私生活では6年半の交際を経て結婚を発表
村上茉愛さんの歩みは、華やかな成績の裏に、地道な努力と数えきれない挑戦が詰まっていました。
一見、順風満帆に見えるキャリアも、実はスランプや葛藤、迷いの連続だったんです。
それでも、常に自分を見つめ直しながら前へ進む姿勢は、年齢を問わず多くの人の心を動かしますよね。
今はコーチとしての新たな挑戦をスタートさせた村上さん。
これから“第2の村上茉愛”が生まれる日が、ますます楽しみになってきました。



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