「YOASOBIの歌、聴いたことあるけど…幾田りらさんってどんな人なんだろう?」
そんなふうに気になったこと、ありませんか?
じつは彼女、幼い頃から音楽に囲まれて育ち、路上ライブやオーディションにも挑んでいたんです。
しかも、ただの“音楽少女”ではなく、しっかり勉強にも取り組みながら、自分の夢を一歩ずつ形にしていった努力家。
中学、高校、大学、そしてYOASOBI結成まで——その歩みには驚きと感動がたくさん詰まっています。
この記事では、幾田りらさんの経歴と学歴を時系列で丁寧に紹介。
子ども時代から現在まで、彼女の素顔に少しずつ迫っていきます。
幾田りらのプロフィール
- 名前:幾田 りら(いくた りら)
- 生年月日:2000年9月25日
- 年齢:25歳(2025年現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 身長:154cm
音楽好きな家族に囲まれて育った幼少期と小学校時代

YOASOBIのボーカル・幾田りらさんがどんな子ども時代を過ごしてきたのか、気になりませんか?
実は、音楽がいつもそばにあるような家庭で、自然と音楽に触れながら育ってきたんです。
それが、後のシンガーソングライターとしての原点になったとも言えるかもしれません。
家族みんなが音楽好きで、家の中には自然と音楽が流れていたそうです。
そんな環境にいたら、子どもでもつい口ずさんでしまいそうですよね。
小学校は私立の明星学園小学校に通っていました。
いわゆる「お受験」を経て入学したそうで、幼い頃からきちんと学ぶ姿勢が育まれていたのかもしれません。
それでも、お堅い子だったわけではなく、むしろ活発な一面も。
なんと、小1からずっとリレーの選手を続けていたほど、運動神経もバツグンだったんです。
体育会系で音楽も好きって、ちょっと意外かもしれませんね。
さらに、小3の頃からミュージカルの劇団に入り、舞台にも出演していたとか。
ただ歌うだけじゃなく、演技や表現にも挑戦していたのがすごいですよね。
この頃から「表現すること」に強く惹かれていたのかもしれません。
小6のときにはギターを始め、初めて自分で作詞・作曲までしてしまいます。
もうこの時点で、未来のシンガーソングライターの片鱗がしっかり見えていたんですね。
シカゴでの記憶と初めての作詞作曲
実は、幾田りらさんは幼い頃にアメリカ・シカゴに住んでいたことがあるんです。
ご本人がツイッターで「小さい頃に住んでた」と明かしていて、その記憶が今も心に残っているそう。
シカゴといえば、ジャズやブルースが盛んな“音楽の街”でもありますよね。
そんな土地で過ごした経験が、音楽への感受性を育ててくれたのかもしれません。
小学校6年生の頃には、ギターを手にして、なんと初めての作詞作曲に挑戦。
最初の1曲目って、やっぱり特別だったんじゃないでしょうか。
その後もずっと「自分の言葉で歌を作る」というスタイルを大切にしていて、今の音楽にもその芯がしっかり感じられます。
「子どもの頃から音楽が好きでした」とはよく聞くけど、幾田さんの場合はその“好き”がちゃんと形になっていったんですよね。
ピアノ、ギター、ミュージカル、リレーの選手……。
いろんな経験を積んだ小学生時代が、彼女の表現の幅を広げるベースになっていたことは間違いなさそうです。
路上ライブデビューと夢に向かった中学時代

中学に入ると、部活や友達付き合いでいろんな世界が広がりますよね。
でも幾田りらさんの場合、その広がり方がちょっと普通じゃなかったんです。
なんと中学1年生で、すでに路上ライブを始めていたんです。
通っていたのは、東京都三鷹市にある私立の明星学園中学校。
自由な校風で知られる学校ですが、そんな環境の中で、幾田さんは音楽への情熱をどんどん深めていきました。
部活は「アンサンブル部」に所属し、そこで担当していたのがトランペット。
歌だけじゃなくて、楽器もバリバリやっていたんですね。
そしてもうひとつ特筆すべきは、運動もできちゃうというところ。
小学生の頃から続けていたリレーでは、中学でも選抜メンバーとして体育祭で活躍していたそうです。
音楽も運動も両立するって、なかなかできることじゃないですよね。
でも何よりも注目したいのが、やっぱり“路上ライブ”の話。
まだ13歳の頃、ギター片手に歌っていたんですよ。
その姿、ちょっと想像してみてください。
大人に混ざって、堂々と歌声を響かせる中学生。
勇気も覚悟も必要だったはずですが、それ以上に「歌いたい!」という思いが強かったんでしょうね。
この頃からすでに、「プロのシンガーソングライターになりたい」という夢を持っていた幾田さん。
ただの趣味じゃなくて、本気で音楽を仕事にしたいと考えていたなんて、すごいですよね。
井の頭公園でのパフォーマンスと東京ガールズオーディション
幾田さんが初めて人前で歌った場所のひとつが、井の頭公園。
吉祥寺駅からすぐの場所にある、緑豊かで人通りの多い公園です。
ここで彼女は、中1の頃からギター弾き語りの路上ライブをスタート。
「歌う場所は、ライブハウスだけじゃない」ってことを、彼女は早くから体感していたんですね。
そんな路上パフォーマンスの経験を経て、幾田さんは中学3年生である挑戦に踏み切ります。
それが、「東京ガールズオーディション」への応募です。
モデルやアーティストなど、次世代のスターを発掘する大規模なオーディション。
幾田さんは“アーティスト部門”にエントリーし、自分の音楽で勝負に挑みました。
もちろん、簡単にトントン拍子で進んだわけじゃありません。
この時点ではまだ無名の存在。
それでも、「本気で夢を叶えたい」という気持ちが、彼女を突き動かしていたんです。
中3でオーディションに出るって、なかなか勇気がいること。
でもそれをやってのけるのが、幾田りらという人なんですよね。
井の頭公園のライブ、そして東京ガールズオーディション。
この2つの経験は、間違いなく彼女にとって大きな転機になったはずです。
自主活動とテレビ出演、高校時代の挑戦

高校時代って、自分がどんな道に進むのか、少しずつ考え始める時期ですよね。
幾田りらさんもまさにそんな時期に、音楽の世界に本気で飛び込んでいきました。
ただの「音楽好きな高校生」ではなく、ちゃんと“表現者”として一歩ずつ進んでいたんです。
彼女が通っていたのは、東京都にある私立の明星学園高校。
偏差値は59で、自由な校風と芸能活動に寛容なことで知られる学校です。
実際に、宮崎あおいさんや小栗旬さん、平井大さんなども卒業生に名を連ねています。
幾田さんは部活動には所属せず、いわゆる“帰宅部”。
でも、それは「時間が空いていた」という意味じゃありません。
むしろその時間を使って、ライブハウスに立ったり、路上で歌ったり、音楽活動に全力を注いでいたんです。
実は、高校時代には20回以上もオーディションを受けていたんだとか。
でも、結果はすべて不合格。
それでも諦めなかったというのが、彼女のすごいところ。
「今思えば、あれがあったからこそ強くなれた」と本人も語っていて、そういう失敗があってこそ今があるんだなと感じさせられますよね。
そして高校2年生のとき、大きなチャンスがやってきます。
テレビ朝日の音楽番組『今夜、誕生!音楽チャンプ』に出演したんです。
キャッチコピーは「24時間音楽漬け女子高生」。
なんだかもう、このフレーズだけで彼女の熱量が伝わってきますよね。
残念ながら勝ち抜き戦の1回戦で敗退してしまいましたが、テレビでパフォーマンスできたという事実は、当時の彼女にとって大きな自信になったはず。
さらに、高校時代には全国の高校生が集まる音楽イベント「青二祭」にも出演。
自分の音楽を直接届ける場所を、自分の手で探していく姿勢が本当に印象的です。
高校3年生になると、少し活動をセーブして受験に集中。
5か月ほどライブ活動を控えたというのも、将来を見据えた行動のひとつだったのでしょう。
小野莉奈との友情と「ぷらそにか」での音楽活動
幾田りらさんにとって、高校時代を語る上で欠かせない存在が、女優の小野莉奈さんです。
実は中学時代からの同級生で、高校でもずっと仲良し。
高校1年生の小野さんの誕生日には、幾田さんがオリジナルの曲をプレゼントしたというエピソードもあります。
なんて素敵な友情!
2人はよく放課後にパンを買って一緒に帰りながら、夢について語り合っていたそうです。
お互いに「いつか芸能の世界で活躍したい」という思いを共有していたんでしょうね。
しかも、小野さんが芸能事務所のオーディションを受けたときには、幾田さんが書類の自己PR欄を添削してあげたんだとか。
こういうエピソード、なんかグッときませんか?
そして、高校2年生だった2017年7月。
幾田さんは、アコースティックセッションユニット「ぷらそにか」に加入します。
「ぷらそにか」は、ソニー・ミュージックが主催する音楽系の若手アーティスト集団で、YouTubeを中心に活動しているんですが、これがまたレベルが高いんです。
幾田さんは、ここでギターやトランペット、キーボードなどを担当しながら歌っていて、まさに多才ぶりを発揮。
しかもユニットの中でも特に人気の高い存在だったんです。
ちなみに、YOASOBIとしてブレイクした後もしばらくは「ぷらそにか」と並行して活動を続けていて、2021年に卒業しています。
高校時代に築いたこの経験が、後の音楽人生にどれだけ大きな意味を持ったか…考えるだけでもワクワクしますよね。
大学進学とYOASOBI結成、飛躍の学生生活
高校時代から地道に活動を続けていた幾田りらさん。
その努力は、大学生活で一気に花開くことになります。
音楽と学業の両立という、誰もが簡単にできることじゃないチャレンジに真っ向から挑んでいった4年間でした。
高校卒業後、彼女が進学したのは「日本大学芸術学部 音楽学科 情報音楽コース」。
当初は中央大学や法政大学、桐朋学園といった大学名も噂されていましたが、実際には日本大学に進学し2023年3月に無事卒業しています。
しかも、入学は“指定校推薦”だったとされていて、当時はまだ無名の存在だったにもかかわらず、学力もしっかり備えていたことがうかがえますね。
大学入学が決まったのは、高校3年生の10月。
その後しばらくして、人生を大きく変える出来事が起こります。
そう、YOASOBIの結成です。
大学1年生だった2019年、ボカロP・Ayaseさんとタッグを組んで音楽ユニット「YOASOBI」を結成。
「小説を音楽にするユニット」というちょっと変わったコンセプトに、最初はピンと来ていなかったそうですが、Ayaseさんの楽曲を聴いて「この人と一緒にやりたい!」と感じたとか。
この出会いが、YOASOBIとしての快進撃のはじまり。
同じ年にリリースされたデビュー曲『夜に駆ける』は、あれよあれよという間に大ヒット。
YouTubeでは1,000万再生を突破し、幾田さんは一気に注目を集める存在になります。
とはいえ、人気が出てもすぐに大学を辞めたりはしませんでした。
むしろ仕事が増えていく中でも、彼女は学びの場を大切にし続けたんです。
ライブ、収録、取材の合間を縫って登校し、レポートや課題にもきちんと取り組んでいたそう。
それって本当にすごいことですよね。
日本大学芸術学部での4年間と卒論受賞
幾田さんが過ごした日本大学芸術学部では、音楽だけでなく「音をどう表現として活かすか」といった情報技術も学べるのが特長。
まさにYOASOBIのコンセプトにぴったりの学びの場だったと言えます。
大学3年生の頃には「今は大学と音楽を両立する生活で、あまり遠くに行ったりできない」と語っていたこともあり、かなりハードな毎日だった様子。
そんな中でもしっかり通い続け、ついに2023年2月には卒業確定の報告をSNSで発信しました。
しかも、その卒業論文がなんと「芸術学部奨励賞」を受賞。
音楽だけじゃなく、学問としての探究心や姿勢も評価されたというのは、本当に素晴らしいことですよね。
卒業にあたってのコメントでは、
「しんどくて歩みを止めてしまいそうな時もあったけれど、家族や友達、先生方やチームのスタッフさんの支えがあり、無事に卒業まで辿り着くことができたと心から思っています」
と語っていて、決して順風満帆ではなかったことも伝わってきます。
でも、だからこそ、その4年間が今の幾田りらさんの強さをつくっているんじゃないでしょうか。
YOASOBIとしての成功の陰に、大学での地道な努力があった——。
そんな姿勢に、思わず応援したくなる人も多いはずです。
YOASOBIとしての成功と幾田りらの現在
「夜に駆ける」で一気にブレイクしてから、YOASOBIの勢いは止まりません。
ボーカルを務める幾田りらさんは、ユニットの顔としてだけでなく、個人としても注目を集める存在に。
彼女の現在地は、もう“新星”ではなく、音楽シーンをけん引するトップアーティストのひとりです。
YOASOBIは、小説を原作に楽曲を生み出すというユニークなスタイルで話題を呼び、
『夜に駆ける』や『群青』『怪物』といったヒット曲を次々とリリース。
YouTubeやサブスクでの再生回数は桁違いで、「1億再生超え」はもはや当たり前の世界。
紅白歌合戦への出場や、大型フェスへの出演も果たし、テレビやラジオなどでも彼女の声を耳にする機会がグッと増えましたよね。
そんな中でも、幾田さんがすごいのは、自分の“素”を大切にしているところ。
メディアでのインタビューでは、喜びだけでなく、悩みや迷いについても率直に話していて、飾らない人柄がまた多くのファンの心をつかんでいます。
そしてYOASOBIは、日本国内だけでなく、海外でも存在感を見せるようになってきました。
YouTubeのコメント欄には世界中の言語が並び、海外メディアの取材に応じることも。
もはや「日本の人気ユニット」から、「世界に通用する音楽プロジェクト」へと進化しているんです。
「アイドル」で世界チャート1位、日本語楽曲の快挙
2023年、YOASOBIが放った1曲が、世界中の音楽ファンを驚かせました。
その曲の名前は『アイドル』。
アニメ【推しの子】のオープニングテーマとして書き下ろされ、作品の人気とともに楽曲も爆発的にヒット。
TikTokやInstagramのリールで音源が使われまくっていたので、耳にした人も多いんじゃないでしょうか?
この『アイドル』、ただのヒット曲では終わりませんでした。
なんと、アメリカ・ビルボードが発表している「Global Excl. U.S.」というグローバルチャートで8週連続1位を記録。
しかも、日本語の楽曲としては史上初の快挙。
「え、日本語で世界1位?」と驚く人も多かったはずですが、まぎれもない事実です。
日本語のまま、全世界で評価されるって、ほんとにすごいこと。
英語に翻訳せずとも、メロディー、リズム、歌声、そして歌詞の熱量で、世界中の人の心を動かしたんですよね。
幾田さんの透き通るようなボーカルと、切れ味のあるリリックの世界観が、言語の壁を軽々と越えていった感覚。
なんか、ちょっと鳥肌立ちませんか?
『アイドル』のヒット以降、YOASOBIは海外のフェスにも出演。
アメリカやアジアでのライブも実現し、今や世界中にファンがいるアーティストへと成長しました。
そしてもちろん、幾田りらさん個人の活動にも注目が集まっています。
ソロとしても楽曲を発表していて、優しくて繊細な歌声とまっすぐな言葉が、多くの人の心を支えています。
YOASOBIとして、そして“幾田りら”として。
これからの活躍から、ますます目が離せません。
まとめ
- 幼少期から音楽と共に育ち、小学生で作詞作曲を経験
- 中学で路上ライブを始め、高校ではオーディションやテレビ出演にも挑戦
- 大学進学と同時にYOASOBIを結成し、『アイドル』で世界的成功を収める
幾田りらさんの歩みって、本当に一歩一歩がドラマチックですよね。
子どもの頃から音楽に夢中になって、中学生でギター片手に路上ライブ。
高校でも地道な挑戦を続けて、大学生になったタイミングでYOASOBIを結成。
そしていまや、『アイドル』で世界のチャート1位を取るまでに。
全部が“突然のブレイク”じゃなくて、地に足つけた積み重ねの結果だって思うと、余計に胸が熱くなります。
これからも、きっと彼女は音楽でたくさんの景色を見せてくれそうですね。


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