「鷲見玲奈って、どんな道を歩んできたんだろう?」
そんなふとした興味から、このページにたどり着いたあなたへ。
テレビでは華やかに見える彼女ですが、
実は小学生でサッカーの全国大会に出場したり、
大学では芸能活動と学業を両立させたりと、
地に足のついた努力の積み重ねが光る人なんです。
このページでは、鷲見玲奈さんの学歴や経歴を、
エピソードを交えながらわかりやすくご紹介します。
あのメガネ姿の裏に、どんな物語があったのか——
読み終わるころには、きっと少し彼女が好きになっているはずです。
鷲見 玲奈のプロフィール
- 名前:鷲見 玲奈(すみ れいな)
- 生年月日:1990年5月12日
- 年齢:35歳(2025年11月現在)
- 出身地:岐阜県岐阜市
- 身長:161cm
- 血液型:B型
- 芸能活動名義(大学時代):日高玲奈
- 元所属局:テレビ東京(2013年~2020年)
- 現在:フリーアナウンサーとして活躍中
テレビのバラエティや情報番組でよく見かける鷲見玲奈さん。
知的で明るくて、なんだか親しみやすい雰囲気を持っていますよね。
でも実は、アナウンサーになる前からちょっとユニークな経歴の持ち主なんです。
まずは、彼女の基本的なプロフィールをサクッと見てみましょう。
鷲見玲奈(すみ れいな)さんは、1990年5月12日生まれ。
出身は岐阜県岐阜市で、3人きょうだいの真ん中として育ちました。
身長は161cm、血液型はB型。
小さい頃から運動が得意で、小学1年生からサッカーを始めるほどのスポーツ少女でした。
そのサッカーでは、なんと小6で全国大会にも出場する実力!
そしてもうひとつ、少し意外かもしれませんが「詩吟」も得意なんです。
祖母の影響で3歳から習い始め、今でも趣味として続けているんだとか。
その後、地元の岐阜北高校を経て、首都大学東京(現在の東京都立大学)に進学。
大学卒業後はテレビ東京に入社し、アナウンサーとしてのキャリアをスタートさせました。
現在はフリーアナウンサーとして、テレビ・CM・雑誌など幅広いメディアで活躍中。
アナウンサーという枠を超えたマルチな才能で、ますます注目を集めています。
アナウンサーになるまでの歩みとテレビ東京時代の実績
「アナウンサーって、どうやってなるの?」って思ったことありませんか?
実は鷲見玲奈さんも、大学時代からコツコツと準備を重ねて夢をつかんだひとりなんです。
その道のりには、努力とちょっとした“転機”が詰まっていました。
彼女がアナウンサーを目指し始めたのは、首都大学東京(都市教養学部)に進学してから。
実際にアナウンススクールにも通い、発声や原稿読み、そして方言の矯正にも励んだそうです。
ちなみに、鷲見さんは岐阜出身。
標準語に近いイメージがありますが、実際は岐阜弁が強めで、そのクセを直すのに苦労したとか。
なんか、わかる気がしませんか? 方言って愛着ある分、直すのはなかなか大変ですよね。
そんな地道な努力が実を結び、2013年にテレビ東京へアナウンサーとして入社。
同期には、後にTBSや日テレで活躍するアナウンサー仲間たちもいて、切磋琢磨の日々だったそうです。
そして入社からわずか2年後、運命的な番組が彼女を一躍有名にします。
テレビ東京入社から「メガネ美人」として注目を集めた日々
2015年1月。
鷲見玲奈さんの名前が全国区になったきっかけ、それが『ウイニング競馬』という番組でした。
競馬の知識はほぼゼロだったという鷲見さんですが、落ち着いた進行と明るい笑顔、
そして何より視聴者の目を引いたのが「メガネ姿」!
黒縁のフレームにスッと通った鼻筋、整った顔立ちが絶妙にマッチして、
ネットでは「メガネ美人アナ」として大きな話題に。
当時のSNSや掲示板では、「誰あのアナウンサー?」「メガネ似合いすぎ」なんて声が飛び交いました。
知ってました?
その人気ぶりは、テレビ東京の女子アナの中でも群を抜いていたほど。
2017年には『週刊ヤングジャンプ』の表紙も飾り、局アナとしては異例の快挙となりました。
さらに『家、ついて行ってイイですか?』『知られざるガリバー』『ニュースモーニングサテライト』など、
情報番組からドキュメンタリー、スポーツまで、幅広いジャンルを担当。
「見かけない日はない」と言われるほどの活躍ぶりでした。
2020年3月、テレビ東京を退社。
フリーアナウンサーとして新たな道を歩む決意をします。
ただ、退社後もオファーは絶えず、むしろ活動の場はどんどん広がっていきました。
CM、グラビア、MC、YouTube出演まで——「ただの女子アナ」では収まらない存在感を放ち続けています。
大学生活と芸能活動の両立|首都大学東京での挑戦
難関大学の勉強と芸能活動、どちらもこなすって想像以上に大変ですよね。
でも鷲見玲奈さんは、それを大学時代に実現していたんです。
“学生”と“芸能人”という二つの顔を持ち、日々を全力で駆け抜けていた彼女の姿がそこにはありました。
鷲見さんが進学したのは、東京都が運営する首都大学東京(※現在の東京都立大学)。
その中でも最難関と言われる「都市教養学部」に所属し、経営学を専攻していました。
偏差値は60ほど。決して簡単な学部ではありません。
講義やレポートに追われながらも、彼女は自分の「好き」や「やってみたい」を止めなかったんです。
そのひとつが、大学1年のときに出場した「新橋こいち祭」のゆかた美人コンテスト。
残念ながらグランプリは逃したものの、ファイナリストに選ばれたことで注目を集めます。
その後、芸能事務所に所属して、テレビやCMにちょこちょこと出演。
でも、まだ世間的には無名の存在。
「ちょっとテレビに出てる学生」くらいの立ち位置だったかもしれません。
ちなみに、当時は芸名を使って活動していたんですよ。
この話は次の見出しで詳しくお話ししますね。
「日高玲奈」としての芸能活動とアナウンサーへの決意
大学時代、鷲見玲奈さんは「日高玲奈(ひだか れいな)」という名前で活動していました。
なんだか雰囲気は似てるけど、ちょっと意外ですよね。
芸能事務所に所属してからは、モデルやタレントとして、バラエティやCMにも出演。
なかでも注目されたのが、テレビ朝日の深夜番組『お願い!ランキング』。
ここでの出演がきっかけとなり、少しずつ名前が知られるようになっていきます。
さらには、「かどやのごま油」のCMや、自主制作映画『デプレッション』のヒロイン役など、
ジャンルを問わず幅広く挑戦していたんです。
この映画出演が大学2年生のときというから、なかなかの行動力ですよね。
でも、鷲見さんが目指していたのは“女優”や“タレント”ではなく、あくまで「アナウンサー」。
この頃からすでに、はっきりとその将来を見据えていたそうです。
東京・六本木にあるテレビ朝日アスク(アナウンサー養成スクール)にも通い、
本格的に話し方や原稿読みを学んでいました。
その中で、ネックになったのが「岐阜弁」。
地元・岐阜のなまりを直すため、何度も練習を重ねたそうです。
地方出身の人なら、この気持ちちょっとわかるかもしれませんね。
大学生活の中で芸能活動と勉強、そしてアナウンススクールを両立。
まさに多忙を極める日々だったはずですが、ブレずに夢へと突き進んだ姿勢が印象的です。
岐阜北高校時代の素顔|進学校で過ごした青春
今でこそ“華やかで都会的”な印象のある鷲見玲奈さん。
でもその原点は、地元・岐阜県で過ごした高校時代にありました。
じつは当時、彼女は部活をしていなかったって知ってました?
鷲見さんが通っていたのは、岐阜市にある岐阜北高校。
県内トップクラスの公立進学校で、偏差値は66。
東京大学や京都大学、名古屋大学など、難関大学への合格実績も多い、まさに“超”ガチな学校です。
そんな中で、鷲見さんは“帰宅部”。
部活には入らず、自分の時間を大事にしていたそうです。
とはいえ、地味な高校生活だったわけではありません。
実は高校3年のときに、あるテレビ番組に出演していたんです。
高校生活の中でも特に思い出深いのが、卒業式。
2020年、自身のInstagramで制服姿の写真を公開し、「高校時代の私、若い…」とコメント。
ネットでも「かわいすぎる」と話題になりました。
ちなみに、岐阜北高校の卒業生には、女優の伊藤寧々さんやタレントのドーキンズ英里奈さんも。
こうして見ると、地元岐阜から有名人がけっこう出てるんですね。
さんちゃんねる出演とモテエピソードが話題に
2008年、鷲見玲奈さんが高校3年のときに出演したのが、
明石家さんまさんの番組『さんちゃんねる』。
この番組、全国放送ではないものの、当時の学生にとってはちょっとした“憧れ枠”。
そんな中でテレビに出ていたなんて、やっぱり昔から光るものがあったんでしょうね。
しかも、当時の鷲見さんは「めちゃくちゃモテていた」とのウワサ。
というのも、本人がバラエティ番組で明かした話によると、
中学1年のときに1週間で7人に告白されたことがあるんだとか!
これにはスタジオも驚きのリアクション。
もちろん美人で明るい性格だからこそ、自然と人が集まってきたんでしょうね。
高校時代は大きな芸能活動こそしていませんが、
メディア出演の経験や、地元での存在感はすでに際立っていたようです。
中学・小学校時代の鷲見玲奈|運動神経抜群のサッカー少女
今でこそ知的でしなやかな印象の鷲見玲奈さんですが、
小・中学生の頃は活発で、どちらかというと“体育会系女子”だったって知ってました?
彼女の運動神経の良さは、実はこの時期にしっかりと育まれていたんです。
鷲見さんの出身小学校は、岐阜県郡上市立白鳥小学校。
その後、同じく地元の白鳥中学校へと進学します。
どちらも自然豊かな地域にある公立校で、のびのびとした環境で育ったことが想像できますよね。
小学1年生のときに始めたのがサッカー。
当時の女の子でサッカーをやっている子って、今ほど多くなかったかもしれません。
そんな中でボールを追いかけ、真剣に練習に打ち込む姿…目に浮かびませんか?
サッカーだけじゃありません。
中学校ではバスケットボール部に所属し、持ち前の運動神経をいかんなく発揮。
テレビ番組『全力!脱力タイムズ』などでも、卓球や他のスポーツに挑戦する姿が話題になっていましたが、
あの身のこなし、納得の理由はここにあったんですね。
さらにちょっと意外なのが、中学時代の“モテ話”。
なんと中1のとき、1週間で7人から告白されたというから驚きです。
そりゃあ運動神経よくて明るくて可愛かったら、人気出ますよね…。
勉強・スポーツ・人気者と、まさに“万能タイプ”だった鷲見さん。
この時期の経験が、後の彼女のしなやかさと芯の強さにつながっていったのかもしれません。
小学6年で全国大会出場&詩吟との出会い
「小学6年で全国大会出場」って、ちょっとすごくないですか?
それも、部活じゃなくて“少年サッカーチーム”でのことなんです。
鷲見玲奈さんが所属していた地元の少年サッカークラブは、
男子中心のチームだったはず。
そんな中で、技術と体力を磨きながらポジションを勝ち取り、
小学6年生で全国大会に出場したんです。
チームでのプレーはもちろん、仲間との関係性や目標に向かう姿勢など、
この頃に学んだことは、きっと今でも彼女の中に根づいているはず。
そしてもう一つ、この時期に始めたのが詩吟(しぎん)。
ちょっと渋い? と思うかもしれませんが、これにはおばあちゃんの存在が関わっています。
なんと鷲見さんは3歳のときから祖母に詩吟を習っていたそう。
いわゆる「和の文化」に親しむ時間が、幼い頃から生活の中にあったんですね。
詩吟って、ただ詩を読むだけじゃなくて、
腹から声を出したり、リズムを取ったり、集中力も必要だったりするんです。
今の彼女の“声の通り方”や“発声の安定感”は、もしかするとこの経験が土台になっているのかもしれません。
ちなみに、この詩吟は今でも趣味として続けているとのこと。
おしゃれで都会的なイメージの裏に、静かに息づく古風な一面。
なんだか、ぐっと魅力が深まりますよね。
まとめ
- サッカー少女だった小学生時代から、テレビ東京の看板アナウンサーに
- 大学では芸能活動と勉強を両立、夢を手放さなかった努力家
- 今も詩吟を続ける、多面的で飾らない“鷲見玲奈”の魅力がじんわり伝わる
テレビで見る鷲見玲奈さんって、いつも明るくて、ちょっとお茶目で。
だけどその笑顔の奥には、ちゃんと努力してきた時間があって、
まっすぐ夢を追いかけてきた足跡があって。
小さな町でサッカーに夢中だった少女が、
やがて「日高玲奈」として芸能の世界を経験し、
そして“鷲見玲奈”として多くの人に名前を知られる存在になった。
派手さよりも、地道な積み重ねとひたむきさ。
それが彼女の芯の強さをつくっている気がします。
知れば知るほど、じわっと心に残る人。
そんな鷲見玲奈さんのこれからも、きっと目が離せませんね。

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