産後わずか2ヶ月で女優業に復帰した趣里さんを見て、「どうしてそんなに強いの?」って思いませんでしたか?
普通なら考えられないスピードですよね。
でも実は、その強さの「根っこ」には、幼い頃から続けてきた壮絶なバレエ人生があったんです。
4歳でバレエを始めて、15歳で単身イギリス留学。
そこで夢を諦めることになった過去。
水谷豊さん・伊藤蘭さんという有名な両親のもとに生まれながらも、自分の力で這い上がってきた道のり。
この記事では、趣里さんの意外な学歴や大学中退の真相、そしてバレエから女優への転身までを時系列でやさしく紹介します。
なぜ彼女がこんなにもタフでいられるのか、その秘密が分かりますよ。
趣里のプロフィール|両親が超有名な芸能一家
趣里(しゅり)さんといえば、今や朝ドラを代表する実力派女優として広く知られています。
でも実は、その名前を聞いただけで「あの家の子か」とピンとくる人も多いはず。
父は俳優・水谷豊、母は元キャンディーズの伊藤蘭という、日本芸能界でも屈指の有名芸能一家に生まれました。
そして今では、両親の名前を紹介文に添える必要もないほど、「趣里」という名前そのものがひとつのブランドになっています。
芸能界のど真ん中で育ちながらも、自分の力で道を切り拓いてきた人。
その歩みを、順を追って見ていきましょう。
父は水谷豊、母は伊藤蘭という芸能一家に育つ
- 芸名: 趣里(しゅり)
- 本名: 星間 趣里(ほしま しゅり)※旧姓:水谷
- 生年月日: 1990年9月21日(2026年現在35歳)
- 出身地: 東京都
- 身長: 158cm
- 血液型: O型
- 父親: 水谷豊(俳優・「相棒」シリーズで有名)
- 母親: 伊藤蘭(元キャンディーズメンバー)
- 配偶者: 三山凌輝(RYOKI MIYAMA / 元BE:FIRST)※2025年8月結婚
- 子供: 第1子(2025年出産)
1990年9月21日、東京都生まれ。
本名は星間 趣里(旧姓:水谷)、身長158cm、血液型O型。
2025年8月に、「BE:FIRST」のRYOKIこと三山凌輝さんと結婚し、第1子を授かりました。
同年11月には三山さんがBE:FIRSTを脱退し、2026年からはソロアーティスト「RYOKI MIYAMA」として新たな活動を始動。
趣里さん自身も産後2ヶ月というスピードで女優業に復帰し、それぞれのフィールドで歩み続けています。
父の水谷豊さんは、「相棒」シリーズで長年親しまれる国民的俳優。
母の伊藤蘭さんは、1970年代に「微笑がえし」などを大ヒットさせたアイドルグループ・キャンディーズの元メンバーです。
知ってました?
幼い頃、趣里さんが通う幼稚園への送り迎えを自転車でこなしていたのは、多忙な俳優業の合間を縫った父・水谷豊さん本人だったそうです。
そんな超有名な両親を持ちながら、趣里さんは「二世」と呼ばれることへの重圧を感じながら育ったといいます。
「半端な覚悟ではできない」——その思いが、彼女を何度も奮い立たせてきました。
趣里の学歴|幼少期から独自の道を歩んだ経歴

趣里さんの学歴は、一般的なそれとはかなり異なるユニークなものです。
バレエ一色の幼少期から始まり、海外留学、高卒認定試験、そして大学入学・中退という異色の経路をたどっています。
その道のりは、彼女の「表現者」としての芯がどこで形成されたかを、そのまま映し出しています。
都内インターナショナルスクールから明治学院大学へ進んだ経緯
趣里さんは4歳から井上バレエ団でクラシックバレエを始め、6歳で初舞台を踏みます。
小学5年生のとき、憧れだった「くるみ割り人形」の主役・クララを演じたことをきっかけに、本格的にバレリーナを目指すように。
バレエ一色の毎日の中で、都内のインターナショナルスクールに3ヶ月ほど在籍した後、15歳のタイミングでイギリスのバレエ学校へ単身留学を果たします。
しかし留学から2年ほど経ったころ、大怪我に見舞われ帰国。
その後、高等学校卒業程度認定試験で大学入学の資格を取得し、2009年に明治学院大学 文学部芸術学科へ入学しました。
そして2012年、大学4年次に中退し、女優の道へと進んでいきます。
趣里がバレエを断念した理由と女優転身の決断

「踊れなくなった」という現実は、趣里さんにとって想像を絶するほど重いものだったはずです。
幼い頃からバレエだけを見つめてきた少女が、突然その夢を失ったとき、何を感じ、どう立ち上がったのか。
ここでは、彼女の人生で最も大きな転換点となった出来事を追っていきます。
足の怪我がきっかけで女優の道を歩み始める
イギリス留学中、趣里さんを突然の不幸が襲います。
アキレス腱断裂に加え、足首の剥離骨折という二重の重傷。
医師から「前みたいには踊れない」と告げられ、治療のため帰国しました。
リハビリを続けながら練習に打ち込んだものの、以前のように踊ることはできませんでした。
バレリーナの夢を断念した後は、アルバイトや就職活動で将来を模索する日々。
そんな中、ある日ふらりと参加したのが、俳優・塩屋俊さんが主宰する演技学校「アクターズクリニック」のレッスンでした。
「演じることって面白い」——その感覚が、彼女に初めて灯った瞬間です。
「でもお前は大丈夫だから頑張れ。女優を続けていけ」という塩屋さんの言葉が、最後の背中を押しました。
なんか、わかる気がしませんか?
人生で一番大切にしていたものを失ったからこそ、次の道に全力になれる、という感覚。
バレエで培った身体への感覚や表現力は、後の演技にそのまま息づいていくことになります。
趣里の芸能界デビューから朝ドラ主演までの経歴

演技の面白さに目覚めてから、趣里さんの歩みは止まりませんでした。
舞台・映画・ドラマと着実にキャリアを積み上げ、気づけば日本を代表する実力派女優の一人に。
2011年のデビューから朝ドラ主演までの約12年間を、ざっと振り返ってみましょう。
「ブギウギ」主演で2023年に一気にブレイクする
2011年、オーディションに合格した趣里さんは、TBS「3年B組金八先生ファイナル」で女優デビュー。
実年齢より5歳下の中学生役を演じ、その後も舞台を中心に地道に経験を重ねます。
2016年のNHK朝ドラ「とと姉ちゃん」への出演で注目を集め、2017年「リバース」(TBS)の狂気的な妻役では「ヤバいね」と話題に。
2018年には映画「生きてるだけで、愛。」で主演を務め、第42回日本アカデミー賞新人俳優賞・高崎映画祭最優秀主演女優賞をW受賞。
実力が広く認められました。
そして迎えた2023年、2471人が応募したオーディションを勝ち抜き、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」の主演ヒロイン・花田鈴子役に抜擢。
歌・ダンス・演技のすべてで視聴者を圧倒し、第119回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞を受賞。
一気に国民的女優へと躍り出ました。
趣里が現在注目される実力派女優である理由
「ブギウギ」以降も、趣里さんへの評価は高まる一方です。
ただ「人気がある」というだけでなく、業界内からも「本物だ」と認められている存在。
2025年に出産を経て産後わずか2ヶ月で現場復帰し、2026年公開の映画「踊る大捜査線 N.E.W.」への出演も報じられています。
その理由は、彼女がたどってきた道のりを知ると、自然と納得できます。
歌・ダンス・演技の三刀流が高く評価されている
趣里さんが他の女優と一線を画す最大の理由は、歌・ダンス・演技の三つすべてを高いレベルでこなせることです。
その土台にあるのは、4歳から積み重ねてきたクラシックバレエの経験。
アキレス腱断裂というギリギリの挫折を乗り越えたからこそ、身体の使い方・感覚の鋭さが演技にそのまま宿っています。
「アクターズクリニック」では海外のメソッド演技を週3回のハードなカリキュラムで学び、役づくりを細かく書いたノートを提出するほど本気で取り組みました。
「ブギウギ」制作統括は、オーディションの決め手として「総合力と声」を挙げ、「東京ブギウギ」を歌うオーディションでの趣里さんを高く評価しました。
しかも映像で歌唱するのは「ブギウギ」が初めてだったにもかかわらず、SNSでは「紅白に出てほしい」という声が続出するほどの反響を呼びました。
バレエで積んだ圧倒的な練習量と、苦境から這い上がってきた経験——その「点と線」がつながって、今の趣里さんという表現者が生まれています。
まとめ
- 水谷豊さん・伊藤蘭さんの娘という枠を超えた、真の実力派女優に成長
- 大けがによりバレエの夢が絶たれた挫折が、女優としての強さの原動力に
- 歌・ダンス・演技の三刀流で「本物」と認められ、産後2ヶ月での復帰も実現
趣里さんの人生って、本当にドラマみたいでしたよね。
有名な両親のもとに生まれて、バレエ留学までしたのに大怪我で夢が途絶えて。
でもそこから諦めずに、演技という新しい表現の場所を見つけて、朝ドラ主演まで駆け上がっていった。
「半端な覚悟ではできない」って自分に言い聞かせながら、一つひとつ積み上げてきた経験が、今の彼女を支えています。
バレエで身につけた身体表現力が演技にちゃんと生きてるし、失ったものが大きかったからこそ、次の道に全力で向き合えたんでしょうね。
産後2ヶ月での復帰も、母となってさらに深みを増した表現力も、すべてはこれまでの歩みがあったからこそ。
なんか、すごく応援したくなりませんか?




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