WBC決勝で大谷翔平対マイク・トラウトを実況した清水俊輔アナ、あの落ち着いた声の持ち主って、どんな人なんだろうって思いませんか?
実は高校時代、慶應義塾志木高校でボート競技のインターハイに出場していたって知ってました?
この記事では、そんな清水アナの意外な学歴と経歴を、高校でのボート部時代から慶應大学文学部での学生生活、ニッポン放送でのアルバイト体験、そしてテレビ朝日での活躍まで、時系列でわかりやすく紹介します。
読み終わるころには、日本シリーズ14回実況やWBC決勝の「あの声」がどんな積み重ねから生まれたのか、きっと納得できるはずです。
清水俊輔のプロフィール
- 氏名:清水 俊輔(しみず しゅんすけ)
- 生年月日:1980年3月25日
- 身長:172cm
- 出身地:大阪府高槻市
- 育ち:神奈川県
- 所属:テレビ朝日アナウンサー
清水俊輔アナのことを「関西出身っぽくない関西人だな」と感じた人、けっこういると思います。
プロフィールを見ると、生まれは大阪府。
でも物心ついたころからは、ずっと関東で過ごしてきた人なんです。
アナウンサーとして全国中継を任されるようになるまでの流れを知ると、「あの落ち着いた話し方には理由があるのかも」と、ちょっと納得できるはず。
まずは、生まれた場所と育った場所のギャップから見ていきましょう。
大阪と神奈川、2つの土地で育まれた清水俊輔の人物像
清水俊輔アナは、1980年3月25日生まれのテレビ朝日アナウンサーです。
出身は大阪府高槻市。
大阪と京都のあいだにある、高槻市駅や高槻駅を中心に発展した落ち着いた都市ですね。
JRと阪急の2路線が走っていて、大阪方面にも京都方面にも出やすい、いわゆる「住みやすい街」として知られています。
ただ、清水アナがこの高槻で過ごした時間は本当に短く、幼いころにはすでに関東へ引っ越しています。
正確な時期は公式にははっきり出ていませんが、少なくとも言葉を覚える前後には、関東で暮らしていたと考えて良さそうです。
その後は神奈川県で暮らし、通った学校もずっと関東圏。
テレビやラジオで聞く標準語ベースの話し方は、こうした成長の環境を知ると自然に感じませんか。
スポーツ実況を聞いていても「大阪出身だから関西弁かな」と思わせる要素はほとんどなく、「全国どこで流しても違和感がない声」という印象が強いですよね。
プロフィールには、身長172cm、漢検準一級、TOEIC895点といった細かな情報も並んでいて、言葉と向き合ってきた努力家の一面もうかがえます。
生まれは関西、育ちは関東。
どちらか一方の色に強く寄りすぎないバランス感覚が、清水アナの実況やナレーションの「聞きやすさ」につながっているのかもしれません。
高校でボート競技インターハイに出場

清水俊輔アナが通っていた高校は埼玉県志木市の慶應義塾志木高等学校。
東武東上線の志木駅からバスで通うこの男子校は、進学校として知られる一方で、運動部も本格派。
その中でもボート部は戸田公園などで日々ハードな練習をこなす全国レベルの強豪です。
清水アナは、そこで勉強だけでなく、選手としても全国大会の舞台に立っています。
実況席からではなく、オールを握る仲間たちと同じ船に乗っていた高校時代の姿を想像すると、ちょっと親近感が湧きませんか。
京都インターハイと大阪国体に埼玉代表として出場
慶應義塾志木高校時代の清水俊輔アナが打ち込んでいたのが、ボート競技です。
川や湖でオールを漕いでタイムを競う、あのスポーツですね。
とくに高校ボートは早朝練習や遠征も多く、体力だけでなく精神面のタフさも必要になります。
清水アナが担当していたポジションは「コックス」。
艇のいちばん後ろに前向きに座り、舵を取りながら漕ぎ手にリズムや戦略を声で伝える、大事な役割です。
自分はオールを握らず、チーム全体を見て指示を出す立場。
冷静な判断力と通る声が武器になるポジションだと言えます。
のちにアナウンサーとして、言葉でレース展開を伝える仕事をすることを思うと、この「声でチームを動かす役割」を担っていたのは、なんか運命的な感じがしませんか。
1997年、清水アナは慶應義塾志木高校クルーの一員として埼玉県代表になり、京都で行われたインターハイに出場。
さらに同じ年には、大阪で開催された「なみはや国体」にも埼玉県選抜として臨みます。
1年間でインターハイと国体という2つの全国大会に挑んだ経験は、高校生としてはかなり貴重です。
地元・埼玉の名前を背負ってスタートラインに並んだ日々が、あの落ち着いた実況の土台になっているのかもしれません。
慶應義塾大学文学部でアナウンサーへの基礎を築く

高校卒業後、清水俊輔アナはそのまま慶應義塾大学文学部へ内部進学します。
三田キャンパスや日吉キャンパスで過ごした大学生活は、「言葉」を軸にしながらも、かなり体育会系な時間でもありました。
文学部と聞くと本を読む静かな生活を想像しがちですが、清水アナの場合は、ボート部への再チャレンジから始まり、ニッポン放送でのアルバイトへと大きく舵を切っていきます。
気づけば、その選択がアナウンサー人生の決定打になっていた、という流れなんですよね。
ニッポン放送での野球中継アルバイトがキャリアの転機に
慶應義塾大学入学後、清水俊輔アナは高校時代と同じくボート部の門を叩きます。
ところが、大学ボート部の世界は想像以上にハードでした。
早朝から夜までみっちりの練習。
長期合宿では、ほとんど家に帰れない生活が続きます。
高校時代に全国大会を経験していても、それを上回る厳しさだったようです。
清水アナは1年生の12月に退部を決断。
インタビューでも「正直、辛くて辞めちゃったんですね」と、かなりストレートに振り返っています。
とはいえ、部活をやめたからといって遊んでばかりというわけにもいきません。
そこで「この先、何を仕事にしていくか」を真剣に考え始めます。
小学生のころからラジオのプロ野球中継をよく聞いていて、スポーツ実況が大好きだった清水アナ。
その延長線上で選んだのが、ニッポン放送での野球中継に関わるアルバイトでした。
最初は、資料を運んだり機材の準備を手伝ったりする、いわばAD的な仕事で放送席の周りを駆け回る日々。
やがて先輩アナウンサーの横でマイクを握り、本番とは別回線で実況の練習をさせてもらう機会が増えていきます。
週に3〜4回は神宮球場や東京ドームに足を運ぶ生活が、大学2年生ごろから卒業まで約3年間続きました。
教室の授業だけでは絶対に身につかない「生きた実況スキル」を、プロの現場で毎週のように叩き込まれていったわけです。
清水アナ自身も、「あのときボート部を続けていたら、この仕事には就いていなかったかもしれない」と話しています。
いったん諦めたボートの代わりに飛び込んだ放送の現場が、結果的に実況アナウンサーへの道を開いた。
人生の転機って、こういうタイミングでふっと訪れるものなのかもしれません。
テレビ朝日に入社し1年目から実況デビュー

ニッポン放送で3年間みっちり現場を経験したあと、清水俊輔アナは2002年にテレビ朝日に入社します。
同期は、のちにニュースやスポーツで活躍する吉野真治アナと松尾由美子アナ。
ふつう、新人アナの1年目は発声練習や原稿読みの基礎が中心で、大きな中継をいきなり任されることはあまりありません。
ところが清水アナは、入社して間もないタイミングからスポーツ中継の前線に立つことになります。
学生時代に培った実況経験が、そのまま即戦力として評価された形です。
全日本大学駅伝から始まった新人離れした実況キャリア
テレビ朝日に入社した清水俊輔アナに、早くから回ってきたのが「全日本大学駅伝」の実況です。
毎年11月上旬に名古屋から三重・伊勢神宮までを走るこの大会は、箱根駅伝・出雲駅伝と並ぶ「学生三大駅伝」のひとつ。
大学駅伝ファンからの注目度も高く、決して新人の”肩慣らし”では済まない舞台です。
そんな中で新人アナが実況を任されるのは、かなり異例と言っていいでしょう。
背景には、ニッポン放送で週3〜4回、野球中継の現場に通い続けた大学時代の経験があります。
プロ野球の試合は、一球ごとに展開が変わります。
スコア、カウント、守備位置、ベンチの動き、観客のざわめき。
それらを瞬時に整理して言葉にし続ける訓練を3年間積んだことで、駅伝のような「流れが長く続く中継」でも状況を落ち着いて伝えられる力が備わっていたのでしょう。
その実力は入社直後から高く評価され、なんと入社1年目の2002年10月からは、朝の情報番組「やじうまプラス」のスポーツキャスターに抜擢されました。
入社からわずか半年でのレギュラー出演は、異例のスピード出世と言っていいでしょう。
翌2003年からは高校野球ファンおなじみの「熱闘甲子園」でナレーションを任され、2006年まで4年間にわたって担当。
これは、テレビ朝日の局アナとしては歴代最長の記録です。
さらに2005年4月からはクイズバラエティ「Qさま!!」の進行役としても出演し、スポーツファン以外にも顔と声を覚えられる存在に。
2019年から2021年には「報道ステーション」のスポーツキャスターとしても登場し、ニュースの現場でも存在感を示しました。
入社1年目の全日本大学駅伝実況と「やじうまプラス」への抜擢が、そんな長いキャリアの「1ページ目」にふさわしいスタートだったわけです。
日本シリーズ14回担当とWBC優勝実況の輝かしい実績

テレビ朝日のスポーツ中継を見ていると、「また清水アナの声だ」と気づく瞬間が多いはずです。
それもそのはずで、彼が担当してきた試合の数と重さは、局内でもトップクラス。
プロ野球の頂点を決める日本シリーズや、侍ジャパンの国際大会など、いわゆる「失敗が許されない試合」を数多く任されてきました。
アナウンサーにとっての勲章は、どんな場面をどれだけ実況してきたかという履歴そのもの。
その意味で、日本シリーズとWBC決勝は、清水アナのキャリアを象徴する舞台になっています。
日本シリーズ14回とWBC2023決勝が語る”勝負どころに強い声”
清水俊輔アナは、これまでにプロ野球日本シリーズの実況を14回担当しています。
1年に1度しかないシリーズで14回という数字は、それだけで重みがありますよね。
そのうち、日本一が決まる瞬間を任されたのが3度。
たとえば2006年、日本ハムファイターズが北海道移転後初の日本一を決めた試合。
2013年には、東北楽天ゴールデンイーグルスが球団史上初の日本一に輝いた第7戦を実況しました。
優勝の歴史的瞬間を何度も任されるのは、「ここ一番を任せられる声」として信頼されている証拠でしょう。
そして忘れてはいけないのが、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での実績です。
清水アナは2009年大会から、ずっとテレビ朝日のWBC中継の中心メンバーとして関わってきました。
2009年大会では、日本対韓国の1次ラウンドをはじめ、重要な試合の実況を数多く担当。
2013年大会と2017年大会では、決勝戦の実況も任されています。
ただ、この2大会では日本代表・侍ジャパンが決勝に進めなかったため、「日本が出場する決勝戦」を実況することはできませんでした。
そして迎えた2023年大会。
日本時間3月22日、アメリカ・マイアミで行われた決勝、日本対アメリカの一戦で、清水アナはテレビ朝日が地上波中継した4試合のうち3試合、そしてその中でも決勝の実況を担当します。
10年以上にわたってWBC中継に関わり続けてきた清水アナにとって、まさに念願の舞台でした。
9回ツーアウト、マウンドには大谷翔平、打席にはマイク・トラウト。
メジャーリーグのチームメイト同士が世界一を懸けて対峙する場面を、日本の視聴者に届ける役目を担ったわけです。
清水アナは、あの最後のスライダーで三振が決まるまでの数球について「次の1球で決まると確信しながら実況していた」と振り返っています。
14回の日本シリーズと、2009年から積み重ねてきたWBC中継の集大成としての2023年決勝。
この2つの実績が、「大一番の声」としての清水俊輔アナの評価を、さらに揺るぎないものにしているのは間違いありません。


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