子役として注目されてから、今や映画や舞台で欠かせない存在となった上白石萌歌さん。
でも、その歩みをじっくりたどったことって、意外と少ないかもしれません。
この記事では、上白石萌歌さんの経歴と学歴を、時系列でわかりやすくまとめています。
幼い頃の意外な一面から、女優としての成長、そして学生としての素顔まで。
読み終わる頃には、きっと彼女のことをもっと好きになっているはずです。
上白石萌歌のプロフィール
- 名前:上白石 萌歌(かみしらいし もか)
- 生年月日:2000年2月28日
- 年齢:25歳(2025年12月現在)
- 出身地:鹿児島県鹿児島市
- 身長:161cm
- 血液型:A型
上白石萌歌さんは、どこか透明で、でも芯のある存在感を放つ女優です。
映画やドラマ、舞台、音楽と多彩に活躍しています。
勉強も手を抜かず、大学では芸術を5年間かけて真剣に学び抜いた努力家。
姉・萌音さんと支え合いながら、自分の道をまっすぐ進んできました。
強さと繊細さをあわせ持つ彼女の歩みには、心を打たれるものがあります。
鹿児島で育った少女時代とメキシコ体験

今ではドラマや映画で大活躍の上白石萌歌さん。
でも、彼女の始まりは、南の街・鹿児島でした。
のびのびと自然に囲まれて育った幼少期は、後の表現力や感性にもつながっていく大事な時間だったんです。
教師家庭に生まれ、芸術に囲まれて育つ
上白石萌歌さんが生まれ育ったのは鹿児島市内の住宅地。
どこかのんびりしていて、自然の空気が気持ちいい、そんな土地です。
姉はもちろん、女優で歌手の上白石萌音さんですね。
ちょっと素敵だなと思うのは、「萌歌(もか)」という名前。これは、お母さんが“音楽”にちなんでつけたそうです。
「歌」の字を入れたのも納得ですよね。
意外なことに、萌歌さんは小さい頃、人前に出るのがすごく苦手な子だったそうです。
「母の後ろに隠れてばかりいました。話すのも上手じゃなくて、友達はいたけど、一人でいる方が好きだったかも」
こんなふうにインタビューで語っています。
あの堂々とした演技力からは、ちょっと想像できないですよね。
でも、そんな内向的な少女が、実は幼い頃からタップダンスやクラシックバレエ、ミュージカルのレッスンまで受けていたんです。
「人前に出るのは苦手だけど、表現するのは好き」
――そんな気持ち、なんか分かる気がしませんか?
彼女の才能は、音楽と教育がしっかり根づいた家庭で、静かに、でも確実に育っていったんです。
この時期の積み重ねが、のちに「東宝シンデレラ」の頂点に立つことになる萌歌さんの、最初の土台になっていたのかもしれませんね。
東宝シンデレラの栄冠と10歳の芸能界デビュー

今や映画や舞台で存在感を放つ上白石萌歌さん。
そんな彼女の芸能界入りは、なんと10歳のとき。
子どもながらに多くの人の心をつかみ、「東宝シンデレラオーディション」でグランプリを受賞するという、まさにドラマのようなスタートでした。
姉との“ついで応募”がきっかけの大転機
2011年、小学5年生だった萌歌さんに、まさかの転機が訪れます。
きっかけは、姉の上白石萌音さんが「第7回 東宝シンデレラオーディション」に応募したことでした。
萌音さんの“東京観光ついで”の応募に、母のすすめで「じゃあ、萌歌も一緒にどう?」という流れになったんだそう。
このとき萌歌さんは、「なんとなく姉についていっただけ」と語っていますが、結果は衝撃的でした。
約4万4,000人もの応募者の中から、グランプリに選ばれたのは萌歌さん。
お姉さんの萌音さんも審査員特別賞を受賞し、姉妹そろって華々しい芸能界デビューとなりました。
このオーディション、実はほかにも名のある女優たちが受賞しています。
たとえば、浜辺美波さんは「ニュージェネレーション賞」、山崎紘菜さんも同じく審査員特別賞。
今振り返ると、そうそうたるメンバーがそろった“伝説の年”だったんですね。
グランプリを取ったときのことを、萌歌さんは「スポットライトがまぶしくて、“どうしよう”って無になってた」と語っています。
まだ10歳の少女にとっては、喜びよりも驚きのほうが大きかったのかもしれません。
とはいえ、これをきっかけに芸能活動が一気にスタート。
同じ年には映画『空色物語』に出演し、さらには「ピチレモン」の専属モデルにも選ばれました。
この頃からすでに、俳優・モデル・声優とマルチに活動していたんですね。
ただの“ついで応募”が、人生を変える一歩になる――。
まさに運命のイタズラのような話ですが、そこにちゃんと実力があったからこそ、今の上白石萌歌さんがあるんです。
なんか、こういう話ってちょっとワクワクしませんか?
地元中学から東京の私立校へ、女優としての第一歩

小学生で芸能界入りを果たした上白石萌歌さん。
とはいえ、最初の数年は鹿児島の地元で暮らしながら、仕事のたびに東京に通う日々でした。
でも、あるタイミングで大きな決断をします。それが「上京」――女優として本格的に歩み出す第一歩でした。
中学転校と慣れない東京生活のリアル
上白石萌歌さんが最初に通っていたのは、鹿児島市内にある公立校「皇徳寺中学校」。
姉の萌音さんも同じ中学に通っていたそうで、地元ではちょっと知られた姉妹だったのかもしれませんね。
でも、芸能の仕事が増えてくると、そうもいかなくなります。
姉・萌音さんが高校進学を機に東京へ移り住んだのをきっかけに、萌歌さんも中学2年生の春に上京。
そのとき転校したのが、東京・中野区にある「実践学園中学校」です。
芸能活動にも比較的理解がある学校と言われています。
とはいえ、いきなり東京のど真ん中に引っ越すって、想像以上に大変なこと。
萌歌さん自身、「最初は電車を乗り間違えて逆方向に行っちゃったり、人混みにも慣れなくて大変でした」と語っていました。
渋谷のスクランブル交差点に初めて立ったとき、「人が多すぎて立ち尽くした」なんてエピソードも。
なんか、わかる気がしませんか? 鹿児島の穏やかな環境から、一気に東京のスピード感に飛び込んだんですから。
そんななかでも彼女は前を向きます。
中学時代にはドラマ『幽かな彼女』や『金田一少年の事件簿N』などに出演。
演技のお仕事も本格的になっていくタイミングでした。
ちなみに部活は中学でもやっていなかったそうです。
おそらく、撮影と学校生活の両立だけで手いっぱいだったんでしょうね。
中学生ながら、「女優として生きていく」という覚悟がじわじわと芽生えていったのが、この東京での中学時代だったのかもしれません。
実践学園高校での3年間:学業と女優業の両立

芸能活動が本格化していた上白石萌歌さんですが、高校はしっかり進学校を選びました。
東京・中野にある「実践学園高校」での3年間は、勉強も仕事も全力で取り組む。
まさに青春そのものだったようです。
赤毛のアン主演や受験勉強の舞台裏
高校に進学したのは2015年。
萌歌さんが通っていた実践学園高校は、文武両道を掲げる私立の共学校で、特にバスケや卓球の強豪校としても知られています。
そんな中で彼女は、芸能活動との両立を選びました。
しかもコースは偏差値58〜61の進学系。
「勉強も仕事も中途半端にしたくなかった」
――これが、彼女がこの道を選んだ理由。
知ってました?
実は高校の時点で、すでに舞台や映画のオファーがどんどん来ていたんです。
たとえば高校2年生では、ミュージカル『赤毛のアン』の主演に抜てき。
この作品は長年にわたって続く伝統ある舞台で、かつては姉の萌音さんも演じたことのある役。
バトンを受け取るようにして主演した萌歌さんは、堂々とアン・シャーリーを演じ切りました。
姉妹で同じ役を演じるって、ちょっと感慨深いですよね。
そのほかにも、映画『ハルチカ』に出演するなど、演技の幅もどんどん広がっていきます。
でももちろん、学校生活もおろそかにはしていません。
現場に教科書を持ち込んだり、撮影の合間に課題をこなしたり。
家庭科の宿題でミサンガを作った話も有名です。
「撮影の待ち時間にチクチク縫ってました」と語る萌歌さんの姿、なんだか想像できますよね。
高校3年生になると、芸能の仕事を少しセーブして受験モードに突入。
将来はしっかり大学で学びたいという気持ちがあったそうです。
仕事と勉強、どちらも全力。
そんな高校時代を過ごしたからこそ、今の上白石萌歌さんがあるのかもしれません。
真面目だけど、どこか飾らない。
そんな彼女の魅力は、この実践学園での3年間にギュッと詰まっている気がします。
明治学院大学で学んだ芸術と5年間の学生生活

高校時代から「大学でちゃんと学びたい」と話していた上白石萌歌さん。
芸能活動の合間をぬって、しっかり受験勉強を乗り越えました。
選んだ進学先は、白金にキャンパスを構える明治学院大学。
そこでは、彼女の世界がまた一段と広がっていきます。
留年を経て得た「一生の友人」と芸術理論
上白石萌歌さんが進んだのは、明治学院大学の文学部・芸術学科。
偏差値はおよそ55前後で、芸術について理論的に学べる、ちょっとユニークな学科です。
入学当初は「社会学部かな?」という噂もありましたが、卒業時にご本人が芸術学科だったことを明かしています。
大学生活はというと、まさに“仕事と学びの両立”。
出演作品も増え始め、映画『未来のミライ』や『羊と鋼の森』への出演、さらには「A-Studio+」のアシスタントも務めるなど、多忙そのもの。
そんな中でも彼女は、大学での講義を「とにかく楽しい」と語っていました。
演技論、映像学、舞台芸術の理論、語学、社会学…。
「自分の仕事に役立つ学びが多くて、毎回ワクワクする」とインタビューで話していたのが印象的です。
それだけじゃありません。
人間観察やフィールドワークも積極的に取り入れて、舞台の感想をレポートにまとめるなど、かなり真面目に取り組んでいたそう。
そして萌歌さんは学食をあまり使わず、お弁当を持参していたんだとか。
野菜たっぷりのスープやおにぎりで体調管理もしっかりしていたそうです。
とはいえ、忙しすぎてすんなり卒業とはいきませんでした。
2021年、「卒業はちょっと先になりそうです」とインタビューで話し、休学や単位不足による留年が明らかに。
でも、それすら前向きに受け止めていて、
「たくさんの問いに出会えて、永遠に大学生でいたいって思うくらい」
と笑っていたのが印象的でした。
結果として、2023年3月に無事卒業。
5年間の大学生活を終えたことを、自身のインスタで報告しています。
そこには「大学で得た知識や友人は、一生の財産」という言葉も。
芸能界で生きながら、普通の学生としても過ごしてきた5年間。
その経験が、今の上白石萌歌さんの芯の強さや、やわらかな表現にしっかりとつながっている気がしますよね。
まとめ
- 鹿児島で育った少女時代から表現の土台ができていた
- 東宝シンデレラでの受賞が芸能界の扉を開いた
- 学業と芸能活動を両立しながら、自分の道を切り開いてきた
上白石萌歌さんの歩みは、まさに“着実に積み重ねてきたもの”そのもの。
メキシコで過ごした幼少期、音楽があふれる家庭、小さなきっかけからの芸能界デビュー。
そこから、中学・高校・大学と、環境が変わっても常に学びを止めず、自分と向き合い続けてきた彼女。
華やかに見える表舞台の裏で、きっとたくさん悩んで、考えて、努力してきたんだと思います。
その丁寧な一歩一歩が、今の自然体で芯のある上白石萌歌さんをつくっているのかもしれませんね。


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