丹生明里さんは、今やアイドルや女優として幅広く活躍する存在ですよね。
でもその始まりは、埼玉県上尾市で剣道に打ち込む、ひたむきな学生生活にありました。
夢に迷いながらも、芸能界への道を目指します。
1万5000人の中からオーディションを勝ち抜き、けやき坂46(現・日向坂46)に加入。
そこから彼女の人生は、大きく動き出しました。
この記事では、丹生明里さんの経歴と学歴を、時系列でわかりやすく紹介。
一歩ずつ前に進んできたその歩みをたどれば、今の笑顔の意味がきっと見えてくるはずです。
丹生明里のプロフィール
- 名前:丹生 明里(にぶ あかり)
- 生年月日:2001年2月15日
- 出身地:埼玉県上尾市
- 血液型:AB型
- 身長:156cm(2023年時点)
埼玉・上尾で過ごした幼少期と剣道との出会い

現在はアイドルや女優として活躍する丹生明里さんですが、その原点は埼玉県上尾市での何気ない日常にありました。
この町で過ごした幼少期、あるきっかけから剣道という世界に足を踏み入れることになります。
丹生さんが生まれたのは2001年2月15日。
育ったのは、埼玉県のほぼ中央に位置する上尾市という場所。
のどかで落ち着いた住宅地が広がるエリアで、きっと友達と元気に遊びまわるような、普通の小学生だったんじゃないでしょうか。
そんな明里さんが剣道に出会ったのは、家族の影響から。
特に大きかったのが、お兄さんの存在です。
お兄さんが剣道をしていたそうで、その通っていた剣道クラブに自然と足を運ぶようになりました。
それが、後にアイドルの世界でも語られるようになる“努力家・丹生明里”の始まり。
剣道といえば、礼儀や集中力が問われる厳しい世界。
でも、明里さんはひたむきに竹刀を握り続けました。
ちなみに、出身の小学校は公表されていませんが、上尾市立の東小学校・中央小学校・芝川小学校あたりの可能性が高いと言われています。
いずれにせよ、地元の普通の小学校に通いながら、放課後は道場で汗を流していたんですね。
兄と共に竹刀を握った小学生時代
丹生明里さんが通っていたのは、埼玉県桶川市にある地域密着の剣道クラブ。
ここで彼女は、お兄さんと一緒に本格的な剣道の世界に足を踏み入れました。
剣道というのは、ただ勝ち負けを競うだけじゃなくて、心を鍛えるもの。
幼いながらも、道場では厳しい指導に耐え、何度も悔しい思いをしながら竹刀を振っていたそうです。
でも、当時の明里さんは正直「まったく勝てなかった」んだとか。
チームメイトに迷惑をかけている気がして、申し訳ない…そんな気持ちが続いていたと言います。
それでも辞めなかったのは、ある意味“意思が弱かったから”だと語っているのも印象的。
やめる決断ができないまま、ただ目の前の稽古に向き合い続けた。
それが結果として、“続ける力”になっていたんですね。
今の彼女の真っすぐなキャラクターや、一歩ずつ成長していく姿勢は、きっとこの時期に育まれたんだと思います。
ちなみに、ブログでは当時の剣道姿の写真も残されていて、竹刀を構える姿からは「負けず嫌い」の気質も感じられます。
決して順調なスタートではなかったけれど、この経験こそが、彼女の土台になったことは間違いありません。
そして何より、お兄さんと一緒に通ったこの道場での時間が、彼女にとって特別な思い出になっているのではないでしょうか。
剣道で二段を取得!中学時代に芽生えた自信

小学校時代、なかなか勝てなかった剣道。辞めたい気持ちを何度も抱えながらも、諦めずに続けてきた丹生明里さん。
その粘り強さが花開いたのが、中学に進学してからのことでした。
彼女が通ったのは、埼玉県上尾市にある公立の中学校。
入学と同時に剣道部に入り、地道に稽古を重ねていきます。
小学生の頃は試合で負け続きだった彼女ですが、環境が変わると少しずつ結果もついてくるように。
部活の仲間と共に汗を流す日々の中で、「あれ、私もやればできるのかも」なんて、そんなふうに感じ始めたんじゃないでしょうか。
剣道を通して得たのは、勝利だけではありません。
毎日の練習で自然と鍛えられていった体力と精神力。
そして、これまで自信を持てなかった自分を少しずつ認められるようになっていった変化。
ついには、昇段試験に挑戦し、見事“剣道二段”に合格。
これって実はかなりすごいことで、しっかりとした実力がないと取得できません。
剣道を始めた頃、泣きそうになりながら道場に通っていたあの姿からは、想像もできない成長ぶりです。
部活だけじゃなく、普段の学校生活でも小さな変化があったようで、本人いわく「中3から授業中に手を挙げられるようになった」んだとか。
なんだか、かわいらしいエピソードですよね。
きっと、心のどこかで「自分にもできることがある」っていう確信が芽生えはじめていたんだと思います。
上尾市立東中学校で仲間と挑んだ埼玉県大会への道
丹生さんが通っていたのは、上尾市立東中学校。
地元の中学ということもあり、小学校時代の友達も多かったのかもしれません。
剣道部に所属していた彼女は、単なる“部員のひとり”ではなく、チームの主力選手として活躍。
市内大会の個人戦では、なんと5位に入賞。
その結果、埼玉県大会への出場が決まります。
部活の仲間と共に稽古に励み、ぶつかり合いながらも支え合ってつかんだ、県大会という大舞台。
それは、彼女にとって大きな自信となったに違いありません。
ちなみにこの時期、彼女が内向的な性格から少しずつ抜け出していったというのも、よく語られている話。
大きな声を出して、仲間とぶつかって、試合に負けて、また立ち上がる。
そんな経験が、アイドルとして人前に立つ今の彼女の“強さ”に、きっとつながっているはずです。
なんでもないように見える中学時代の部活も、こうして振り返ると、ちゃんと意味があるんですよね。
剣道を通して手にした“自信”は、このあと彼女の進む道に、しっかりと灯りをともしてくれたように思います。
熊谷女子高校に入学、そして転機となった映像作品

中学時代に剣道で自信をつけた丹生明里さんは、そのまま努力を重ねて埼玉県内の進学校へと進みました。
でも、その先に待っていたのは、意外な“心の変化”と、人生の方向が大きく変わるある出会いだったんです。
彼女が入学したのは、埼玉県立熊谷女子高校。
偏差値は65。県北エリアでは有名な進学校で、文武両道を掲げる真面目な校風が特徴です。
制服も落ち着いた印象で、まさに“優等生”のイメージにぴったりの学校なんですよ。
でも、そんな学校に入ってからの明里さんは、ちょっとだけ迷っていたそうです。
「何をやりたいのか、わからなかった」
そんなふうに公式ブログにも綴っていて、とりあえず中学から続けてきた剣道部に入部したとのこと。
実際、高校の剣道部はさらにレベルが高くて、稽古も厳しい。
でも、それでもやっぱり続けたんですよね。
しかも、剣道の腕前は三段まで到達。
これは本気でやってきた証。
バラエティ番組でその実力を披露する場面もあり、ファンの間では“剣道ガチ勢”として知られています。
そんなある日、ふと観た一本のミュージックビデオが、彼女の心を大きく動かします。
「サイレントマジョリティー」が夢のスイッチを押した日
高校1年生のある日。
丹生明里さんは、偶然目にした一本のMVに衝撃を受けました。
それが、欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」。
制服姿のメンバーが無言で力強く踊るあの映像に、彼女は心を打たれたんです。
「今まで思っていたアイドルのイメージが、ガラガラと崩れた」と語っています。
それまで、アイドル=キラキラした“雲の上の存在”だと思っていた彼女にとって社会に何かを訴えかけるようなあのメッセージ性は、本当に衝撃的だったのでしょう。
特に胸に響いたのは、歌詞の一節「君は君らしく生きていく自由があるんだ」。
誰かに合わせるんじゃなくて、自分の気持ちに正直に生きること。
それって、思春期の心にスッと入ってくる言葉じゃないですか?
この瞬間、「自分も、こんなふうに誰かの心を動かせる存在になりたい」って思ったそうです。
これが、丹生明里さんが“アイドルになりたい”と思った、最初のきっかけ。
もともと彼女は、ネガティブ思考で自信がなかったと語っています。
でも、あの映像が、心のスイッチを押したんですね。
思いがけない映像との出会いが、進学校での将来設計に揺れていた彼女の心を、はっきりと“アイドル”という道に導いていきました。
なんか、こういう「ふとした瞬間のひらめき」って、人生の分かれ道になることがありますよね。
まさに彼女にとっての“サイマジョ”は、夢のはじまりだったんです。
オーディションの壁と日出高校への転校、芸能界への第一歩

「アイドルになりたい」――そう思っても、実際にその夢を叶えるのは簡単なことじゃありません。
でも丹生明里さんは、高校生活と向き合いながら、一歩ずつその夢に近づいていきました。
高校1年の頃、彼女の心に強く火をつけた欅坂46のデビュー曲。
とはいえ、芸能の世界に足を踏み入れるのはそう簡単じゃないですよね。
実際、明里さんは最初のチャレンジでいきなり壁にぶつかります。
挑戦したのは、指原莉乃さんがプロデュースするアイドルグループ「=LOVE(イコールラブ)」のオーディション。
このときはファイナリストにまで残ったものの、残念ながら最終的には不合格。
でも、ここで諦めなかったのが、今の彼女をつくった大きな分かれ道だったのかもしれません。
「もう一度チャレンジしたい」その想いを胸に、次に挑んだのが「けやき坂46(現・日向坂46)」の2期生オーディションです。
この頃にはすでに、高校も芸能活動との両立を考えて日出高校(現在の目黒日本大学高校)に転校していました。
日出高校といえば、芸能コースがあることで有名な学校。
多くの芸能人が在籍していることでも知られていますよね。
通学は通信制だったようですが、それでも学業とレッスン、オーディション準備を両立するのは大変だったはず。
それでも「夢を諦めたくない」という気持ちが、彼女の行動力を後押ししていました。
慣れないレッスン、表現力の練習、自己PR…
そのすべてが新しい挑戦だったと思いますが、彼女は少しずつ“アイドル”というステージに近づいていきました。
約1万5000人の中から勝ち取ったけやき坂46の切符
けやき坂46(ひらがなけやき)の2期生オーディションは、2017年夏に開催。
なんと、応募者数は約1万5000人。
そのなかから選ばれたのは、たったの9名。
まさに“超難関”です。
丹生明里さんは、その中に見事名を連ねました。
けやき坂46といえば、欅坂46の“アンダーグループ”としてスタートした存在。
ですが、この2期生募集は、グループとしての再スタートとも言える重要なタイミングでした。
「可愛い子ばかりで自信がなかった」
「SHOWROOMの順位も低かったし、諦めかけていた」
と語っていましたが、そんなネガティブな気持ちに打ち勝って、「自分らしくやってみよう」と気持ちを切り替えたことで見事チャンスをつかんだんです。
特に印象的なのは、合格が決まったあとも、毎日スタイル維持に気をつけていたという話。
着圧ソックスを履いて寝たり、アロエジュースを飲んだり…
アイドルとしての意識が急激に高まったことがよく伝わってきますよね。
それにしても、たった数ヶ月前まで“普通の高校生”だった彼女が、1万5000人の中から選ばれ、プロの世界に足を踏み入れるなんて、本当にすごいことです。
ここから、彼女の芸能人生が本格的に動き始めていくわけですが、このオーディション合格こそが、間違いなくすべての“第一歩”だったんです。
アイドルから女優へ——日向坂46で築いたキャリアの軌跡
オーディションに合格してけやき坂46のメンバーとなった丹生明里さん。
でもそこからの道のりも、決して平坦ではありませんでした。
ダンス未経験、歌も得意とは言えない。
しかも、周りにはバレエ経験者や歌の上手な子がズラリ。
明里さんは、そんな中でも前を向いて、一つひとつ壁を乗り越えていきました。
まずはダンスレッスン。
「家にある細い鏡の前で、ずっと踊ってました」と語るほど、必死に練習を重ねたそうです。
歌についても同じ。
「家族に“下手だね”って言われてた」と笑いながら明かすエピソードもありますが、デモ音源をもらった後は、音程を意識しながら何度も練習を重ねたといいます。
この“コツコツ努力型”の姿勢が、ファンの間でも高く評価されているんですよね。
2019年には、けやき坂46が「日向坂46」へと改名し、新たなスタートを切ります。
ここから明里さんの活動は、ぐっと本格化していきます。
ファーストシングル『キュン』では、いきなり選抜メンバーに抜てき。
しかも立ち位置は2列目という、かなり目立つポジションでした。
さらに、週刊少年チャンピオンでは表紙と巻頭グラビアを担当。
この頃から「笑顔が魅力的なメンバー」として、じわじわと知名度を伸ばしていきます。
2020年には、日テレのドラマ『DASADA』で女優デビュー。
そして翌年の2021年には、テレビ東京系ドラマ『声春っ!』で主演を務めるまでに成長します。
また、佐々木美玲さんとのWセンターで主題歌「声の足跡」を披露するなど、演技と歌の両方で存在感を発揮。
アイドルとしてだけでなく、女優としての顔も見せ始めました。
このあたりから「芝居もできる子」として業界内でも注目されるようになったんです。
センター抜擢、紅白初出場、そして卒業後の新たな挑戦
2021年には、日向坂46の6枚目シングル『ってか』でセンターに抜擢。
前作に続く2作連続でのセンターということで、グループの中心メンバーとしての地位を確立しました。
もともと「自分には無理かもしれない」と思っていた明里さんが、ここまでたどり着いたというのは、なんだかグッとくるものがありますよね。
同年末には、グループとしてNHK『紅白歌合戦』にも出場。
全国の舞台で堂々とパフォーマンスを披露し、多くの視聴者の心をつかみました。
そして2025年1月、彼女は日向坂46を卒業。
卒業理由は「新しい夢に向かって進みたいから」。
その言葉どおり、芸能界は辞めず、今後はタレントや女優としての活動を続けていく予定です。
剣道少女として始まり、オーディションで悩みながらも、着実に階段を上っていった丹生明里さん。
日向坂での活動を経て、「丹生明里」という名前はアイドルの枠を超え、これからもっと多くの人に知られる存在になっていくはずです。
“自分らしく、前向きに”。
彼女が大切にしてきたその姿勢が、これからの活動にもきっとつながっていくでしょう。
知ってました? 卒業後の初仕事も、すでに決まっているというウワサもあるんです。
今後の動きから、ますます目が離せませんね。
まとめ
- 剣道を通じて「続ける力」と「自信」を身につけた
- 映像作品との出会いが、アイドルへの夢を後押し
- 日向坂46での経験を経て、今後は女優としてさらなる挑戦へ
丹生明里さんの歩んできた道は、決して派手ではないかもしれません。
でも、剣道で悔しさと向き合い、夢に向かって何度も挑戦し、少しずつ結果を積み重ねていった姿はとてもリアルで人間らしいもの。
「勝てなかったからこそ続けた」「自信がなかったからこそ挑んだ」。
そんなひとつひとつの選択が、今の彼女をつくっているんですね。
これからどんな景色を見せてくれるのか、ますます楽しみです。
きっとその先にも、彼女らしいまっすぐな努力があるはずです。



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