雨宮萌果さんはどんな道を歩いてきたんだろう?って気になりますよね。
元NHKアナウンサーというだけじゃわからない魅力がたっぷりあるんです。
ひとつひとつの選択に迷いながらも、前を向いて進んできた彼女の物語は、まるで一冊の小説みたい。
この記事では、そんな雨宮さんの学生時代からNHK入局、そして現在フリーとして活躍するまでのリアルな道のりをエピソード満載でお届けします。
ただの「学歴紹介」では終わらない、雨宮萌果という人の芯の強さとやさしさが、きっと伝わってくるはずです。
雨宮萌果のプロフィール
- 名前:雨宮 萌果(あめみや もえか)
- 生年月日:1986年6月30日
- 出身地:兵庫県神戸市(育ちは東京都)
- 身長:164cm
- 血液型:A型
雨宮萌果(あめみや もえか)さんは元NHKのアナウンサーで、現在はフリーとしてテレビやラジオに出演しています。
お母さんは「天川彩(てんかわ あや)」という名前で活動している作家さん。
さらには妹の雨宮あさひさんも、あの「ワハハ本舗」で活躍している舞台女優なんです。
なんだか、家族全員がそれぞれの分野で個性を発揮していてスゴいですよね。
そんな彼女がどうやってアナウンサーになっていったのか——
次の見出しからは、雨宮萌果さんの学生時代を深掘りしていきますね。
小学校〜中学時代:神戸から東京へ、転機の連続
雨宮萌果さんが通っていたのは、兵庫県にあった「神戸大学附属住吉小学校」。
ただ、今はもう閉校していて、当時にしか存在しなかった学校なんです。
現在は神戸大学附属中等教育学校に引き継がれました。
子どものころの雨宮さんは、元気いっぱいで活発な性格。
クラシックバレエを習っていて、放課後はレッスンに夢中だったそうですよ。
そんな中で成長していく中学時代。
最初に通ったのは、「神戸大学附属住吉中学校」。
こちらも国立の学校で、偏差値は65という難関校でした。
しかしその後、家庭の都合により東京へ転校。
東京での新しい生活の舞台は、「文京区立第八中学校」へ移ります。
そんな中、ある出来事が彼女の進路を大きく変えることとなりました。
中学3年生の時にたまたま足を運んだ「都立小石川高校」の文化祭。
ダンス部のパフォーマンスを見て、「ここに行きたい!」と強く思ったんです。
それが後に“奇跡の合格”につながっていくんだから、不思議なものですよね。
この時期の彼女の決断力と行動力、ちょっと尊敬しちゃいませんか?
都立小石川高校時代:母親とつかんだ“奇跡の合格”

雨宮さんが小石川高校を志したのは、中学3年生のとき。
文化祭で見たダンス部のパフォーマンスに心を奪われて、「絶対ここに入りたい!」と思ったのがきっかけでした。
でも当時、彼女の成績では正直、合格は厳しいと学校の先生にも言われていたそう。
それでも「どうしてもこの学校に行きたい」という強い思いで勉強を続けました。
母子家庭で経済的にも余裕がなかったため、私立の滑り止めは受けず、小石川一本に絞って受験。
まさに“一か八か”。
結果は――見事合格!
このエピソード、なんだか映画のワンシーンみたいですよね。
しかも小石川高校は偏差値65以上の都内でも有数の進学校。
その中に、努力と信念だけで飛び込んでいったわけです。
きっとあの合格通知を見た瞬間は、涙が出るほど嬉しかったんじゃないかなと思います。
この時期の経験が、後の彼女の人生を支える“自信”になったのは間違いないはずです。
ダンス部とバンド活動で青春を謳歌した3年間
奇跡の合格をつかんだあとは、しっかり高校生活も満喫していたようです。
小石川高校では、ずっと憧れていたダンス部に入部。
あの文化祭で見たあの舞台に、自分が立つ日が来たんですね。
しかもただの部員じゃありません。
彼女はそこでの活動に本気で取り組み、毎日の練習にも熱が入っていたそうです。
「即興ダンスが得意」なんて話もあるくらいで、感性で動けるタイプなんでしょうね。
さらにもうひとつ、高校時代の萌果さんを語るうえで外せないのが…バンド活動!
コピー・バンドのボーカルとしても活躍していたんです。
クールにマイクを握って歌う彼女の姿、ちょっと見てみたくなりませんか?
放課後は練習、休日はライブや発表会…そんな青春の日々を、全力で走り抜けた3年間。
それもこれも、“あの文化祭”での出会いがスタートでした。
行きたい学校を見つけて、絶対にそこに入って、自分らしく過ごす。
なんか、カッコいい生き方だと思いませんか?
法政大学での学びと大学受験の苦悩

小石川高校を卒業した雨宮さんですが、実は現役では大学に合格できませんでした。
1年目の浪人では、志望校を絞りすぎて不合格。
「もう一度やり直す」と決意して2年目に挑みますが、当時は想像以上に辛かったそうです。
彼女自身、当時のことを「失意のドン底」と表現しています。
友達が楽しそうに大学生活を送っている中で、自分だけが取り残されたような気持ち。
「1週間、ずっと泣き続けた」とブログに綴るほど、心が折れかけた時期だったといいます。
特に2浪目は人と関わるのが怖くなり、外に出るのも億劫に。
唯一の楽しみが、お昼のテレビ番組を見ることだったというのも、なんだか切ないですよね。
でもそんな暗闇の中で、彼女は少しずつ前を向いていきます。
やがて努力が実り、法政大学 人間環境学部への進学が決定。
偏差値60前後のこの学部は、環境や社会との関わりを幅広く学べる場所。
彼女にとって、“ようやくたどり着いたステージ”でした。
大学では、ただ通うだけでなく、本格的にアナウンサーを目指すことを決意。
法政大学で開催されていた「自主マスコミ講座(通称:自主マス)」にも参加します。
この講座は、小島奈津子さんや鈴木奈穂子さんといったアナウンサーを多数輩出してきた、いわば登竜門的な存在。
ここでの学びが、彼女の夢を現実へと引き寄せていくんです。
落語研究会で開花した「話す力」:百花の名で受賞も
大学に入って間もなく、雨宮さんはちょっと変わったサークルに足を運びます。
それが「落語研究会」。
きっかけはシンプルで、「話し方がうまくなります」という勧誘チラシに惹かれたからだとか。
知ってました?意外と落語って、アナウンサー志望の人に人気なんです。
当初は軽い気持ちで入ったこの落研で、なんと彼女は才能をぐんぐん伸ばしていきます。
当時の高座名は「富士見亭百花(ふじみてい ひゃっか)」。
なんとも品のある、可愛らしい名前ですよね。
全国女性落語大会では、見事に優秀賞を受賞。
笑いのセンスだけじゃなく、語り口や間の取り方にも魅力があったんでしょう。
この「話す力」が、のちにNHKアナウンサーとしての基礎になっていくわけです。
さらに大学時代は、生活費をまかなうために30種類以上のアルバイトも経験。
飲食店の接客、工場での作業、テレアポ、清掃、モデルルームの案内…なんでもやったそう。
どんな仕事でも手を抜かず、真剣に向き合ってきたからこそ、どんな現場でも臆さず立ち回れるようになったのかもしれません。
挫折から這い上がり、夢に向かって突き進んでいく姿。
それを支えていたのは、話すことへの興味と努力、そしてあきらめない気持ちだったんですね。
NHK入局からフリー転向までのキャリア

大学卒業後、雨宮さんが入社したのはNHK。
まず配属されたのは沖縄放送局でした。
意外ですよね?いきなり全国ネットじゃなく、地方局からのスタート。
でも、ここでの現場経験が、後の大きな飛躍に繋がっていくんです。
リポート、ニュース読み、取材…どんな仕事も全力で取り組み、確実に実力をつけていきました。
その後は福岡局に異動。
ここでも幅広い番組を担当し、少しずつ名前と顔が知られるようになっていきます。
そして2016年、29歳のとき。
ついにNHKの“花形”とも言える東京アナウンス室へ。
これは、アナウンサーにとっては出世コースのひとつ。
この年を境に、彼女の活躍の場は一気に全国区に広がっていくことになります。
あさイチでブレイク、結婚・退局・現在の活躍まで
NHK東京異動後の雨宮さんが一躍注目を浴びたきっかけ。
それが、『あさイチ』のリポーター就任です。
ご存じの通り、『あさイチ』は朝の情報番組の中でもトップクラスの人気を誇る長寿番組。
井ノ原快彦さんや有働由美子アナと並んで、朝の顔として全国のお茶の間に登場していました。
彼女のやわらかな語り口と、ちょっとユニークで人懐っこいキャラクターが視聴者の心をつかみ、一気に知名度もアップ。
「この人、誰?」と思っていた人も、すぐに名前を覚えたんじゃないでしょうか。
そんな中、もうひとつ話題になったのが結婚のニュース。
お相手はなんと、『あさイチ』で共演していたタレントの篠山輝信さん。
番組を通じて仲を深め、2019年に結婚。
まさに“職場恋愛”からのゴールインでした。
そして同年3月、雨宮さんはNHKを退局。
このタイミングでフリーアナウンサーに転向します。
「えっ、せっかく東京アナウンス室に行ったのに?」と思う人もいたかもしれません。
でも、結婚やライフスタイルの変化、そしてこれからの働き方を考えての決断だったのでしょう。
退局後すぐに、TBS系の情報番組『ゴゴスマ』などにも出演。
フリーになっても変わらず、しなやかにメディアの世界で活躍を続けています。
NHKという安定した場所を離れても、自分らしいやり方で“伝える仕事”を貫いている。
その姿勢に、なんだか背中を押されるような気持ちになりませんか?
まとめ
- 雨宮萌果さんは、小さなころから“自分で選んで進む力”が強い人。
- 挫折もあったけれど、そのたびに前を向き、道を切り開いてきた。
- 今もフリーとして、自分らしい「伝える仕事」を続けている。
雨宮さんの歩みを振り返ると、ずっとまっすぐに“やりたいこと”を追いかけてきたことに気づきます。
小学校から転校続きの中学時代、高校への“奇跡の合格”、そして浪人の苦しさ。
どの場面にも、あきらめずに動き続ける彼女の姿がありましたよね。
その積み重ねが、NHKアナウンサーとしての活躍につながり、今のフリーの仕事にも息づいているんだと思います。
「自分の選んだ道を、自分のペースで歩く。」
なんか、ちょっと元気をもらえる生き方じゃありませんか?


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