ある日テレビに映った、明るくて笑顔が印象的な女性アナウンサー。
それが山本里菜さんだったという人、けっこう多いんじゃないでしょうか。
でも実は彼女、ただの“元気なアナウンサー”ではありません。
生徒会長、ミスコン出場、そしてTBSアナへ―
そんな山本里菜さんの、ちょっと意外で、かなり努力家な人生を追ってみました。
この記事では、彼女の幼少期から大学生活、TBS時代までをわかりやすくまとめています。
読み終わるころには、テレビで見る山本さんの印象が、きっと少し変わるはずです。
山本里菜のプロフィール
- 名前:山本 里菜(やまもと りな)
- 生年月日:1994年6月22日
- 年齢:31歳(2025年時点)
- 出身地:千葉県千葉市
- 身長:156cm
- 血液型:A型
- 所属:元TBSアナウンサー → 現在はフリー
- 愛称:やまりな
千葉市の焼肉店の娘として育った幼少期

テレビで見かける山本里菜さんの、明るく元気な姿。
あの人懐っこい笑顔の土台は、どうやら千葉の焼肉店で育った家庭環境にあるようです。
山本さんが生まれ育ったのは、千葉県千葉市。
実家は地元で焼肉店を営んでおり、小さな頃からお客さんと接する機会も多かったとか。
この“焼肉店の娘”という環境、ちょっと想像してみてください。
毎日いろんな人が出入りする店内、にぎやかな空気の中で過ごす日常。
人と話すことに自然と慣れていくのも、なんだか納得ですよね。
小さなころから“家族で支え合う”という空気の中で育ったことが、彼女の芯の強さにつながっているのかもしれませんね。
小学生時代にスカウトも経験、進学塾で勉強漬けの毎日
山本里菜さん、小学生のころにはすでに“ちょっと目立つ存在”だったようです。
なんと、芸能事務所からスカウトを受けてオーディションに挑戦したこともあるんです。
結果は残念ながら不合格だったそうですが、このときからすでに、人前に立つことへの意識は芽生えていたのかもしれません。
でも、芸能活動に進むことはありませんでした。
というのも、彼女は小学4年生のころから中学受験のために本格的に進学塾へ通い始めるんです。
週に7日、塾通い。
え、休みないじゃん…って思いますよね?
それだけ本気で勉強に打ち込んでいたということ。まさに“塾漬け”の日々だったんです。
テレビに出るアナウンサーって、華やかに見えるけど、実は努力家が多い。
山本さんもその一人で、小学生のころからコツコツ努力を重ねていたわけです。
「明るくて元気」なだけじゃない。
芯のある優等生だったからこそ、その後の華やかな道が開かれていったのかもしれませんね。
首席合格で山脇学園中へ、キャビンアテンダントを夢見た中学時代
勉強一筋だった小学生時代を経て、山本里菜さんが進学したのは東京都港区にある私立の女子校・山脇学園中学校。
実はこの学校、ただ入学しただけではないんです。なんと、首席での合格だったそうですよ。すごいですよね。
山脇学園といえば、お嬢様学校としても知られる歴史ある中高一貫校。
偏差値はおよそ55前後とされ、決して簡単に入れる学校ではありません。
それをトップの成績で突破するとは、山本さんの努力の成果がはっきり現れた瞬間だったのかもしれません。
そんな彼女が中学時代に抱いていた夢が、意外にも“キャビンアテンダント”。
ちょっと驚きませんか?
でも本人いわく、「英語力と身長が足りなかったから諦めた」と語っているんです。
ちなみに彼女の身長は156cm。
確かに、一般的なCAの採用条件としてはやや低めではありますよね。
だけどその時点で、自分の適性や現実をしっかり見つめていたところが、なんだか彼女らしい。
「夢を変える=挫折」じゃなくて、「夢を見直す=前進」って感じがしませんか?
ちなみにこの時期、学校生活では女子だけの環境の中、落ち着いた日々を送っていたそうですよ。
生徒会長として活躍、アナウンサー志望のきっかけを掴んだ高校生活

山脇学園中学校からそのまま進学した山本里菜さんの高校時代。
彼女はこの時期、ある“役割”を通して大きく成長します。それが、生徒会長です。
そう、あの山本さんが生徒会長だったんですよ。
なんか、ちょっと想像つくような気がしませんか?
クラスの中心にいて、みんなに頼られていて、でも少しドジで…みたいな。
実際にはどうだったかはわかりませんが、彼女は高校でもしっかりリーダーとして活躍していたんです。
生徒会長って、ただ目立つだけじゃなくて責任も大きいポジション。
行事をまとめたり、先生とのやり取りをしたり…なにかと忙しいんですよね。
でも山本さんは、そうした“人前に立って物事を伝える”経験を積むことで、
自分の進むべき道に少しずつ気づいていきます。
そのヒントになったのが、「テレビで見るアナウンサーの姿」だったんです。
とはいえ、まだこの時点では“憧れ”止まり。
でもある出来事が、その気持ちを本物に変えていきます。
それが、次の話です。
ダンス部とリーダーシップ、全国サッカーでの兄の応援が転機に
山本さんは高校時代、ダンス部に所属していました。
しかも、中学時代から合わせて6年間も続けていたんです。
生徒会長とダンス部の両立って、普通に考えたらかなりハードですよね。
でも、好きなことにはとことん打ち込む性格だったんでしょう。
そして、そんな日々の中で迎えたある冬。
兄が出場する「全国高校サッカー選手権大会」の応援に行った山本さんは、
会場でテレビ局のアナウンサーが選手たちにインタビューしている姿を間近で見たんです。
その瞬間、彼女の中で何かがパチンと弾けたように感じたんだとか。
「カメラの前で堂々と話している姿が、すごくキラキラして見えたんです」
そう語る山本さんの目には、はっきりと“自分がなりたい職業”が映っていたはずです。
身近な家族の応援が、未来の夢につながるきっかけになるって、なんか素敵じゃないですか?
部活での継続力、生徒会での行動力、そして兄の晴れ舞台で受けた衝撃。
この高校3年間は、山本里菜さんにとって「アナウンサーになる」という意志を固める、ターニングポイントだったんです。
青学ミスコンファイナリストに選出、行動派だった大学時代
高校時代にアナウンサーという夢を見つけた山本里菜さん。
その思いを胸に進学したのが、青山学院大学 文学部英米文学科です。
偏差値は65前後。都内でも人気の高い学部で、英語に強い彼女にぴったりの進学先だったんですね。
大学ではスポーツ愛好会「Leone」に所属し、バレーボールやフットサル、バスケなどの球技を楽しんでいたそう。
でも、それだけじゃ終わらないのが彼女のすごいところ。
2年生のときには、あの有名な「ミス青山コンテスト2014」に挑戦。
なんと、6人のファイナリストの一人に選ばれたんです!
惜しくもグランプリは逃したものの、そこでの経験が彼女に大きな自信をもたらしました。
SNSでは、「授業中ぼーっとできなくなった」と話していて、すでに“見られる立場”を強く意識していた様子がうかがえます。
ちなみにこの年、準ミスに輝いたのが日比麻音子さん。後にTBSで同僚になる女性アナウンサーです。
大学生活は、まさに“行動の連続”。
ただ夢を見るだけじゃなくて、自分で一歩一歩その夢に近づいていく姿勢が、本当に印象的です。
短期留学・アルバイト・アナウンススクール…夢を形にする準備
大学時代の山本さんは、とにかくアクティブでした。
まず、大学1年の春休みにはロサンゼルスへ1ヶ月間の短期留学。
本場の英語に触れ、海外の文化を体験することで、将来アナウンサーとして世界と関われる自分をイメージしていたのかもしれません。
さらに、THE BODY SHOPでの接客アルバイトも経験。
実はこれ、アナウンスとは関係ないようでいて「人と話す力」を磨くには絶好の環境だったんじゃないでしょうか。
そして何より大きかったのが、フジテレビのアナウンススクール「アナトレ」の受講。
このプログラムでは、発声や表現力、ニュース原稿の読み方など、プロのアナウンサーに必要な基礎を徹底的に叩き込まれます。
「毎回の授業がとても濃く、自分の欠点を徹底的に見ていただけた」と語っており、
山本さんはここで“夢を夢のままで終わらせない力”を養っていったんです。
ちなみに「アナトレ」では、後にTBSの同期となる山形純菜さんとも出会っていたというから面白いですよね。
こうして大学生活の中で、彼女は夢に向けて必要なものを一つずつ着実に積み上げていきました。
努力と行動力がしっかりリンクしている。
山本里菜さんの大学時代は、「夢に向かうための準備期間」として、とても濃密な時間だったんです。
TBS入社から「サンジャポ」レギュラーへ、人気アナとしての軌跡
夢に向かって準備を積み重ねてきた山本里菜さんは、ついに2017年4月、TBSテレビにアナウンサーとして入社します。
入社試験の倍率は毎年1000倍以上とも言われるほど狭き門。その中で内定を勝ち取ったのは、やはり地道な努力と行動力のたまものだったのでしょう。
同期には、同じく「アナトレ」で切磋琢磨してきた山形純菜さんや、スポーツキャスターとしても活躍している喜入友浩さんがいます。
入社して半年後の2017年10月、彼女は情報番組『あさチャン!』でお天気キャスターとして初レギュラーを獲得。
この頃から少しずつ「TBSの若手アナウンサー」として注目を集めるようになります。
そして翌年、2018年1月。山本さんの名前が全国的に知られるきっかけとなったのが、あの『サンデー・ジャポン』です。
“サンジャポ”といえば、爆笑問題を中心にした情報エンタメ番組。
その7代目進行アシスタントという大役に、当時入社2年目の彼女が抜擢されたんです。
正直、プレッシャーも相当あったはず。
スタジオは笑いと毒舌が飛び交う生放送。芸能ニュースも多く、コメント力が問われる現場です。
でも山本さんは持ち前の明るさとハキハキとした話し方で、次第に視聴者の支持を集めていきました。
ネット上では「やまりな(彼女の愛称)、意外とハマってる」「表情が豊かで見てて飽きない」なんて声も。
その後も『爆報!THE フライデー』や『炎の体育会TV』など、人気番組の進行を次々と担当。
一時期は「次世代のTBSエース」とも言われるほどの勢いを見せていました。
そんな山本さんですが、2023年にTBSを退社。現在はフリーアナウンサーとして活動の場を広げています。
安定した局アナという道ではなく、自分の足で立つフリーという道を選んだ山本さん。
“伝えること”への強い意志が、ずっとぶれていないのが伝わってきます。
テレビの前で明るく話す姿の裏には、学生時代からずっと積み重ねてきた努力と、強い覚悟があったんですね。
まとめ
- 小学生時代から「人前に立つ力」と「勉強する力」を磨いてきた
- 首席合格、生徒会長、ミスコン出場など、行動で夢を引き寄せた
- アナウンサーとしての成功は、積み上げた日々の延長線にあった
山本里菜さんのこれまでを振り返ると、華やかな見た目の裏に、地道な努力と行動力がしっかり見えてきます。
幼少期のにぎやかな家庭、週7日塾通いの小学生、中学受験を首席で突破した話。
それぞれの場面に“頑張り屋”な一面が詰まっていましたよね。
夢を見つけてからは、逃げずに向き合って、必要なことをどんどん実践していった彼女。
テレビで見せる笑顔の奥には、ずっとコツコツ努力してきた自分がいる。
そう思うと、彼女の言葉や振る舞いにも、より深みを感じられる気がしませんか?



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