千葉百音さんって、どんなふうに世界の舞台まで駆け上がったんだろう?
そんなふうに気になったあなたへ、ちょっと驚く話がたくさん詰まっています。
この記事では、千葉百音さんの経歴と学歴を、幼少期から今の姿まで順を追ってご紹介します。
スケートに夢中になった少女が、どんな努力を重ねてきたのか。
そのひたむきな歩みに、きっと心を動かされるはずです。
千葉百音のプロフィール

- 名前:千葉 百音(ちば もね)
- 生年月日:2005年5月31日
- 年齢:20歳(2025年12月現在)
- 出身地:宮城県仙台市
- 身長:158cm
- 所属:木下アカデミー
- コーチ:濱田美栄 ほか
千葉百音がスケートと出会った幼少期

小さな女の子が、テレビの向こうで輝くスケーターに目を奪われた。
その瞬間が、千葉百音(ちば もね)というフィギュアスケーターの始まりでした。
千葉百音さんが初めてスケートに心を動かされたのは、なんと4歳のとき。
テレビに映った氷上の演技に「私もあんなふうに滑ってみたい」と思ったそうです。
その「やってみたい!」が、現実になります。
彼女が通い始めたのは、宮城県仙台市にある「アイスリンク仙台」。
ここ、実は日本のスケート界では超有名な場所なんです。
なぜかというと、オリンピック金メダリストの荒川静香さんや羽生結弦さんも、ここで腕を磨いていたから。
百音さんは、まさに“世界レベルのリンク”で最初の一歩を踏み出したわけです。
当時の彼女は、まだジャンプも難しい技もできません。
でも、氷の上を自由に滑り回るだけで楽しくて仕方なかったそう。
スピードに乗ってリンクを駆け抜けることに夢中になっていた、なんて可愛らしいですよね。
羽生結弦との思い出が育てた夢
リンクでの練習の合間、百音さんには特別な遊び相手がいました。
それが、当時すでに注目されていた羽生結弦さん。
彼のことを、百音さんは親しみを込めて「ゆづる兄ちゃん」と呼んでいたんです。
2人でリンクで鬼ごっこをして遊んだり、冗談を言い合ったり。
なんだか、ちょっと意外じゃないですか? 世界の羽生結弦選手と鬼ごっこなんて!
でも、この“ゆづる兄ちゃん”との時間は、百音さんにとってすごく大きな意味を持っていました。
小さい頃の憧れの存在が、目の前で努力を続けている。
その姿を間近で見てきたことが、彼女の夢をリアルなものにしていったんです。
羽生選手が世界の舞台で活躍するようになってからは、直接会うことは少なくなったそう。
それでも、たまに大会で再会すると「頑張ってるね」と声をかけてもらえるんだとか。
そのたびに、幼い日の記憶が蘇るんでしょうね。
こうして百音さんは、“あこがれ”を“目標”に変えて、フィギュアスケートの世界に本気で飛び込んでいったのです。
中学時代:寺岡中での両立生活
千葉百音さんは、仙台市立寺岡中学校に通いながら、勉強もスケートも全力で向き合っていました。
朝早くからリンクに立ち、授業が終わったらまた練習へ。
毎日がスケジュールびっしり。
「放課後=休憩時間」なんていう感覚は、きっとなかったはずです。
夜遅くまで練習が続く日も多く、寝る時間を削ってでも課題に取り組んでいたそうですよ。
中学生でここまでやるって、ほんとすごい。
それでも、学校生活はおろそかにしなかったんです。
クラスの行事やグループ活動にも積極的に参加して、人との関わりも大事にしていました。
競技だけに偏らず、人間関係もちゃんと築いていたって、なんか好感持てますよね。
ちなみに、寺岡中って仙台の中でもわりと落ち着いた地域にあって、生徒の自主性を重視する校風なんです。
そんな環境も、百音さんにとってはプラスに働いたのかもしれません。
地元仙台で磨いた技術と心の成長
中学生になってからの千葉百音さんは、技術的にも一気に伸びた時期でした。
特にジャンプの安定感がぐっと上がって、演技全体の完成度も高まったそうです。
全国大会でも入賞や表彰台に上がることが増えて、実力が目に見える形で認められ始めました。
でも、順風満帆だったわけじゃない。
調子が落ちたり、思うように演技が決まらない日だって当然あります。
そんなときに支えになったのが、家族と仙台のスケート仲間たちでした。
特に練習拠点だった「アイスリンク仙台」では、同じ夢を持った仲間と切磋琢磨する日々。
互いに刺激を受けながら成長していったんですね。
そしてもうひとつ。
中学時代を過ごした仙台は、フィギュアスケートが盛んな土地でもあります。
荒川静香さん、羽生結弦さんに続く選手を応援する空気があって、百音さんもその中で育ちました。
「地元に恩返ししたい」っていう気持ち、自然と強くなっていったんじゃないでしょうか。
こうして彼女は、地元・仙台で心も体も着実に成長。
高校生になるころには、すでに“次世代の星”として全国から注目される存在になっていました。
高校進学後:東北高校で迎えた飛躍の3年間
中学で着実に力をつけた千葉百音さんは、次のステージとして仙台市の「東北高等学校」へ進学。
この高校、実はフィギュアスケートの強豪校としても有名で、羽生結弦さんも通っていたことで知られています。
百音さんが選んだのは、スポーツに力を入れられるコース。
まさに「スケートに本気で向き合うため」の選択だったわけですね。
高校生活が始まると、彼女の1日はさらにタイトになっていきました。
朝から授業、放課後はリンクへ直行。
夜遅くまでみっちり練習して、帰ってからは学校の課題もこなすという毎日。
「スケートか勉強、どっちかを捨てる」なんて考えはまったくなくて、どちらも全力でやりきるスタンス。
それって簡単そうに見えて、実はすごく難しいこと。
でも、彼女は“両方をやるのが当たり前”という姿勢を貫いたんです。
その努力が、どんどん結果に表れていきました。
インターハイ表彰台と四大陸選手権メダルへの道
高校1年生のときから、インターハイ(全国高等学校フィギュアスケート競技選手権)に出場。
なんとその年から表彰台に立ち、3年間連続でメダルを獲得しています。
知ってました? インターハイって、全国から強豪が集まるレベルの高い大会なんです。
そこで3年連続って…すごすぎですよね。
この頃から、ショートプログラムもフリーも“安定して強い”という印象がつき始めました。
ジャンプのミスが少なく、後半にかけてグッと盛り上がる演技構成が魅力だったんです。
そして、さらに注目を集めるきっかけとなったのが四大陸選手権。
高校3年生のとき、初出場ながら見事に銅メダルを獲得。
しかも、翌年には同大会で金メダルまで勝ち取ってしまうんです。
いやもう、これは完全に“世界レベル”。
日本のトップ選手としてだけでなく、国際大会でも実力を見せつけた瞬間でした。
さらに高校時代の終盤には、練習環境を大きく変えて京都の「木下アカデミー」へ。
濱田美栄コーチの指導のもと、技術や表現力にさらに磨きをかけていきました。
学校生活では、部活動の仲間と過ごす時間も大切にしていたそう。
「チームの一員として、全員で勝ちたい」と語っていたこともあり、個人競技でありながら“仲間意識”を強く持っていたんですね。
卒業式の日には、仲間との別れに涙を見せたというエピソードも。
努力だけじゃなく、人とのつながりを大切にする姿勢も、彼女の魅力のひとつです。
この3年間は、まさに“飛躍”の言葉がぴったり。
一人の高校生が、日本代表へと階段を駆け上がっていく様子が、そこにありました。
早稲田大学進学:通信課程で挑む人間科学の学び
高校卒業後も、フィギュアスケートとしっかり向き合いたい。
そんな想いを胸に、千葉百音さんが進学先に選んだのが、早稲田大学人間科学部の通信教育課程です。
「競技を続けながら、ちゃんと学びも深めたい」って、正直なかなかできることじゃないですよね。
でも百音さんは、そこに迷いがなかったようです。
通信課程なら、世界中を飛び回るスケートのスケジュールと両立できる。
オンライン授業で柔軟に学びながら、自分のペースでレポートを仕上げていくスタイル。
忙しい合間を縫って、移動中に課題を進めたり、深夜にレポートを書いたり…。
そんな姿を想像すると、すごく地道な努力を重ねてるんだろうなって思いませんか?
早稲田大学は、羽生結弦さんも学んだ場所。
同じ仙台出身で、同じ大学という点にも、ちょっとした縁を感じます。
ただの「学歴」ではなく、自分のスケート人生と重なる“学びの場”として選んだ場所なんです。
スポーツ心理学を競技に活かす“学びの現在地”
百音さんが専攻しているのは、「人間科学」という幅広い分野。
その中でも、特に興味を持っているのがスポーツ心理学や身体のメカニズムに関する学び。
知識を得て終わりじゃなくて、それをどう競技に活かすかまで考えているのが、またすごいところ。
たとえば、試合で感じるプレッシャーや緊張。
「どうやって心を落ち着かせるのか」「自信を取り戻すには何が必要か」
そういうメンタル面の課題って、トップアスリートにとっても避けて通れないものですよね。
百音さんは、自分自身の経験を通して、それらに向き合ってきました。
だからこそ、学問として学ぶことで答えを探したいと思ったのかもしれません。
実際、日々の練習でも「今の自分の状態はどうか」を客観的に分析する力がついてきたとか。
スケートって、心と体のバランスがすごく大事。
その“バランス感覚”を、理論としても理解しようとしている姿勢には、本気度を感じます。
「技を磨く」だけじゃない。
「自分を知る」ことにも真剣に取り組んでいる——。
そんな彼女の姿勢が、次のステージへの原動力になっているんでしょうね。
国際舞台で輝く千葉百音の現在地

国内で実力をつけ、高校時代にはすでに全国区の選手になっていた千葉百音さん。
でも、彼女の勢いはそこにとどまりませんでした。
今やその舞台は、世界へ。
グランプリシリーズ、四大陸選手権、そして世界選手権――名だたる大会に出場し、確かな爪痕を残しています。
前にも触れましたが、高校3年のときに初出場した四大陸選手権では、なんと銅メダルを獲得。
翌年にはその大会で金メダルを手にし、国内外のファンや関係者に“本物”であることを印象づけました。
この短期間での飛躍、ちょっと驚きませんか?
でも千葉百音さんは、そうやって常に期待を超えてくる選手なんです。
国際大会では、ジャンプの安定感だけでなく、音楽との一体感や表現力にも注目が集まっています。
見る人の心を動かす演技――まさに、世界が注目する存在になってきました。
そして、ここからが本当の勝負。
彼女は今、次のオリンピックや世界選手権の頂点を本気で狙える場所に立っています。
世界選手権・グランプリファイナルで証明された実力
2025年、アメリカ・ボストンで開催された世界フィギュアスケート選手権。
この大会で、千葉百音さんは銅メダルを獲得しました。
しかも、ショートプログラムでは2位発進という素晴らしいスタート。
フリーでは細かいミスがあったものの、合計得点は215点台。
堂々と世界の表彰台に立ち、日本代表としてしっかり存在感を示しました。
この年のメダル獲得者は、金がアリサ・リュウ、銀が坂本花織選手。
その並びに名を連ねたというだけで、どれだけすごいかが伝わりますよね。
そしてもうひとつ忘れてはいけないのが、グランプリファイナル2024。
ここでも百音さんは銀メダルを獲得。
世界トップ選手が集う舞台で、演技の完成度・安定感・表現力のすべてが高く評価されました。
特に、後半にかけて観客を引き込むような演技構成には「鳥肌が立った」という声も。
ジャンプだけじゃない。
スピンやステップ、表情の細かい演出にまで神経を使った演技に、審査員たちも高い評価を出しています。
試合後には、「最後まで集中力を切らさずに演技できたことがよかった」とコメント。
若干19歳にして、まるでベテランのような落ち着きすら感じさせました。
この世界選手権とグランプリファイナルでの結果は、
“期待の若手”から“日本女子フィギュアの中心選手”へと、彼女を引き上げる大きな転機になったのは間違いありません。
次に目指すのは、やっぱりオリンピック。
今の彼女なら、本当に夢じゃないかもしれません。
まとめ
- 幼少期から羽生結弦選手とリンクで遊んでいた
- 学業とスケートを一切手を抜かずに両立してきた
- 国際大会でメダルを獲る実力と心の強さを持つ
千葉百音さんのこれまでの歩みを振り返ると、「好き」という気持ちを大切に育ててきたことがよくわかります。
4歳でテレビに映ったスケートに憧れ、地元・仙台で一歩ずつ技と心を磨きながら、着実に世界の舞台までたどり着きました。
学校生活でも妥協せず、大学では心理学を学びながら競技に活かす努力を重ねています。
「夢中になったら止まらない」その姿勢こそが、百音さんの最大の魅力なのかもしれませんね。
これからの活躍も、きっとたくさんの人の背中を押してくれるはずです。


コメント