小学生のころから野球ひと筋だった少年が、気づけば全国区の俳優になっていた――。
そんな驚きの歩みをたどったのが、水上恒司さんです。
この記事では、水上さんの学歴や経歴を、少年時代から現在まで丁寧にたどっています。
読み終えるころには、きっと彼のことをもっと応援したくなっているはずです。
水上恒司のプロフィール
テレビドラマ『中学聖日記』で鮮烈なデビューを飾り、いきなり多くの視聴者の心をつかんだ俳優・水上恒司さん。
彼の名前を聞いて、「あれ、岡田健史じゃなかった?」と思った人も多いはず。
実は彼、2022年から本名である“水上恒司”として再スタートを切っています。
まずは、彼の基本的なプロフィールをチェックしておきましょう。
- 本名:水上 恒司(みずかみ こうし)
- 旧芸名:岡田 健史(おかだ けんし)
- 生年月日:1999年5月12日
- 年齢:26歳(2025年11月現在)
- 出身地:福岡県福岡市東区
- 身長:180cm
- 血液型:O型
福岡市で育まれた幼少期と小学校時代
俳優・水上恒司さんの原点は、九州・福岡市の東側にある「和白(わじろ)」エリアにあります。
海と山が近くにあり、自然とともにのびのび過ごせるこの地域で、彼はきょうだいの末っ子として育ちました。
笑顔の絶えない家庭だったそうです。
水上さん自身も「反抗期がなかった」と話すくらい、家族との信頼関係はとても深かったみたいですね。
そんな家庭環境の中で、小さい頃からスポーツに対する好奇心が強かった水上さん。
なかでも夢中になったのが「野球」でした。
家族でいろんな場所へ出かけることも多かったそうですが、野球に打ち込むようになってからは、旅行すら行けなくなったというエピソードもあります。
それくらい本気だったんですね。
そして、のちに芸能界へ進むとはまったく想像がつかないほど、彼の頭の中は「野球一色」だったのです。
でもそのひたむきさが、のちの演技にもつながっていくから面白いですよね。
次の見出しでは、水上さんが野球と本格的に出会った小学校時代のことを、もう少し深掘りしていきます。
和白丘東小学校で始まった野球との出会い

水上恒司さんが通っていたのは、地元・福岡市立和白丘東小学校(または美和台小学校説もあり)とされています。
この地域は穏やかな住宅街で、公園やグラウンドも多く、スポーツに触れる機会がたくさんあるんです。
水上さんが野球を始めたのは、なんと小学2年生のとき。
「ヤング福岡ライナーズ小学部」という硬式野球チームに所属して、全国大会を目指して本格的なトレーニングをスタートしました。
このチーム、実はかなりの強豪。
小学生とは思えないような練習メニューで、選手たちは日々厳しい指導を受けていたそうです。
でも、水上さんはその環境に自ら飛び込みました。
きっかけは、小学1年のときに「野球をやりたい!」と両親に直訴したこと。
最初は「本気かどうか分からない」と断られてしまったんですが、何度もお願いし続けた結果、ついに入団が叶ったんです。
粘り強いですよね。
「子どもが親に直談判してチームに入る」って、なかなかない話だと思いませんか?
そんな努力のかいあって、彼は小学生の頃からレギュラーとして活躍し、仲間と一緒に全国大会出場を目指す日々を送っていました。
当然、遊ぶ時間も少なかったでしょうし、家族旅行にもなかなか行けなかったみたいです。
それでも「プロ野球選手になりたい!」という思いで、真剣に練習に打ち込む姿は、すでに“プロ意識”すら感じさせますよね。
このときの経験が、のちに“俳優・水上恒司”の土台になっていくわけですから、本当に人生ってどこでどうつながるか分かりません。
中学時代に訪れたスカウトと“野球一筋”の日々
水上恒司さんの中学時代は、まさに“野球一筋”の生活そのもの。
でも実はこの時期、すでに芸能界から声がかかっていたって、知ってましたか?
通っていたのは福岡市内の公立中学、福岡市立和白丘中学校。
中学1年の冬、帰宅中の水上さんに声をかけたのが、のちに彼が所属することになる大手芸能事務所スイートパワーのスカウト。
当時のことを本人は「給食袋を振り回しながら歩いてたら、急に呼び止められた」と笑って話しています。
ただ、彼はそのとき野球に集中していたので、「芸能界?なにそれ?」くらいの感覚だったんですね。
しかも次の日も同じ場所で、スカウトの人が“2人に増えて”待っていたという話は、ちょっとドラマみたいじゃないですか?
でも彼は怖くなって道を変えて帰ったそうです。かわいらしい一面ですね。
それでもスカウトは諦めず、なんとそこから5年間もアプローチを続けたそう。
このしつこさ、いや熱意を見ると、当時から水上さんの素材としての価値がいかに高かったかが伝わってきます。
一方で、彼自身は最後まで野球に全力。
中学3年の卒業式では、モテモテエピソードも話題に。
制服のボタンが全部なくなったらしく、「あれ?何個までが“いい感じ”なんだっけ?」って思うレベルでの人気ぶりだったようです。
この頃からもう、人を惹きつける何かを持っていたんでしょうね。
和白丘中学校とヤング福岡ライナーズ中学部での本格野球生活
中学校に上がってからも、水上さんの野球に対する情熱は揺らぐことなく続きます。
学校の部活動ではなく、「ヤング福岡ライナーズ中学部」というクラブチームに所属。
このチームは、全国レベルの強豪として知られていて、練習の厳しさもかなりのもの。
天気が悪くても関係なし。
雨でも雪でも、グラウンドに立つのが当たり前という環境の中で、水上さんは3年間を過ごしました。
「プロ野球選手になる」という夢を本気で見ていたからこそ、苦しい練習も当たり前。
親元を離れる準備すら、この時点で始まっていたのかもしれませんね。
中学の野球部とは違って、硬式野球に取り組むクラブチームでは、より実戦的なスキルが求められます。
そんな環境で水上さんは鍛えられ続け、試合の中でしか身につかない“勝負の感覚”を体に染み込ませていきました。
ちなみにこのライナーズからは、後にプロ入りする選手も出ていて、レベルの高さはお墨付き。
その中でも、水上さんはキャッチャーとして確かな存在感を発揮していたそうです。
この頃の話を聞くと、俳優というより、やっぱり“アスリートの顔”が浮かびますよね。
でもこの真剣勝負の3年間が、演技の世界でも彼が全力を出せる理由につながっているのかもしれません。
土台を支えていたのは、間違いなくこの中学時代の野球漬けの毎日だったんです。
創成館高校での寮生活と甲子園を目指した青春

中学卒業後、水上恒司さんが選んだのは、地元・福岡を離れての挑戦でした。
彼が進学したのは、長崎県諫早市にある創成館高校。福岡市からは電車で2時間以上かかる場所にあり、ここでの3年間は寮生活でした。
創成館高校といえば、部活動が盛んなことで知られており、特に硬式野球部は県内屈指の強豪校。
そんな環境で、水上さんは甲子園を目指して汗を流していました。
実は彼、この学校に特待生として入学しています。つまり、当時から実力がしっかり評価されていたということ。
甲子園を夢見て、親元を離れて寮で暮らす――そんな覚悟のある選択、なかなかできるものじゃないですよね。
寮生活は、当然ながら自由も少なく、厳しい規律の中での毎日。
それでも水上さんは、朝から晩まで野球に全力で取り組んでいました。
彼が出演した「A-Studio」でも語られていましたが、冬の地獄のようなトレーニングでは、近くの山の山頂まで走る“山ラン”が名物だったとか。
「雪の日でも絶対に練習は休みにならない」と話すほど、容赦ないスケジュールだったそうです。
そんな環境での高校3年間。
誰よりも真面目に、誰よりも努力を続けてきたからこそ、水上さんは多くの仲間や後輩たちからも信頼される存在になっていったのでしょう。
彼が語った「お盆と年末年始しか休みがなかった」という言葉、今でも心に残ります。
そして、この創成館高校で過ごした青春の中には、思いがけない“出会い”もありました。
それが、のちに俳優人生へとつながっていく演劇との出会いです。
イケメン捕手としての奮闘と“演劇”との出会い
「イケメンキャッチャー」として地元ではちょっとした有名人だった水上恒司さん。
練習試合では、対戦校の女子生徒が彼を一目見ようと見学に来ていたという話もあるくらい。
ただ本人はそんな注目よりも、あくまで野球に真剣だったんです。
高校1・2年生では学年キャプテンを務め、3年時には監督の判断で副キャプテンに。
理由は「真面目すぎる性格だから、全体をまとめるよりサポート役の方が向いている」というもの。
なんか、わかる気がしませんか?
そして高校3年の夏、ついに公式戦でスタメンとしてマスクをかぶるチャンスが到来。
長崎県大会の準決勝で、彼は4打数2安打の活躍を見せました。
惜しくも試合には敗れ、甲子園出場は叶いませんでしたが、水上さんにとって忘れられない一戦になったそうです。
試合後、ベンチ裏で両親の顔を見た瞬間に涙があふれてきたというエピソードは、多くの人の胸を打ちました。
そして、そんな彼に訪れたのが、まさかの「演劇部からのスカウト」。
甲子園を逃した直後、演劇部が県大会に出場するための“助っ人”を探していたところ、校長先生が水上さんの名前を挙げたんです。
「演劇?マジで?」と最初は戸惑ったそうですが、甲子園に行けなかった分、何か学校に恩返しがしたいという思いから、出演を決意。
彼が出演したのは、舞台『髪を梳(とか)かす八月』。
でも、いざ舞台に立ってみると「これまで感じたことがないくらい気持ちよかった」と語っています。
ここから少しずつ“俳優・水上恒司”が動き始めたような気がしませんか?
厳しい野球漬けの生活の中で見つけた新たな可能性が、彼の人生を大きく動かすことになるのです。
福岡工業大学への進学と、俳優へ踏み出す転機
高校時代、野球にすべてを捧げていた水上恒司さん。
創成館高校での厳しい練習と寮生活を終えた彼が次に進んだのは、福岡工業大学でした。
この大学を選んだ理由、それはシンプルに「野球を続けたかったから」。
「野球の設備が整っていたし、大学生活も一度経験してみたかった」と、本人も語っています。
進学先の社会環境学部 社会環境学科は、偏差値35ほど。
勉強が楽だったから…ではなく、あくまで野球を軸にしての選択だったのが、水上さんらしいところです。
ただ、大学生活は思ったよりも短く終わってしまいます。
というのも、大学入試の直後にあの運命的なオーディションが待っていたんです。
オーディション合格後、水上さんは大学を入学直後に休学、そして2年後に正式に中退。
野球を続けるか、俳優になるか。
その狭間で揺れた時期もあったようですが、最終的に「自分の人生は自分で決める」と決意し、東京へ出ていくことを選びました。
本人いわく、この時は両親とも大げんかになったとか。
「ちょっと待て。お前、一回座れ」と本気で説得されたそうです。
でも、それを乗り越えてのデビューだったからこそ、水上さんの演技には一本芯があるのかもしれません。
ドラマ「中学聖日記」出演の決断
「中学聖日記」のオーディション。
「もう一度演じてみたい」
「演技で生きていくのも悪くないかもしれない」
そんな思いと、ずっと彼を追いかけていた芸能事務所からの誘いが、ついに一本の道へとつながっていきます。
「これはチャンスだ」と感じた水上さんは、迷いながらも、俳優という新たな世界に飛び込む決断をしました。
体重77kgだった水上さんは、中学生役に合わせて10kgの減量にも成功。
このあたりのストイックさも、やっぱり元アスリートならではですよね。
そして結果として『中学聖日記』での演技が多くの視聴者の心をつかみ、彼の名前は一気に全国へと広がっていくことになります。
大学に進学し、野球を続けながらも、夢に向かって思い切って舵を切った水上恒司さん。
この時の決断が、俳優人生の第一歩となりました。
芸能界デビュー後の活躍と本名・水上恒司としての再スタート
大学を中退し、俳優の道を選んだ水上恒司さん。
その覚悟が本物だったことは、デビュー作の反響がすべてを物語っていました。
演技未経験だったにもかかわらず、彼はたった一作で一気に注目の存在となります。
2018年、TBSドラマ『中学聖日記』での俳優デビュー。
有村架純さんの相手役として選ばれた彼は、当時“岡田健史”という芸名で活動していました。
この作品、正直いって大きなチャレンジだったと思います。
いきなり地上波の連ドラ、しかも主演級の役柄ですからね。
でも、そんなプレッシャーを感じさせないほどの自然な演技で、「誰この新人?」とSNSがざわつくほどの反響を呼びました。
『中学聖日記』の大ヒット以降、水上さんは俳優として着実にキャリアを積んでいきます。
2019年にはスペシャルドラマ『博多弁の女の子はかわいいと思いませんか?』でW主演を務め、2021年にはNHK大河ドラマ『青天を衝け』にも出演。
さらに映画『望み』では、重たいテーマに挑戦するなど、演技の幅を広げていきました。
その努力が実を結び、2021年には日本アカデミー賞・新人俳優賞を受賞。
文字通り、“実力派若手俳優”として一目置かれる存在になっていきます。
でも、ここで満足しないのが水上さんのすごいところ。
2022年9月、それまで所属していた芸能事務所「スイートパワー」との契約を終了。
同時に、芸名「岡田健史」から本名の水上恒司(みずかみ こうし)へと名前を戻す決断をします。
この決断には、いろいろな想いがあったようです。
事務所を離れるというのは、俳優にとってかなり大きな節目。
それでも彼は、「もっと自分の名前で、責任を持って表現していきたい」と前を向きました。
芸名という“借り物の名前”から卒業し、本名で勝負をかける。
その潔さに、彼の真っ直ぐな性格がにじみ出ていますよね。
2023年以降も、ドラマや映画への出演が続々と決まり、SNSのフォロワーも増加中。
俳優としてだけでなく、1人の表現者として成長し続けているのが今の水上恒司さんです。
“岡田健史”という名で一躍スターになった彼が、今は“水上恒司”として、自分の足で一歩ずつ道を切り拓いている。
その姿を、これからも静かに、でもしっかりと見届けていきたいですね。
まとめ
- 野球少年から俳優へ、転身のきっかけは高校演劇
- デビュー作『中学聖日記』で一気にブレイク
- 岡田健史から本名・水上恒司として再出発
福岡で育ち、野球に打ち込み続けた少年が、演劇との偶然の出会いをきっかけに俳優の道へと進んだ水上恒司さん。
初めてのオーディションで主役級に抜擢されるという衝撃のデビューを果たし、そこから数年で日本アカデミー賞を受賞するまでに成長しました。
“岡田健史”という名を手放し、本名である水上恒司として再スタートを切った今。
その姿勢には、これまでの経験と向き合ってきた彼の誠実さと強さがにじんでいますよね。
これからどんな役で、どんな表現を見せてくれるのか。
楽しみにしながら、引き続き応援していきたい俳優です。

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