夢を叶えた人には、いったいどんな“物語”があったのでしょうか。
誰もが羨むアイドルという舞台に立った山下美月さんですが、その裏側には、誰にも見せなかった迷いや挫折、そして何度も諦めそうになった瞬間がありました。
この記事では、山下美月さんの幼少期から乃木坂46時代、そして卒業後の今に至るまでの道のりを、当時の心情やエピソードを交えながら丁寧にたどっていきます。
ただの“経歴紹介”ではなく、読んでいるあなた自身の心にそっと重なるような、そんな彼女の「努力」と「選択」の軌跡を感じていただけるはずです。
このページを読み終わる頃には、きっとあなたも“夢を諦めない強さ”を信じたくなっているかもしれません。
幼少期からアイドル志望へ:山下美月の原点
- 名前:山下 美月(やました みづき)
- 生年月日:1999年7月26日
- 年齢:25歳(2025年現在)
- 出身地:東京都西多摩郡瑞穂町
- 身長:160cm
- 血液型:O型
東京都の西側、自然が残る瑞穂町で1999年に生まれた山下美月さん。
彼女の人生の軸には、幼い頃からずっと“アイドル”という夢がありました。
何気ない日常のなかに光る小さな出来事たちが、後に彼女の原動力となっていきます。
その原点には、家族の愛情、少女ならではの葛藤、そして月のように静かに輝く情熱がありました。
クールドールと呼ばれた少女時代の性格と家庭環境
小学校時代の山下さんは、どこか周囲と距離を置いているような、ちょっとミステリアスな存在でした。
そのせいか、同級生たちからは「クールドール」と呼ばれていたそうです。
まるで人形のように静かで、感情をあまり表に出さないタイプだったんですね。
でも本人いわく、
「普通の人間として見られるように努力した」
とのこと。
だから、きっと心のなかでは葛藤もあったんでしょうね。
家族構成は両親と本人の3人家族。
ひとりっ子ということもあり、のびのびとした環境で育った反面、自分自身と向き合う時間も多かったのかもしれません。
名前の“美月”は、お祖父さんが「月がとっても綺麗な夜に生まれたから」と名付けてくれたそう。
このエピソードだけでも、なんだか詩的で彼女らしいですよね。
性格も、どこか落ち着いた芯のある子だったようで、小学生時代から5年間も水泳を続けていたほど。
また、「青年の主張 意見発表会」では、最優秀賞を受賞するという驚きの実績もあります。
論理的に考えて、自分の言葉で人に何かを伝える──その力は、この頃から光っていたんですね。
のちの女優業やパフォーマンスに活かされる、ベースがここでしっかり育まれていたんでしょう。
小学3年で芽生えたアイドルへの強い憧れ
アイドルに憧れはじめたのは、小学校3年生の頃。
そのきっかけは、両親に買ってもらった1台のパソコンでした。
そこから、YouTubeでアイドルの動画を見まくる日々が始まります。
特に夢中になったのが、当時大人気だったAKB48。
なんと、前田敦子さんの卒業コンサートにも実際に足を運んだほどです。
小学生にして、すでに“ただのファン”を超えて、「私もあの舞台に立ちたい」と強く思っていたんでしょうね。
この時点で、山下さんにとっての“アイドル”は、ただの憧れではなく、目指すべき目標になっていました。
学校の授業や部活とはまた別の世界に、彼女はすでに一歩足を踏み入れていた──そんな印象を受けます。
周りがまだ将来のことなんて考えていないような年齢で、自分の夢をしっかりと心に描けていたというのは、本当にすごいことですよね。
下積み時代の努力と挫折:中学生での芸能活動と挑戦

小学生の頃から抱いていた「アイドルになりたい」という夢。
でも、夢を叶える道のりは決してまっすぐではありませんでした。
山下美月さんが本格的に芸能活動を始めたのは、中学時代。
そこには、人知れず積み重ねた努力と、くじけそうになった現実がありました。
舞台出演やオーディション落選…諦めかけた夢
東京都瑞穂町立瑞穂中学校に通っていた山下さんは、中学2年生のときに芸能事務所に所属し、舞台「ハミングバーズ」へ出演します。
このとき主演を務めていたのは北村優衣さん。
当時の山下さんは、脇役ながらも真剣に舞台に取り組んでいました。
でも、順調に見えた芸能活動にも、すぐに“壁”が訪れます。
アイドルグループのオーディションを何度も受けるものの、結果はことごとく不合格。
特に、AKB48の第13期生オーディションに落選したときは、本当に落ち込んだそうです。
自分なりに夢へ近づこうと頑張っていたのに、結果が出ない。
「私、芸能界に向いてないんじゃないか」——そんな不安がよぎったのも、無理はありませんよね。
そして高校進学後には、所属していた事務所との契約も終了。
あれだけ頑張ってきたのに道が閉ざされるような、そんな感覚だったと思います。
一度は諦めかけた夢。
だけど、その夢を完全には手放さなかった山下さんの芯の強さに、グッとくるんですよね。
瑞穂中学校で培われた表現力と人間力
そんな厳しい状況の中でも、山下さんは学校生活を大切にしていました。
瑞穂中学校では、バレーボール部に所属していて、体を動かすのはあまり得意じゃなかったみたいですが、それでも一生懸命に取り組んでいたそうです。
運動神経が悪いという自覚があっても、仲間と過ごす時間を大切にする。
そういう姿勢って、どこか今の山下さんの空気感にもつながっている気がします。
さらに中学時代には、「青年の主張 意見発表会」で優秀賞を受賞するという実績もあります。
これは、ただ話すのがうまいということではなく、自分の考えを筋道立てて、人の心に届く言葉で伝える力があったということ。
舞台経験と発表会での受賞、そのどちらも「表現すること」に関わるもの。
すでに中学生の段階で、山下さんのなかに“表現者としての土台”がしっかりあったんでしょうね。
しかも、中学時代は今より体重が多かったそうで、その頃の自分にコンプレックスを感じていたとも話しています。
それでも彼女は、自分を否定せずに歩み続けた。
きっと、内面の強さと優しさを持ち合わせていたからなんでしょう。
人としての“核”が形づくられたのは、まさにこの瑞穂中学校で過ごした3年間だったのかもしれません。
乃木坂加入前夜:高校時代の転機と内面の葛藤

「もう、普通の高校生として生きていこう」
そう思いかけた高校時代、山下美月さんの心の奥底に、消えかけたはずの“夢の火”が、再び小さく灯りはじめます。
表では誰にも悟られないように「普通」を装いながら、心の中では自分自身との静かな戦いが続いていました。
茶道部副部長、学業とバイトの日々
高校入学時、山下さんが通っていたのは東京都立東大和南高校。
本当は第一志望の学校があったけれど、そちらは残念ながら不合格。
それでも、自分の場所を見つけるように日々を丁寧に積み重ねていきました。
彼女が選んだ部活動は茶道部。
しかも、副部長まで務めていたというのが少し意外かもしれませんね。
茶道の世界では、お辞儀の角度や茶器の扱い方、言葉遣いに至るまで、すべてに心配りが求められます。
その繊細な所作や空気の読み方は、のちに芸能活動でもしっかりと活きているように感じます。
浴衣の着付けや和室でのマナー、花の名前まで覚える毎日は、まさに“静かな学び”の時間。
今でも山下さんは、浴衣での撮影が好きだと話していますし、ここでの経験は深く身体に刻まれているのでしょう。
また、学業と並行して、中華料理店でのアルバイトもしていました。
しかもその給料は「大学進学のための学費」としてコツコツ貯めていたそうです。
高校時代の山下さんは、いつも冷静で空気を読みながら動くタイプ。
自分のことを「真ん中の存在」と表現していて、あえて目立たず、かといって埋もれもせず、常に中庸であることを意識していたと言います。
その背景には、「普通でいること」が自分を守る唯一の方法だった、そんな彼女なりの“生きやすさ”の戦略があったのかもしれませんね。
SHOWROOM配信の葛藤と「普通」であることへの執着
転機が訪れたのは高校2年生のとき。
偶然目にした「乃木坂46 第3期生オーディション」の告知でした。
「どうせまた落ちるだろう」「でも、やっぱり挑戦したい」
そんな気持ちの間を揺れ動きながら、
山下さんはオーディションに応募することを決意します。
ただ、このオーディションには“ある試練”がありました。
それが「SHOWROOM」という動画配信サービスを使った公開審査。
当時すでに乃木坂ファンが多くいた高校内では、「4番って、うちの学校の子じゃない?」と噂が広がり、山下さんはかなり苦しんだようです。
注目されることに慣れていない彼女にとって、名前も顔も知られることは怖くて仕方がなかったはず。
「SHOWROOMが本当に嫌だった」と後に語っているように、その緊張とプレッシャーのなかで、笑顔を作るのは相当な勇気が必要だったでしょうね。
それでも彼女は逃げませんでした。
「大学受験勉強に入る前に、もう一度だけ夢を見よう」
そんな言葉を残し、山下さんは自分自身の手で扉を開けました。
ずっと守ってきた“普通であること”を、そっと手放して。
このときの一歩がなければ、今の彼女はいない。
そう思うと、あのSHOWROOM配信は、彼女にとっての大きな試練であり、奇跡の始まりでもあったんですよね。
乃木坂46加入と躍進:努力が実ったグループでの成長

乃木坂46の3期生としてオーディションに合格した山下美月さん。
あのSHOWROOMでの配信を乗り越えたその先に、彼女を待っていたのは試練ではなく、想像を超える大きな舞台でした。
だけど、ただ「受かった」だけではなかったんです。
彼女はその中でも目を引く存在として、ものすごいスピードで頭角を現していきました。
3期生でいきなりセンター起用された理由とは
2016年、高校2年生の12月。
山下さんは乃木坂46の「お見立て会」で、ついにファンの前に姿を見せました。
このイベントは、3期生としてのお披露目の場。
しかもその大舞台・日本武道館でのパフォーマンスで、彼女はセンターに立ちました。
披露されたのは、ファンの間でも人気の高い楽曲「ガールズルール」。
そこに、初舞台ながら堂々と立った山下さんの姿は、多くの人の心を掴みました。
「なぜ彼女がセンターに選ばれたのか?」と当時も話題になりましたが、
それは、単にルックスが良いからでも、運が良かったからでもないんですよね。
中学時代から舞台で演技経験を積み、高校では茶道で“魅せ方”を学び、日々の努力と積み重ねが、自然と“オーラ”となって現れていたのでしょう。
彼女はデビュー直後から、堀未央奈さんや齋藤飛鳥さん、西野七瀬さんら、そうそうたるメンバーと肩を並べるようなポジションに立つようになります。
しかも、グループの20枚目シングル「シンクロニシティ」では、初選抜にしていきなり1列目。
白石麻衣さんがセンターを務めたこの作品で、山下さんもまた大きな注目を浴びました。
“期待の新人”という言葉以上に、彼女の存在にはすでに“期待の中心”という重みがのしかかっていたのかもしれません。
でも彼女はそれを、決して重荷には見せませんでした。
むしろ、笑顔の裏に芯の強さをにじませながら、自然体でその場に立ち続けていた。
それが山下美月さんという人なんですよね。
CanCam専属モデル、女優としても開花した才能
乃木坂としての活動と並行して、彼女はモデル・女優としても新たな道を歩き始めます。
2018年、人気ファッション誌「CanCam」の専属モデルに抜擢。
当時まだ19歳という若さで、しかもモデル経験がなかったにも関わらず、その存在感はすぐに誌面を飾るようになります。
特にすごいのが、専属になってからわずか半年後の2019年3月号で、表紙に起用されたこと。
これは「CanCam」の中でもかなり異例のスピードだったそうです。
しかもその表情がまた魅力的で、「強さ」と「儚さ」が共存しているような、どこか透明感のある佇まいでした。
モデルとしての彼女もまた、“型にはまらない美しさ”を武器にしていたんですよね。
同じ2019年には、テレビドラマ『神酒クリニックで乾杯を』で主演として女優デビュー。
初めての連続ドラマでいきなり主役を務めたというのもすごいですが、それ以上に「演じること」が彼女にとってごく自然だったというのが印象的です。
中学時代の舞台経験、小学校時代のスピーチ発表会、そしてSHOWROOMでのカメラ慣れ——それらすべてが糧になっていたのでしょう。
さらに2021年には、グループの26枚目シングル『僕は僕を好きになる』でセンターに選ばれます。
この楽曲のメッセージと彼女の成長が重なって、まるで山下さん自身の物語のように感じたファンも多かったはずです。
彼女は「与えられた場所」をただ守るのではなく、自分で意味を見出し、そこに物語を刻んでいける人なんですよね。
モデルとして、女優として、そしてアイドルとして。
それぞれの舞台で、自分の色をしっかりと持ちながら輝けるのは、彼女が努力を積み重ねてきた“理由ある才能”を持っているからなのだと思います。
卒業後の現在地:女優・モデルとしての挑戦と評価

乃木坂46での華やかなキャリアにひと区切りをつけた山下美月さん。
でもそれは“終わり”ではなく、“ここから”が本当のスタートだったのかもしれません。
グループの看板メンバーとして活躍してきた彼女が選んだのは、ゼロからまた自分と向き合う「女優」と「モデル」という新しい道でした。
2024年に乃木坂卒業、次に選んだ道
2024年5月、山下美月さんは乃木坂46を卒業しました。
発表があった時は、多くのファンが驚き、そして寂しさを感じたことでしょう。
でも、その決断には、山下さんなりの“覚悟”が込められていたようです。
乃木坂での活動は約7年間。
その間に、センターも経験し、ファッション誌「CanCam」の表紙を飾り、テレビドラマでは主演も果たすなど、ひとつの夢を形にしてきた彼女。
けれどその一方で、「このままグループの看板に甘えたままではいけない」
という思いがどこかにあったのではないでしょうか。
卒業後の山下さんは、明確に“女優業”に力を入れ始めています。
今までもテレビドラマに何本も出演してきた彼女ですが、グループという肩書きを脱いだ今、真価が問われる時期に入ったわけです。
その中で見せる演技には、どこか繊細で、人の弱さに寄り添うような優しさがあります。
役に入り込む姿勢も誠実で、一つひとつの作品に丁寧に向き合っているのが伝わってきます。
そしてモデルとしても活動を継続し、彼女ならではの“知的で凛とした美しさ”を発信し続けています。
女優とモデル、どちらも「自分らしくいられる場所」として、大切に育てているように見えますね。
「僕は僕を好きになる」センター抜擢が象徴する存在感
2021年1月、乃木坂46の26枚目シングル『僕は僕を好きになる』。
この作品で山下美月さんは、ついにセンターに選ばれました。
この楽曲のタイトルには、「どんな自分も受け入れる」「自分を好きになろう」という
メッセージが込められています。
それはまさに、山下さん自身のこれまでの歩みと重なる言葉でした。
幼い頃から“普通”であることにこだわり、
目立つことを避けながら、それでもアイドルという夢を手放せなかった少女。
中学時代にはオーディションに何度も落ち、高校時代には「自分なんて無理」と思いながらも、最後の挑戦として乃木坂のオーディションを受けた彼女。
そんな山下さんが、グループの真ん中に立ち、「僕は僕を好きになる」と歌う姿には、言葉以上の力がありました。
それは、ファンへのメッセージであると同時に、過去の自分自身への「肯定」のようでもあったんですよね。
このセンター抜擢が象徴していたのは、彼女の人気やビジュアルだけではなく、内面の成長と、グループ全体に対する信頼だったと思います。
卒業後も、その「自分を信じる力」は変わっていません。
だからこそ、今の山下さんは、乃木坂時代よりももっと自由に、もっとしなやかに、女優として、そして一人の表現者として前に進んでいるのだと思います。
まとめ
- 幼い頃から抱いていた「アイドルになりたい」という夢を、現実に変えてきた山下美月さん
- 挫折や不安と向き合いながらも、自分らしい歩みを止めなかった強さがある
- 卒業後は“女優”として、“モデル”として、さらに自由に羽ばたこうとしている
山下美月さんの歩んできた道は、決して平坦なものではありませんでした。
舞台での端役、オーディションの不合格、心の葛藤……それでも彼女は何度も立ち上がってきました。
「普通でいたい」と思いながらも、「夢を諦めたくない」と心のどこかで叫んでいたあの高校時代。
そして乃木坂46としてデビューし、センターに立ち、たくさんの人に自分の存在を届けてきました。
そのひとつひとつの選択が、今の彼女をつくっているんですよね。
これからどんな役に出会い、どんな表情を見せてくれるのか——
山下美月さんのこれからを、静かに、でも確かに楽しみにしている人はきっと多いはずです。
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