努力家で、どこか不器用で、だけどまっすぐで。
そんな松村沙友理さんの学生時代、ちょっと気になりませんか?
実は彼女、名門・大阪桐蔭高校の進学コースで、毎日学校に通っていたほどの真面目さん。
しかも、第一志望は大阪大学医学部というからびっくり。
そこからアイドルの道へと進んでいくなんて、まさに人生のドラマですよね。
この記事では、松村沙友理さんの子ども時代から高校生活、そして乃木坂46に合格するまでの知られざる経緯を、たっぷりご紹介しています。
アイドルになるまでの道のりを、ちょっとのぞいてみませんか?
大阪で育った松村沙友理の学生時代とは
今や女優やモデルとしても大活躍している松村沙友理さん。
その芯の強さやちょっと天然な魅力は、実は学生時代から少しずつ形作られていたようです。
大阪市内で生まれ育った彼女の学生時代をたどっていくと、意外な一面や、今につながるエピソードがたくさん出てきます。
まずは、小さい頃の話から見ていきましょう。
子ども時代に培った多才な趣味と家族とのエピソード
- 名前:松村 沙友理(まつむら さゆり)
- 愛称:さゆりんご
- 生年月日:1992年8月27日
- 年齢:33歳(2025年時点)
- 出身地:大阪府大阪市
- 血液型:B型
- 身長:164cm
松村沙友理さんが通っていたのは、大阪市立聖賢小学校。
地元・大阪市でごく普通の小学校生活を送っていたんですね。
実は彼女、三人きょうだいの真ん中で、お姉さんと弟がいるそうです。
このお姉さん、2019年には「新婚さんいらっしゃい」に出演して話題になりました。
なんだか、姉妹そろって注目されがちなタイプなのかもしれませんね。
子どもの頃の松村さんはというと、かなり多趣味。
習い事は、水泳、ピアノ、英会話、習字と、まるで詰め込み教育の見本のようなラインナップ。
特に水泳は、幼稚園から小学校6年生まで続けていたそうで、のちに中学でも大会で優勝するくらいの腕前になります。
でも本人いわく「運動は基本苦手」とのこと。なんか、わかる気がしませんか?
それから、もうひとつ驚きのエピソードがあります。
なんと、松村さんは子どもの頃からものすごい“食いしん坊”!
大人になってもご飯を山盛り9杯食べることもあるとか。
まさに、細身とのギャップがすごすぎる…。
そんなふうに、マンガ好きで人前がちょっと苦手な女の子が、のちに国民的アイドルになっていくわけですから、人生って本当に面白いですよね。
中学時代は意外と内向的?バレーと水泳で見せた素顔
中学に進学した松村沙友理さんは、大阪市立蒲生(がもう)中学校に通っていました。
ここで彼女は、運動部であるバレーボール部に所属。
一見、活発でクラスの中心にいそうなイメージですが、実際はちょっと違っていたようなんです。
本人の言葉を借りると、
「友だちが3人くらいしかいなかった」
「めっちゃ暗かった」
と振り返っています。
え、あのキラキラしたさゆりんごが?と驚きますよね。
でも、その“内向的”な一面こそ、親しみを感じる理由かもしれません。
キャプテンとして活躍しつつも「暗かった」思春期の一面
バレー部ではキャプテンを務めていた松村さん。
ポジションはセンターで、チームを引っ張る立場でした。
ただ、部活ではリーダーシップを発揮しながらも、普段の学校生活ではかなり控えめな存在だったようです。
そんな彼女が語る、中学時代のほろ苦い思い出が印象的。
「卒業式の日だけ、今まで話したことない子たちから写真に誘われたんです」ってエピソード、なんだかちょっと泣けませんか?
ちなみに、中学時代も水泳の実力は健在で、学校の大会では1位を獲ったこともあるそう。
もともと続けていた習い事が、ちゃんと成果として表れているのがすごいですね。
あともう一つ、仲の良い親友ができたきっかけが、アニメ『フルーツバスケット』だったという話も。
同じ作品が好き、ってだけで一気に仲良くなれる、そういう中学生らしい一面が可愛らしいですよね。
この先の高校時代や芸能界への道は、もっとドラマチックに展開していきますが、
その前の時期には、等身大の“ちょっとシャイな女の子”としての松村沙友理が確かにいたんです。
偏差値64の大阪桐蔭高校で見せた驚異の真面目さ
甲子園の常連校として知られる大阪桐蔭高校。
実は松村沙友理さんもこの名門校の出身なんです。しかも、スポーツコースではなく進学クラスの「Ⅱ類」(偏差値64)に在籍していました。
彼女が選んだのは、体育会系というよりも「勉強ガチ勢」が集まるコース。
高校時代の松村さんは、とにかく真面目でストイック。ちょっとびっくりするくらいの努力家だったんですよ。
365日登校&自習漬けの高校生活とNMB48オーディション秘話
高校生といえば、部活や遊びに忙しいイメージですが、松村さんは全然違いました。
なんと、学校に「365日通っていた」と自ら語っています。
「平日だけじゃなくて、土日も学校に行ってました。空いてる教室で勉強できたし、先生たちも来てくれてたんです」
そんな話を、あるバラエティ番組で笑顔で話していたのが印象的でした。
朝は早く登校して自習室で勉強。授業が終わったあともまた自習。
家でのんびりする時間なんて、ほとんどなかったとか。
学校に「行かなきゃ」じゃなくて、「行きたい」と思っていたというんだから、すごいですよね。
そんな努力家の松村さん、高校3年生のときに、実は一度だけアイドルの世界にチャレンジしています。
受けたのは、NMB48の第1期生オーディション。場所は地元・大阪でした。
当時は芸能界に強い憧れがあったわけではなく、あくまで「記念受験」的な軽い気持ちだったようです。
結果は残念ながら不合格。
でもその時の経験が、のちに彼女を大きく変える「次の挑戦」へとつながっていくんです。
医学部志望からアイドルへ──進学断念と乃木坂46合格の裏話

実は松村さん、高校卒業後は看護師を目指していました。
第一志望は、大阪大学医学部保健学科・看護学専攻。偏差値58の国立大です。
でも残念ながら不合格となり、彼女は浪人生活に入ります。
その年、予備校にも通いながら勉強を続けていました。
ただ、浪人中も順風満帆とはいかず、模試の成績も思うように伸びなかったそうです。
そんなとき、ふと見つけたのが「乃木坂46の1期生オーディション」。
まさに運命の分かれ道だったんですね。
「今のままじゃ、うまくいかない。でも何か挑戦してみたい」
そんな気持ちがあったのかもしれません。
とはいえ、オーディションは芸能未経験の松村さんにとって未知の世界。
でもここで、彼女の“意外な一面”が顔を出します。
筑波大を受験できなかった日と、英語も韓国語も話せないまま受けた最終審査
第一志望に落ちたあと、松村さんは後期試験で筑波大学の医学群・看護学科も受ける予定でした。
ところが、まさかのハプニング。受験日の前日に、あの東日本大震災が起きたんです。
筑波大では試験そのものが中止となり、選考はセンター試験の成績で判断されることに。
ネット上では「松村沙友理は筑波大に合格していた」という噂もあるんですが、本人から語られたことはありません。
仮に合格していたとしても、震災の影響で入学を辞退した可能性もあるとの見方もあります。
当時の混乱ぶりを考えると、無理もない話ですよね。
そして、大学進学を一旦あきらめた松村さんは、東京で行われた乃木坂46のオーディションに挑みます。
このとき、本人がとにかく面白い話をしています。
「英語が話せます」とウソをついたのに、いざ最終審査では「韓国語が話せます」と別のウソにしてしまったそう。
しかも、前日に必死で韓国語を勉強したのに、披露するチャンスがなく、結局は「趣味は散歩です」とだけ言ったんだとか。
なんか、そういうちょっと不器用で、でも真っ直ぐな感じが、今の“さゆりんご”につながってる気がしませんか?
ちなみにそのオーディション、応募者はなんと約3万9000人。
その中から選ばれた36人のうちの1人が、松村沙友理さんでした。
あのとき、大阪から深夜バスで東京に通いながらレッスンを受けた彼女が、まさか乃木坂の“顔”になるとは…。
まさに、人生は何が起こるかわからないですね。
デビュー後の活躍と“七福神”選出──人気メンバーへと成長した理由
約3万9000人の応募者の中から36人に選ばれ、乃木坂46の1期生としてデビューを果たした松村沙友理さん。
最初は大阪から深夜バスで東京に通いながらのレッスン生活だったそうですが、そこから一気に人気メンバーの仲間入りを果たしていきます。
デビューシングル『ぐるぐるカーテン』では、なんといきなり選抜メンバー入り。
しかも、当時“七福神”と呼ばれていた主要メンバーの一員として、2列目センターというポジションを任されたんです。
「さゆりんご」の愛称で親しまれ、明るくてちょっぴり不思議な雰囲気が、ファンの心をつかみました。
その天真爛漫なキャラクターと、芯の強さが絶妙に混ざり合っていたんですよね。
でも、人気が出るまでには地道な努力と信頼の積み重ねもあったようです。
パフォーマンスが決して得意ではなかった彼女が、なぜこれほどまでに存在感を放つようになったのか。
それは「自分らしさ」を大切にしながら、グループの中で役割を全うしてきたからに他なりません。
センターではないけれど、いるだけで華がある。
そんな唯一無二のポジションを確立していったんです。
モデル、女優、MCもこなすマルチな才能の開花
乃木坂46での活動だけでなく、松村さんはその後もどんどん活躍の場を広げていきます。
特に大きな転機となったのが、2015年にファッション誌『CanCam』の専属モデルに抜擢されたこと。
モデルデビュー当初は「自分が務まるのか不安だった」と語っていた彼女ですが、すぐに雑誌の看板モデルに成長。
抜群のスタイルと透明感のあるビジュアルが、誌面でもしっかり映えるんですよね。
しかも、それだけにとどまりません。
女優としては2013年のドラマ『BAD BOYS J』でデビューし、2019年には映画『東京ワイン会ピープル』で初主演も務めています。
ジャンルを問わず柔軟に対応できる演技力と、表情の幅が評価された結果です。
知ってました?『賭ケグルイ』シリーズにも出演していて、あの独特の世界観にもハマってましたよね。
さらにMCとしての才能も発揮。
競馬番組『馬好王国〜UmazuKingdom〜』では、知識ゼロからのスタートながら明るく楽しい進行で番組を盛り上げていました。
モデル・女優・MC。どの分野でも「松村沙友理らしさ」を忘れないところが彼女の強みです。
ちょっと抜けてるけど憎めない。そんな魅力が、どこにいても人を惹きつけるんですよね。
乃木坂46を卒業してからも、その人気は健在。
これからも、彼女の動向から目が離せません。
まとめ
- 幼い頃から努力を惜しまない姿勢があった
- 挫折もあったけど、自分の道をあきらめなかった
- どこにいても“松村沙友理らしさ”が輝いている
静かな教室で一人黙々と勉強していた日も、夜行バスに揺られて夢を追いかけていた日も、
松村沙友理さんの中には、ぶれない「真面目さ」と「やわらかさ」がずっと息づいていたんだと思います。
派手じゃないけど、心にじんわり残る存在感。
その魅力は、アイドルでも、モデルでも、女優でも変わらず、むしろ年を重ねるごとに深まっているように感じます。
何気ない日常の中にこそ、大きなターニングポイントが隠れているんだなぁって、改めて感じさせてくれる歩みでした。
これからの松村さんも、きっと変わらず、まっすぐなんでしょうね。

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