ある日突然スカウトされて、人生が大きく動き出す。
そんなドラマみたいな展開、実際にあるんですよ。
ももクロの“しおりん”こと玉井詩織さんも、そのひとり。
でも、彼女の歩んできた道は、決して順風満帆じゃありませんでした。
この記事では、玉井詩織さんの学歴・経歴を、幼少期から最新の女優活動までまるっとご紹介します。
「アイドル=キラキラ」だけじゃない、地に足ついた彼女の姿、ぜひのぞいてみてください。
玉井詩織のプロフィール
- 名前:玉井詩織(たまい しおり)
- 愛称:しおりん
- 生年月日:1995年6月4日
- 年齢:30歳(2025年現在)
- 出身地:鹿児島県種子島生まれ、神奈川県川崎市育ち
- 血液型:A型
- 身長:160cm
鹿児島生まれ川崎育ちの幼少期と小学校時代

今でこそ、キラキラとした笑顔が印象的な「しおりん」こと玉井詩織さん。
でも彼女のはじまりは、意外と知られていないかもしれません。
実は、彼女が生まれたのは鹿児島県の種子島。のちに神奈川県川崎市で育ちました。
穏やかな環境の中で、ちょっと泣き虫な女の子として成長していきす。
そんな玉井さんが通っていたのは、川崎市立西梶ヶ谷小学校。
公立のごく普通の小学校です。
でも、彼女は“普通”ではありませんでした。
小さい頃から運動神経がバツグンで、器械体操にも親しんでいたそうです。
グループでもアクロバット担当なの、なんとなく納得ですよね。
それだけじゃありません。
ピアノに英会話、習い事もいくつかやっていたんですが、特に注目すべきは英会話を10年間続けたこと。
小学生で10年って、つまり幼児期からずっとやってたってことですよ。すごい努力家。
ちなみに、小学生のときの夢は「美容師」。
意外ですよね? でもなんか、女の子らしい夢で微笑ましい。
そして、彼女の運命を大きく動かす出来事が、小学4年生のときに起こります。
美容師志望だった少女が芸能界へ:スターダストとの出会いと習い事の日々
玉井さんが芸能界入りしたのは、なんと小学4年生でスカウトされたのがきっかけ。
場所は川崎市内。現在も多くの人気芸能人が所属する「スターダストプロモーション」から声をかけられたそうです。
これ、本人もまさか…って感じだったと思います。
だって将来の夢は美容師だったわけですし。
でも、そこからの彼女はどんどんステージに立っていくことに。
当時は「Piecees(ピーシーズ)」というダンスユニットに所属していました。
このグループでは、地元のイベントやレッスンなどを通じて、表現することの楽しさをどんどん覚えていきます。
もともと運動神経もいいし、英語もできる。まさに“伸びしろしかない”子どもだったんですよね。
ここから「ももクロ」への道が静かに、でも確かに始まっていたわけです。
知ってました? 玉井詩織さんって、最初からアイドル志望じゃなかったんですよ。
人生、どこで何が起きるかわからないものですね。
川崎市立宮崎中学校時代:ももクロ結成と百人一首

中学時代って、人生の中でもすごく変化が大きい時期ですよね。
玉井詩織さんにとっても、この時期はまさに人生のターニングポイントでした。
勉強や部活だけじゃなく、アイドルとしての活動も本格的にスタートしていきます。
彼女が通っていたのは、神奈川県川崎市立宮崎中学校。
地元の公立中学です。芸能活動に理解がある学校というわけではなかったのですが、すでに芸能界での仕事が始まって
いた玉井さんは、部活動には参加していなかったそうです。
でも、ただの“忙しい中学生”ではありません。
なんとこの頃、百人一首の大会で2年連続優勝してるんです。
これ、けっこうすごくないですか?
中学生の全国大会ってレベルも高いし、記憶力も集中力も必要。
しかもアイドル活動と両立していたっていうから驚きです。
どれだけストイックだったのか、なんとなく想像できますよね。
そして中学1年生の2008年5月。
ついに「ももいろクローバー」が誕生します。
当初のメンバーは今とは違って、百田夏菜子さんや高城れにさん、伊倉愛美さん、高井つき奈さん、和川未優さんといった顔ぶれ。
このときから玉井さんはすでにメンバーとして活動していました。
とはいえ、最初から順風満帆だったわけじゃありません。
ライブは店頭や商業施設の屋外で、観客は数十人…なんてこともザラ。
夏休みは全国をワゴン車で回って、地方で地道なパフォーマンスを続けていたそうです。
なんか、ドラマみたいな話ですよね。
でもそんな地道な努力が、やがて大きな花を咲かせることになります。
中学3年生のときに「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー。
これが、のちに国民的アイドルグループへと成長する最初の大きな一歩になったわけです。
無名時代の努力と親友・新木優子との交流エピソード
芸能界で生きていくって、どこか孤独なイメージがあるかもしれません。
でも玉井詩織さんには、そんな道のりを一緒に支え合った“大切な仲間”がいました。
それが、女優・新木優子さんです。
実はこの2人、まだお互いが無名だった中学生のころからレッスン仲間として出会っていたんです。
ももクロのレッスンにも新木さんが一緒に参加していたことがあって、ダンスが苦手だった新木さんに、玉井さんが個人的に教えてあげていたという心温まるエピソードもあります。
こういうの、なんか胸がジーンとしませんか?
今では女優として大活躍している新木優子さんですが、当時はただの“頑張る女の子”同士。
共に切磋琢磨しながら過ごした時間が、今でも2人の間にしっかり残っているんですね。
今でも新木さんは、ももクロのライブ楽屋に顔を出しては玉井さんたちを励ましてくれているそうです。
ステージの外でも、こうした「絆」があるからこそ、長く続くんでしょうね。
無名時代を知る友達がいるって、何よりの宝物かもしれません。
日本女子体育大学附属二階堂高校での飛躍

ももクロとして少しずつ名前が知られ始めた中学時代を経て、玉井詩織さんは高校へと進学します。
とはいえ、芸能活動との両立が必須な生活。
どんな高校を選んだのか気になりますよね。
彼女が選んだのは、芸能活動にも理解がある私立校でした。
玉井さんが通っていたのは、東京都にある「日本女子体育大学附属二階堂高校」。
偏差値は40ほどで、芸能人の在籍率も高いことで知られる学校です。
この高校には、過去に堀北真希さんや黒木メイサさん、土屋太鳳さんといった有名人も在籍していました。
ちなみに、土屋太鳳さんとは在学期間が重なっていて、実際に同じ校舎で学んでいたんですよ。
なんか、豪華すぎる環境ですよね。
芸能活動と学業を両立させるには、学校側の理解も大事。
ライブやレッスン、撮影で日常が不規則になりがちな芸能人にとって、二階堂高校のような柔軟な対応をしてくれる学校はまさにありがたい存在なんです。
高校時代の玉井さんは、土日を中心にライブ活動を続けながら、学業にも真面目に取り組んでいたそう。
仕事で忙しい日々を送りながらも、しっかりと高校を卒業しているというのも、彼女のまじめさが表れているエピソードですよね。
さらにこの頃、ももクロの活動も本格的に波に乗り始めます。
グループとしての知名度がグンと上がるのは、この高校時代の後半なんです。
NHK紅白初出場と個人活動の両立:絵の才能も注目された高校生活

高校2年生の2012年、ももいろクローバーZは一気にブレイクを果たします。
ヒット曲「サラバ、愛しき悲しみたちよ」が話題になり、ついに日本武道館での初公演も実現。
そして年末には、あのNHK紅白歌合戦に初出場という大舞台に立ちます。
たった数年前まで、家電量販店の店先で歌っていたグループが、ですよ?
ちょっと信じられないくらいのスピード感。
もちろん、玉井さん個人としての活動も広がっていきます。
この頃にはバラエティ番組にも出演していて、「世界ふしぎ発見!」などにも登場。
ももクロとは違う一面を見せて、ファンを驚かせました。
そしてもうひとつ、注目されたのが絵の才能。
実は高校時代、彼女が描いたイラストがNHKの「ハート展」に展示されたことがあるんです。
アイドルで、ライブも忙しくて、テレビにも出てて、それで絵まで描けるって…どんだけ多才なんでしょうか。
歌って踊って、しゃべって笑わせて、さらにアートの才能まである。
高校生活の中で、玉井詩織さんはどんどん“ただのアイドル”じゃなくなっていきます。
高校生らしい青春の思い出を抱えながらも、彼女の中ではもう確実に「表現者」としての道が開かれていたんですね。
大学進学せず芸能活動に専念:映画・ドラマ出演と女優業への広がり

高校卒業後、進学か就職か…多くの人が悩む時期ですよね。
でも玉井詩織さんは、その選択を迷うことなく決めていました。
彼女が選んだのは、「大学進学をせず、芸能活動に全力を注ぐ」という道でした。
この決断には、ちゃんと理由があります。
すでに高校時代の後半には、ももクロがブレイクしていて、ライブやテレビ出演がぎっしり詰まった毎日。
もはや“学業との両立”というレベルを超えていたんですね。
2012年にはNHK紅白歌合戦に初出場、武道館ライブも経験。
こうしたビッグイベントを経て、グループとしての立ち位置がガラッと変わっていきました。
そんな中で、玉井さんは「次のステップ」を意識しはじめます。
それが女優業への挑戦です。
アイドルから女優へというのは、簡単な道ではありません。
だけど、彼女は演技の世界でも自分を表現したいという気持ちを、しっかり持っていたんです。
この時期から少しずつ、映画やドラマへの出演が増えていきます。
最初は小さな役からでも、しっかりと一歩ずつ。
表舞台だけでなく、ラジオのパーソナリティやナレーションなど、声の仕事もこなすようになります。
つまり、歌って踊るだけじゃなく「表現者」としての幅がどんどん広がっていった時期なんですね。
ちなみに、こういった芸能一本の道って、思い切りも必要ですが、それ以上に覚悟がいります。
仕事の波は常にあるし、評価されないこともある。
でも玉井さんは、どんな仕事でも全力で取り組みながら、自分のペースで確実にキャリアを積み上げてきました。
ライブで見せる笑顔とはまた違う、しっとりとした表情や自然なセリフ回し。
それが「アイドルっぽくないね」って評価されることもあったそうです。
なんか、ちょっと大人な一面が見えてきた気がしませんか?
そしてここから、女優・玉井詩織としての存在感が、少しずつ光を放ちはじめるのです。
「幕が上がる」「Anniversary」での主演から連ドラ進出までの軌跡

高校卒業後、ももクロとしての活動に加えて、女優としても本格的に歩み始めた玉井詩織さん。
そんな彼女の名前が一気に広く知られるきっかけとなったのが、2015年に公開された映画『幕が上がる』でした。
この作品、実はももクロの5人全員が出演しているんですが、ただの“アイドル映画”ではありません。
原作は平田オリザさんの同名小説で、監督は本広克行さん。
「踊る大捜査線」シリーズなどで知られる本広監督が、舞台と真剣に向き合う女子高生たちの青春を丁寧に描いています。
その中で、玉井さんは演劇部の副部長・中西さん役を演じました。
この役どころ、実はとても繊細で、ただ明るいだけじゃない“内に秘めた熱さ”が求められる難しいキャラ。
でも玉井さんは、表情や言葉のトーンでその揺れ動く心情をリアルに表現していて、演技初挑戦とは思えないほど自然でした。
映画のプロモーションでは、舞台挨拶やテレビ出演も多数こなし、女優・玉井詩織として一歩を踏み出した記念すべき年になったんです。
そして翌2016年。
彼女はさらに一歩前へ進みます。
この年に公開されたオムニバス映画『Anniversary アニバーサリー』では、主演を務めるまでに成長。
短編の中でも、彼女が演じるキャラクターは家族の中での葛藤や繊細な感情を描くシーンが多く、しっとりとした演技で観る人を驚かせました。
それまで「ももクロのしおりん=元気で明るいイメージ」だった人にとっては、かなり意外な一面だったかもしれません。
でもこういうギャップこそ、玉井詩織さんの魅力のひとつですよね。
さらに同じ2016年には、テレビ東京系のドラマ『ストレンジャー〜バケモノが事件を暴く〜』にも出演。
これが彼女にとって連続ドラマ初出演となりました。
ももクロでの活動、映画主演、そして地上波ドラマ…。
少しずつ、でも確実に「女優・玉井詩織」の足跡が刻まれていきます。
いわゆる“アイドル出身”の女優が多い中で、彼女は急がず、自分のペースで経験を重ねてきた感じ。
どの現場でもきっちり結果を残しながら、無理なく階段を登っていくその姿勢に、共演者やスタッフからの信頼も厚いそうです。
「幕が上がる」で見せたひたむきさ、「Anniversary」での深み、連ドラでの確かな存在感。
どれも玉井さんが“本気”で演技に向き合ってきた証そのもの。
これまでの道のりを見ていると、これから先も、もっと多くの作品で彼女の演技を観られる予感がしますよね。
まとめ
- 鹿児島生まれ川崎育ち、幼少期から運動神経と語学に秀でた努力家
- 中学で「ももクロ」結成、百人一首2連覇の快挙も達成
- 映画やドラマでも活躍し、「女優・玉井詩織」としても高評価
玉井詩織さんのこれまでを振り返ると、「地道な積み重ね」がどれほど力になるのかを感じますよね。
アイドルとして、そして女優としても少しずつ実績を築いてきた彼女。
もともと美容師を目指していた少女が、小学4年生で芸能界に飛び込み、やがて国民的グループの一員に。
さらに、映画やドラマでは新たな表情を見せる“演技派”へと進化。
明るく元気なキャラクターの裏側には、静かな努力と確かな覚悟がありました。
これからの活躍にも、自然と目が離せなくなっちゃいますよね。



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